吉凶占いはそろそろ終わりにしよう | もっくん珈琲ブログ

もっくん珈琲ブログ

もっくん珈琲オーナー、タロット&占星術占い師、三児の母のもっくんの日常、店のお知らせ、考えていること。

年の初めにこんなブログ(笑)

 

今度のお店の物件ね、

方位の吉凶は見ないで選んだんです。

諸事情から、「ここでやりたい」が優先でね。

 

その後に一応方位見とくかーと思ったら

すごく良くはないけど、無難な方位でした。

 

契約の時期によっては、「五黄殺」っていう

ちょっとあかんやつ(笑)だったんだけど

色々な事情で、契約は節分後になりそうで、

そうすると方位が変わります。

 

でもぶっちゃけわたし、

五黄殺でも別に構わないと思ってた。


ご縁があったものがそれで

そのエネルギーが来るんなら、

甘んじて受けようと。

そう思っていた。

 

 

初めて方位のことを学んだ本に

書いてあったことなんだけど


かの豊臣秀吉は、若い頃に、

持っている資質を占い師に見込まれ

あえて五黄殺を取らされたのだそうだ。

 

そのため、色々苦労はする。

だけど彼がその先に掴んだものは

誰もが知るところでしょう。

(晩年はあまり良くなかったけれど

でも、だからって悲惨な人生だと

誰が言えるだろう?)

 

五黄殺はそういう方位でもあるってこと。

人間を磨き、鍛え上げるのです。

そのひとが本当に目指しているものに

辿り着かせるために。

 

 

占星術だと、ハードアスペクトが

そういうものに当たるのかと思うんだけど、

 

たとえば、吉凶占い的な発想では

スクエアは「不幸」www


 

でもわたしは、良くも悪しくも

「刺激」と読みます。

 

ハードな出来事は起こりやすいでしょうけど

自分を磨き上げるイベントにもなります。


しかもおそらく、スクエアの使い方の

波動を上げると、「ハードな出来事」

という認識もなくなる。

 (「認識」というのがポイント)


 

方位の話に戻しますが

 

良い方位への旅行を繰り返したという

ある占い師さんに

 

「方位取りを実践して、なにか

すごくこれ良かったーってこと

ありました?」

 

と聞いたら

 

「うーん、ないね」

 

_人人人人人人_
> ないね <
 ̄Y^Y^Y^Y^ ̄

 

真顔でそうおっしゃったこと

一生忘れられそうにないですwwww


 

彼のことは結構好きです。素直だから。

あと方位の話も割と信頼してます。


 

私、彼のアドバイスで良い方位を2回、

海外旅行で取ったのですが(15年くらい前)

その後、かなり苦労、苦悩しながらも

いま、その頃の思う通りぐらいに夢を叶えてます。

そのための出来事を与えられた。


方位を意図的に取るというのは

自分の人生に対しての

アファメーション(宣誓)なんだろうと思います。

 

気を意図的に制御して得られるものは、

そういうスパン(人生レベル)だっていうこと。


普通の意識で、目先で「ラッキー」と思うことと

その後の、本当に必要なことって

たぶん違うんですよね。


占い師の彼はたぶん、

そこに気がついてないだけで、

おそらく必要な出来事はたくさん

起こっているはず。

 

 

わたしは、方位のことを知る前に、

五黄殺級のあかん方位も

1回海外旅行で踏んでいるのですが

 

たしかにその後はいろいろあった。

でも、手相(命運)にもそれは出てたし

そこで見た、体験したものが

カウンセリングに生きてる

つまり、飯のタネになっているのよ(笑)

 

そうするとさ、どんな方位を踏んだとしても

あるエネルギー(方位で言えば

二黒土星だの、七赤金星だの)を

ソフトにくらったか、ハードにくらったか

その違いでしか無いんだよ。

 

そこから何を学んだか。

どれくらい成長できたか。

 

魂が目指してるのは常にそこ。

 

人間的な「ラッキー♪」「開運♪」みたいな感覚は

魂からすると、おはじき遊びくらいの

些細なことなんだと思います。

 

道は常に開かれていて

わたしたちがそれに気がつくかどうか。


わたしは、人間として

成長したい。それが生まれた目的だもん。



そして占い師が本当にやるべきことは

吉凶を占うことじゃなく

道を示すこと。希望を与えること。

勇気付けること。


占いも、低い波動の使い方と

高い波動の使い方があり


そろそろ、後者の方が

一般的になってほしいな…

と個人的に思うのです。


(わたしが教えているメソッドは、

無論、後者を意識したものです)



お店、上手くいくこともいかないことも

きっとたくさん起こると思う。

でも、全部受け止めてがんばりたい。

それが、やりたかったことだから。