これはポジティブ・ネガティブ、どちらの意味もですが、その人そのものではなく、自分の幻想を重ねて、その人を見ます。
だから、他人から自分がどう映っているか、というものは、自分の真実の姿とは一致しません。少なくとも絶対にイコールにはなりませんから、そこを期待すると、傷つきます。
めちゃくちゃ極論ですが、他人にどう思われるかというのは、自分の問題ではなくて、その他人の問題(どんな像を自分に投影したいか)であると言えます。
そこを自分の姿だと思い、自分の問題だと思うのは、自分のあり方を他人に明け渡していることになります。
だから、他人にどう思われるかとかどう評価されるかというのは、感情的な意味でなく、機械的、原理的な意味で、自分の本当の姿とは全く関係ないんだなあ、と最近よく考えています。



すごく分かりづらい話なので、具体例をあげます。
上の話を強く感じたのは、去年の市長選の折でした。
お友達が立候補していたので、私はその人を応援していたわけですが、駅前にお店を出していたとき、その対立候補さんの支援者の方がきて、世間話をしました。
私のお友達がAさんだとして、対立候補がBさん、Cさん。(3人選挙でした) で、その支援者さんはBさんの支援者だと思ってください。
そしたら、その支援者さんが、「Aさんって悪い人なんでしょう? 女囲ってすごいって聞きました」などと言うわけです。
私とよっちゃんはAさんと割と長い付き合いなので、これに目がテン……

え?え? 悪い人? なんのこと?? 女? あんなに奥さんと仲よさげだけどなー
私もAさんのことを全部知ってるわけじゃないし、いい人フィルター被せてる面はあるかも知んないけど、さすがに女はねえだろ

と、私の知ってるAさんと違う姿のイメージが出来上がってることに、なんだかびっくりしちゃったんです。(よっちゃんは、たぶんAさんはけっこう男前だからイメージに尾ひれがついたんでしょう と言ってた 笑)
その支援者のひとは、噂でそう聞いたと言っていて、会ったことはなくて、だからどんな人か気になる、と言う趣旨のことを言いました。
凄く意地悪な見方をすれば、そういうゴシップをばら撒いて評判下げてるのかもしれないけど、その方には、そういう悪気という雰囲気はなかったんです。ただ、一人歩きしたイメージを投影している、そんな感じ。
(そのひとがひどいとか、その対立候補陣営の問題とか、そういうことが言いたいわけではないという趣旨はご理解ください)
で、Aさんはその後無事というか、結果的に当選されたんですけど、その後のFBとか見てても、
●物凄い聖人化されている
●なんかお高くとまった人だと思われてる
●中心部しか見てない人っていうレッテルを相変わらず貼られてる
色んな投影を目にしました。
Aさんは私にとっては普通のひとです。なのでめっちゃ聖人化されてるのも同様に変な違和感があるのよ(笑)
それで思ったの。
ああ、公人になるとは、他人から様々な姿を投影されることなんだな、と。
聖人、悪人。都合のいい姿を、像を、勝手に見出されたり、期待されたりするんだな、ということ。
もちろんその投影には、本人が過去残した残像みたいなものから連想されたイメージがあるから、本人と完全に無関係ではないにしても、少なくとも「今現在」の本人の真実の姿を捉えてる人など、誰一人いないのだと思います。
それは、私自身ももちろんそうです。私が彼に見出したいイメージを、彼の性格だと思って接しています。でも、それは彼の真の姿ではない。いちばん本人の姿を正確に捉えているのは、おそらくパートナーの奥様でしょう。
で、このAさんエピソードを踏まえてもらって、元の話に戻ります。



政治家と一般ピープルの構図に持ってくると話がデカイですけど、私たちは、身近な人間関係も、基本的に全部これと同じことをやっているのだと思います。
「あの人はこういう人」
とキャラクターを把握してるつもりでも、それは自分が自分の頭の世界で作り上げた、すごく限定的なキャラクターでしかない。
人間は「自分内の前提」っていう思い込みフィルターを通して他人に配役を割り振るのです。
口うるさいお母さんとか
言うことをきかない子供とか
自分を逐一ジャッジしてくる上司とか
素晴らしいひととか
慈愛に満ちたひととか
かわいそうなひととか
無力なひととか
でも、それはその人の真の姿ではない。
あとはたとえば、不安でいっぱいなひとは、「世界は不安で満ちている」という前提が必要(不安でいっぱい、と仮定した場合、そういう世界が必要)になります。
そういうひとは、外に敵をたくさん作ります。本当に欲しいのは安心のはずだけど、そこが潜在意識の難しいところで、「世界は不安で満ちている」を裏付けるイメージを、現実に投影して、あたかもそれが真実であるように、自分では感じています。そして、「ああ、この世界はなんてひどい世界なんだ」と一人芝居(コント)してるわけです。



他人からの投影は完全にその他人の問題である。
自分がみている他人は、その人の真の姿ではない。
これを理解すると、自分が傷ついたり、他人に度を超えた期待を寄せたり、といったことが少なくなり、楽になると思います。
わたしは、人前に出て、有る事無い事言われるのは、とても怖いと思っていた。そして、出会うすべての人に良い人だと思われたいと思っていた。
でも、上のようなことを考えまして、「他人から見える自分の姿」から、手を離そうと、最近思い始めています。
どう思われてもいいというよりは、好きなようにわたしの姿を使って頂ければと思う。できればよく思われたいけど(笑)そうでない時があっても、仕方ないのかなと思う。
でも、私の真実の姿は、わたししか持っていなくて、知らなくて、私の最後の味方はわたしです。(とよっちゃん)
真実でない自分の姿が他人から投影されても、傷つくのはやめたい。なぜなら、それはその他人が見たい姿を、私に見ているに過ぎないのだから。
この投影の話、タロットの解釈でもとても重要な要素になると思います。(特に、コートカードの解釈において)
私たちは、よくも悪しくも、自分の思い込みの世界で生きている。だから、現実は自分で変えられるのです。そして、他人から要求される役割を演じる必要も、ないのです。



今は、木星天秤座♎️期、ちょうど折り返しの時期になります。秋頃に蠍座♏️に移行します。
天秤座は対人関係を重んじるサイン。
ラッキーアクションは、他人から見られている自分を意識すること! なんていう風に言われますが、これは個人的には、それだけではちょっと浅い読みかな〜なんて。
この「投影」という心理作用が、天秤座の真髄、重要なキーになるものなのではないかと、考えています。