先週、産院を無事に退院してから、赤ちゃんと一緒に、家でのんびり養生しています☺️
TwitterやFacebookでは既にお知らせしましたが、次男のお名前は『龍馬(りょうま)くん』です💕
よっちゃんパパとりゅうちゃんにソックリ😆
よく寝る子で、こちらも特に寝不足ということもなく…家事に関しても、母が手伝いに来てくれているので、本当に楽をさせてもらっています😁
何もないとつい動いてしまう性格なんですが、『産後は生理的な理由で骨盤がガタガタになっており、ここで動くと予後がたいへん悪い』ということを心得ているので、今は動かないのが仕事と思って休んでいるところ。なるべく横になってゴロゴロしてます。
(もしこれを読んでいる方が初産婦さんだったり、その御家族だったりした時は、可能な限り休んでor休ませてあげてくださいね!)
赤ちゃんの世話を除けば、テレビやスマホを見る以外何もすることがないので(ほんとは画面系で目を使うのも骨盤に悪いんだけど…まあそこは適当に勘弁してw)
窓越しのお空を見ながら、考えごとをしています。こんなにのんびり立ち止まって色々考える機会も貴重だし、なんか贅沢な感じです😚
考えているのは、お産や、子供を持ったことで、わたし随分変わったな、ということ。
私は、元来はそんなに子供が好きとかそういうわけではありませんでした。むしろ苦手。
でも、いざ子供を産んだら、我が子可愛さが余って、子供がみんな好きになってしまいました😍
ついでに
その気持ちが大人にも及んで、
誰かに正しさを求める気持ちは
たぶん子供を産む前の1/10くらいになったのではないだろうか…
もう6年前になりますが、りゅうちゃんが産まれた日の夜に考えていたことを思い出します。
人ひとり産まれるというのは、こんなに大変なことだということ(骨折りという意味だけではなく、偉大だってこと)
それを繰り返してきた人類、母親たちはスゴすぎるということ、
産んだだけで、産まれただけで、もう十分じゃんということ、
ハッピーバースデーって、文字通り、あなたが産まれておめでとうっていう意味だったんだということ(プレゼントを貰う、あげるための日ではないということ 笑)
そして
自分にも、こんなに歓迎されて、祝われて、愛された日があったのだということ……
誰しも、そんな日があったのだということ……
そう思うと、
隣で眠る、数時間前に産まれた龍ちゃんを見ながら、涙が止まらず、疲れているのに殆ど眠れなかったのでした。一晩で、一生分くらい、色々考えたと思います(笑)
一時期、子育て支援系の活動を活発にしていたけれど、それは、上記のようなことを、誰かに伝えたかったからです。(その後、ちょっとやりたい事と違うかなと思って辞めてしまったけれど)
その気づきが、いまは、主にブログやカウンセリングなんかで発揮されているかなあと、思います。わたしが、からだを張って(笑)、気がついたこと。
産まれただけで、価値があるのだから、みんな、もっと楽に生きていいんだよなあ。
どんな行動も、どんな考え方も、どんな性格も、ひとがそうなるには、理由がある。みんな、良かれ良かれと思って、ただ一生懸命生きてる。
それがたまに、ややこしく絡まってしまうこともあるのだけど…
愛されてる、愛されてた、
という原点に立ち返ることで、その紐は解ける。
わたしは、それを伝えたい。
タロットや星占いは、偉大で面白い体系だけど、私にとってこれらは、『愛』を紐解く道具のひとつです。
お産のたび、なんとなくこうやって初心にかえります。