『どうやったら自己肯定感が高くなりますか』
への1つの答えは
『何があっても自分を否定しない』
ことなのかなあと思う。
たとえば何かが上手くいかなかったとする
自己肯定感が低い人は、
『きっと何か私の人間性に問題があるんだ』
と自分を責める。で、自分を責める材料を探す。
でも、本当にやるべきことは
私の人間性を責めることではなく
『上手くいかない』というそれが、一体自分に何を見せているのか
ただ、本質を見ることなのかなって思う。
自己肯定感が低いから、つい自分を責めてしまうんです、動けないんです、っていうけど
それ、辛いことは辛いと思うんだけど、実はそれって、人生の課題からの逃亡を、カッコ良く(?)オブラートに包んでるだけだったりするんだよな。
「わたし」の人間性には何にも問題はないの。
でも、なにか意識の使い方とか
物事の進め方とかに
なにか、自分が望んでいないエラーパターンがあるらしい。
それだけ。
だから、やるべきことは、今までと違うパターンの行動をしてみる(意識の使い方をする)ってこと。
それは、すごく勇気のいることだと思うけど、怖くてもやれば、既存のパターンは壊れ、新しいパターンができる。
それをしないでわたしを責めても、実質上何も意味がないばかりか、本質から目をそらす癖になっちゃうのです。
うーんと、もっとわかりやすいたとえはないか……。
あ!
プログラムだ。
例えば、プログラミングして、思う結果が出ないとした時
プログラマーの人間性を責めるのがナンセンスなのは、わかりますよね。
思う結果が出ない理由は
→ なにかプログラムにミスがある(入力ががよくないとか、要素が欠けてるとか)
シンプルにそれだけ。
そうなると、やるべきことは、ミスってる箇所を探すだけですよね。ひたすら。で、修正してまた具合を見る。そうすることでしか望んだ出力(結果)が得られないんだもの。
それを投げて、自分自身(プログラマー)を責めても、何にもならないの。ミスをするようなダメな人間だからダメなんです…っていじけてても、ミスをなくすことにはつながらない。そこじゃないの。












私には何も問題がない。
だから、答えにたどり着くまで、人生を投げてはだめ。どうせその課題からは逃げられないのだから。その課題を乗り越えるために生きているのだから。
自己肯定感が低いから、つい自分を責めてしまう、動けない、のではなくて
つい自分を責めてしまう、動かないから、自己肯定感が低いって状態になってる。
そういう人にとっては「何があっても自分を否定しない」というのはある意味修行(笑)辛いし怖いし、誰かのせいにも出来ない。
でもね、そこが頑張りどころで、そうやって意識の向ける先を、自分攻撃から「自分のやること」に変えると、自己肯定感が不思議とついてくるのです。