思いがけないガン告知を受けた日から、MRIで転移を調べるまでの2週間。

この期間が振り返っても一番つらかった汗汗

「ステージ1」の部分をとれば、初期のものだから大丈夫っていう思い。
「小葉がん」の部分をとれば、もしかすると他にも転移があって1か所だけではないのかも…っていう思い。
このどちらに振れるかで、泣いてばかりいたり、大丈夫でしょ♪ってカラ元気の時もあったり、かなり不安定だった。
病気の事を調べようと、闘病ブログなどを見ては落ち込み汗ネットには悪いことばかりが目についたので、一切見るのをやめた。自分の主治医の先生を信じてついていくのみグー
夫は、病気の事をたっくさん調べて、いい事も悪い事も含めて勉強しているようだった。夫は8年前にガンで実父を亡くした事もあって、ガンの怖さを知っている。胃の調子を悪くして食欲を落としている夫を見るのも、つらかったしょぼん


でも、いろいろな偶然が重なって病気が見つかったことには、大感謝。
まずは、乳がん検診にクリニックに行った話をしてくれた、職場の同僚に感謝。
彼女のひと言で、とりあえず病院に行ってみようという気になれたから。
そしてその、クリニックのK先生にも感謝。
K先生の所では良性って出たものの、もうちょっと詳しく検査をしてみた方がいいという判断をしてくれたから。
そして、総合病院の乳腺専門医にかかれるこの環境に感謝。
1年前まで、転勤で離島に住んでいた私。
まだ島にいたら、島の数少ない病院で、このタイミングでこの病気を見つけることが出来たかなぁ…見つけられたとしても、治療を島でするか本土に渡ってするかの難しい問題もあったはず。
本土に渡っても、何か月も治療に時間がかかってすぐには帰れなかっただろうし、その間の子どもの世話を親に来てもらったりと、離島にいたら大変だったはず。
そんないろんな事が重なって、見つけられた事はラッキーだったと思う。


この時点で病気の事を言ったのは、まずは娘たち。
「ガンになりそうなしこりだから、手術で採ることになったからね」
神妙な顔をしていたけど、入院も4日間と聞くと少し安心したようだった。
でも数日後、長女が聞いてきた。「ガンかどうかわからないの?ガンかも?っていって採って、ガンじゃなかったら採る意味あるの?」と。
さすが中学生。二人きりの時だったので、長女には「ガンの可能性が高いけど、初期のものだから採れば大丈夫だから」って伝えた。
「失敗するって事ないよね?絶対死なないよね?」「大丈夫。いい先生だよ。術後、しばらく痛くて左手が使えないかもしれないから、家の手伝いお願いしますよ」「うん!わかった。」
そして、職場の上司に報告。治療に専念したいので、退職したいと言った。上司も意外に詳しく、「きっと大丈夫だよ。初期で見つかってよかったね」と言ってくれた。退職日が4月9日に決まった。
仕事をしている方が気が楽だった。何かに集中して、病気の事を考えずにすむから。家で一人でいると、いろいろ考えて泣いてしまう。
電車で1時間半の所に住む夫の母にも、近々に会う予定があったので、病気の事を伝えた。入院中、家事応援に来てもらうのは、一人で元気に暮らしている義母にお願いするつもりでいた。

私の両親にはどう言おう…。実家の母は、めまいなどの小さなトラブルをいくつか抱えて体調が悪く、今病気の事を言っても心配かけるだけだと思った。
姉に先に病気の事を打ち明けて、相談してみた。両親には、MRIの結果をみて、いろいろ決まってから言おうと決めた。


夫は、「今、せめて出来るのは、免疫力をあげる事!食事や睡眠をしっかりとろう」と言い出した。
仕事柄、どんな野菜にどんな栄養素が入っているかなどは、私よりずっと詳しい夫。
にんにく、きのこ類など、免疫力UPのものが食卓に上がると、はしでつまんで私のお皿に。
会社帰りにR1ヨーグルトを大量買いしてきた。腸内環境を整えて、免疫力UP?
夫の帰宅も早くなり、家事も積極的に手伝ってくれた。
娘たちの前では弱音を吐けない分、夫と二人の時にはたくさん泣きついた。
その度に「大丈夫」「生きていてもらわなきゃ困るから、治療がんばろう」ってなぐさめてくれた。
私が何も言わずとも、いつも不安な顔をしていたのか、夫に「大丈夫」って頭をなでられると、気持ちが軽くなった。
私が隣の部屋に行くと、様子を見についてくるあし私がすることなすこと、気になる様子。心配してくれてるんだな・・・あせる


今年は桜の開花が早く、ちょうど満開の頃だった。
夜、近所の桜を見るために、夫と散歩した日があった。
「来年の桜、見れないって事はないよね?」

「大丈夫!」
あの時の夜桜桜、絶対忘れない。