
平成最後の日、2019年4月30日は奈良県の 當麻寺(たいまでら)へ行ってきました。

常麻寺の由来
推古天皇二十年(612)に、用明天皇の皇子麻呂子親王が 御兄聖徳太子の教によって、河内国交野郡山田郷に萬法蔵院禅林寺を草創されたのを、七十年程後に 親王の孫にあたる當麻国見が、役行者練行の地である現寺地に遷造し、天武天皇九年(681)に起工し同十三年に至って、金堂、講堂、千手堂(マンダラ堂)、東西両塔その他七堂伽藍を完成し、百済の恵灌(えかん)僧正を導師として 諸堂諸仏の供養を修し寺号を常麻寺と改めたと寺伝にあるが、現在白凰末期から天平初期にかけて当地に建立されたものといわれている。

中之坊で、心静かに写仏をしてきました。
@モコが選んだのは、導き観音様です。
*営麻憂茶羅の写仏
当坊の写仏は、中将姫さまが當麻曼茶羅に描いたほとけさまを描き写して頂きます。
ゆったりと心をしずめて筆を運んでみれば、中将姫さまの境地を少しでも体感して頂けれるかもしれません。

色もつけてみました。

自分の書いた観音様の御朱印です。

こっちは、不動尊様

牡丹の花が綺麗でした。
例年4月下旬から5月上旬頃にかけて色とりどりの大輪を咲かせているそうです。
常麻寺が開創された際、役行者は金堂前(影向石)にて熊野権現を勧請し、その出現した場所に自身の道場を開いた。
奈良時代には、償麻寺別当,実雅がその道場を住房とし、「中院」を開創。
以来、中院は代々當麻寺別当(住職)の住房として受け継がれ、その後「中院御坊」と尊称された。
これが現在の「中之坊」である。
弘仁時代には、弘法大師が中之坊実弁を弟子として真言密教を伝え、以後、當麻寺は真言宗の霊場となった。
常麻寺には平安時代に四十余房、江戸時代にも三十一房の僧房があったと記録されるが、 中之坊はこれらの筆頭寺院として、當麻寺内で最も古い由緒と高い寺格を伝えている。
庭園、書院、霊宝殿など数々の寺宝を残すほか、「導き観音」の信仰が篤い祈願所として、また、写仏によって中将姫の教えを体感する霊場としても親しまれている。