うさぎ島!大久野島の戦争遺産@早春の瀬戸の内海を旅しました その7 | 建築のたびblog +.+mokonote+.+

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~建築のたびと日々のできごとを写真とともに綴ります~

瀬戸の内海に浮かぶ島々を

 写真とともに綴るmokonote/モコノート


明治時代中期の日清戦争時、

 軍事的に取り上げられた大久野島(おおくのじま)



昭和の時代に入ると、

 住民は離島を強いられ、

  大久野島は、軍事用地「毒ガス島」としての歴史を歩み始めます



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《芸予要塞時代の桟橋》

 左のパネルには、

  毒ガス工場開所式の時、この桟橋から参加者たちが上陸した模様が写っています



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《発電所跡》

 3階建のRC造:壁式構造 ※鉄骨のトラス梁や柱が一本あったけど、たぶん壁式



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壁厚、薄いです

 それよりなにより、薄気味悪いです



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《火薬庫跡》

 平屋建の煉瓦造

  素朴なフォルムが良い



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《野生のうさぎ》

 うさぎが群生していることから、

  いまは「うさぎ島」とも云われています


 ぴょんぴょん寄って来ても、

  宮島の猿や鹿の様には怖くない~ ミッフィー


 一説に、残留ガス濃度等を調査する為、

  実験的にうさぎを放したという噂も聞きましたが、

   かなりの数のうさぎが群れていましたから、生き証人となっている様です

   ※現在では、レジャー施設の建設もされています


+.+Fin+.+「@早春の瀬戸の内海を旅しました」