自分を読んでいれば、自分の心の世界だし
他者を読んでいれば、その人の心の世界、です。
これは当たり前のようでとても深いです。客観的な他人像や、客観的な未来が読めるわけではない、ということ。これは私だけでなく、タロットの原理的に、扱う全ての人がそうのはずです。
たとえば、好きな人がいるのですが、彼は私のことをどう思ってますか
という質問があったとして、カードで読めるのは、「質問者の心の世界」に映る彼の像 ということになります。
客観的な彼像が見えちゃうわけではない。
自分から見える彼のペルソナ(人格の一部)、
自分が彼に投影している状態、
が見えます。
自分の状態が変わると、見える像も変わっていきます。その時のタロットリーディングというのは、そういう、すごく移ろうものの現在を、捉えているということです。
また、究極をいえば、他人に見いだせるペルソナ、今認識している世界の状態というのは、すべて自分の中にあるものの投影になります。コントロールできないと思っている外界の人間、出来事も、実は自分自身の一部の投影というわけです。
そういう意味では、100%客観的な世界、他人像というのは、存在しないのかもしれません。
ともかく、自分の状態次第で、テコでも動かないと思った人間関係がいきなり動いたり、自分から見ると、他人がいきなりキャラ変する、ということが起こりうるのです。
(これを客観的に再現性をもって証明するのは不可能なわけですけど、これで説明のついちゃう案件を自他共にたくさん見てくると、私としては疑う余地がありません)
タロットの出来ることは、他人を読むことではなくて、自分自身の意識を変えて、そういった未来を創造する、ということになります。
ただ、人間関係は、良くも悪しくもその時波動の合う相手とご縁を持つようになります。必ずしも、その時の表面的な意識で望んだ人と引き続きご縁があるかどうかは、わかりません。
魂の視点では常にベストなご縁しかないのですが、そこと表面意識が乖離してると、縁をもつこと、切れることにエゴ的な苦しみが伴います。
これは対人だけでなく、職場とかコミュニティとか、社会活動でも同じことが言えます。
クビになったとかやめちゃったとか、色々あると思いますが、そことなんらかでご縁が切れるというのは、良くも悪しくも「卒業」を意味します。表面意識ではどんなに残念でも、ご縁が切れるということが、ベストな出来事なんですね。(波動が大して変わらないと、留年状態で同じようなコミュニティ、状況を引き寄せたりもしますが…)
……ここまで凄くカタイ話になりましたが、もうちょい柔らかくいえば、たとえば、他人にどう扱われているかや、周りでどんなことが起こるかや、周りの世界について何を感じているか、を見れば、自分の状態が分かります! ということです。
そして、自分の意識の状態が、あまり望ましくないならば、変えていこう、という話になります。
外の状態にあえて働きかけることで自分の意識を革新していく、という、より外側寄りのコースもありますので、その時は上のような大原則は踏まえつつも、その人の理解がしやすいように、他人の振る舞いという視点を加味してカードを説明します。地動説と天動説の切り替えみたいな感じです。



人生って、常に自分の用意してきた人生の青写真(ブループリント)に向かうような仕組みになってまして、もし課題や問題が自分の意識に認識された時は、ブループリントに向かって軌道修正の圧がかかってるということです。
途中にも書いたのですが、魂の視点では、ベストなことしか起こらない。なので、起こった出来事、自分の気分は、なにであってもその存在を肯定して、ただ、その後を考えたらいいんです。
↑この発想がない、世俗的な価値観での吉凶判断のみのタロットリーディングは、あまり意味がないと思います。90年代の書籍の占断例などを読むと、その点でオイオイとツッコミたくなる件がたくさん……。
それもあり、私は自分のやっているものを極力「占い」と言いたくない気持ちがあるのですが、占いも、そろそろ精神性を上げて次の段階に行く時代かなあと思います。
長々語りましたが、これはタロットを扱う上で基本となる、とても大事な考え方ですので、関連する方は、マストでインストールしていただきたいと思います。
また、自分ではタロットを扱わない一般の方にも、タロットは「未来を当てる怖い道具」ではなく「未来を創造するステキな道具」だ、ということを認識して頂けると、とても幸いです



では、おやすみなさい
