瀬戸の内海に浮かぶ島々を
写真とともに綴るmokonote/モコノート
明治時代中期の日清戦争時、
軍事的に取り上げられた大久野島(おおくのじま)
昭和の時代に入ると、
住民は離島を強いられ、
大久野島は、軍事用地「毒ガス島」としての歴史を歩み始めます
《芸予要塞時代の桟橋》
左のパネルには、
毒ガス工場開所式の時、この桟橋から参加者たちが上陸した模様が写っています
《発電所跡》
3階建のRC造:壁式構造 ※鉄骨のトラス梁や柱が一本あったけど、たぶん壁式
壁厚、薄いです
それよりなにより、薄気味悪いです
《火薬庫跡》
平屋建の煉瓦造
素朴なフォルムが良い
《野生のうさぎ》
うさぎが群生していることから、
いまは「うさぎ島」とも云われています
ぴょんぴょん寄って来ても、
宮島の猿や鹿の様には怖くない~
一説に、残留ガス濃度等を調査する為、
実験的にうさぎを放したという噂も聞きましたが、
かなりの数のうさぎが群れていましたから、生き証人となっている様です
※現在では、レジャー施設の建設もされています
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