自分ヒストリー | もっくん珈琲ブログ

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もっくん珈琲オーナー、タロット&占星術占い師、三児の母のもっくんの日常、店のお知らせ、考えていること。

最近、自分のこれまでを語る取材を立て続けに2件、受けました。

もっくんカフェのこれまでや、それ以前の話を久しぶりにまとめて話す、ということをして、妙に自分を振り返っちゃいました。

特に2件目は、生い立ちからかいつまんで話す…という流れになり、なんだか自分の歴史の行き当たりばったり感に苦笑い…(笑)

でも、自分の中では一応、一貫しているつもりなんだよなあ とも思い……それがなんなのかな、と少し考えていました。


地質学を志したのは、今振り返ると完全にスピリチュアル方面のワンネス的な概念から引っ張ってたのですよね。

ガイア理論といって、地球は複雑系として、ひとつの生き物として捉えられる。という仮説がありまして、提唱した方はもう亡くなってしまったのだけど、それにすっごく惹かれたんですよねー。

でもそのシステムを科学的に語るには、分野が多岐にわたりすぎている上に、抽象的で、それ自体の研究、というのは難しい。

私がやりたいのは『地球はひとつ』の探求だった。自分は母なる大地、父なる宇宙とつながっている。それを精神的に感じたかったの。それは科学とか大学という枠ではなかったのだなあ、と思う。


子供の頃から、どこかに帰りたいという感覚がすごくあって、ファンタジー的なものや、民俗的でノスタルジックな音楽に触れた時や、星空を見上げるときの、精神が浮世を離れる感覚がすごく好きでね。

それ以外のもの…

たとえば、学校とか受験とか俗世的なまじめなこと(会社に勤めることとか)は、私にとってすべて、どうでもよかった。むしろそっちがファンタジー(幻想)で偽物だったんだよねえ。

でも、生活の大半はそれに割かなきゃいけないという現実が結構絶望でさ、私は、そんな自分がどんどん嫌いになっていきました。


占星術では、私の月は12ハウスにあるので、まあそれからすると妥当な感じかな(笑)精神のホームがあっちの世界なんだよね。

研究者になれば浮世離れできるかなと思ったけど、そんなことないっていうのは4年生でわかったアセアセ

その後勤めた会社も、かなり風変わり(※社長のエピソードが浮世離れしてたんで惹かれた)だったけど、仕事自体はガッツリ地に足ついてたっていうか、3年間やった社会人ゴッコ、結構楽しかったな。


ここまで書いて思ったけど、私の必須テーマは『浮世離れ』なのね。

子供を産んだ産院の院長先生に、検診の時の世間話で、仕事や生き様のことを『浮世離れしてるよね〜(笑)』と言われ、なんかすごく褒められた気分というか、『そうそう!わかってんじゃん先生!!爆笑みたいな気持ちになった。

でもこれってべつに誉め言葉でもないというか、私がそれを大変誉(ほまれ)に思ってるから勝手にそう思っただけの話だよな(笑)

前にもどこかで書いたけど、私がいちばん嫌いなのは『普通』と言われること。特別でありたいのかというと、まあそれもあるけど、いちばんは『浮世離れしている自分でありたい』というセルフイメージがあるんですね。

ひとに言われるくらいだから、すでにそうなんだろうけど、どこか世間に合わせようとしていた自分の認識を、ちょっと修正したほうがいいなーと、今更思ったのでした…。(笑)

もうすぐお誕生日なんですけど、そこに向かって、いろんなものの考え方や感じ方が、少しずつ変わっていくような感覚があります。

今年は、私のバースデー(8/22)がどうやら日蝕付きの新月でして、占星術的に言えば、ソーラーリターンにドラゴンヘッド合っていう、結構強烈な星回りなんです。精神的に一皮むけるのかも。

そこに向かって、原点みたいな記憶を思い出しているのかもしれないね。


さて、明日も早いからそろそろ寝るかな。

浮世離れは好きだけど、地に足つけてかき氷をかく仕事も、結構気に入ってるんですよねニコニコ

うん、表面で何やってるかは問題じゃないね。世界になにを見出しているか。それが本質だから。私はかき氷にも、宇宙を見出せるんだ。

嫌いだった自分とも仲直りをしながら、こうやって地球で生きていく。

夜中につき、いつもに増しての散文ですみません。おやすみなさいキラキラキラキラ