今日は惑星とサイン(星座)の相性についての考え方について、もんもんと考えていました。いわゆる「ディグニティ(品位)」です。
伝統的な考え方で、特定の惑星が、あるサインにあると、すごく力が増したり、活動しやすかったり、逆に力がそがれたりする、というものがあります。
例えば、私の出生図では、火星(♂)が天秤座にあるのですが、これは火星にとって、デトリメントといって本来の力が発揮できないとか、力が弱まるようなサイン、と言われます。
ちなみに私の月(
)は山羊座で、これもデトリメントなんですよねー。

デトリメント=悪い ではない、というのはわかりつつ、なんか本来の力が弱まるとか言われると、結構心外というのか……。
そもそも「本来の力」ってなんなのかなー と、考えさせられました。
宇宙のエネルギーのサイクルを便宜的に説明したのが12宮ですが、各惑星がこの12宮をぐるっと巡るサイクルに、季節の春、夏、秋、冬のような一種のリズムを見出したのが、この「品位」の本来の意義でしょう。
たとえば、冬の太陽の熱は弱々しいけれど、でも本来の力が発揮できてないのとは違うよね。冬の太陽は冬の太陽なりに、夏には感じられないようなものを与えてくれるし、「夏のそれとは違う」 ただそれだけなんだ。
何が言いたいかというと、惑星と星座の相性に関する、イクザルテーション(高揚)、デトリメント(障害)、フォール(転落)などの従来の単語のエネルギーに、ちょっと違和感があるなーってことなんです。



タロットでも似たような発想はあって、トートタロットなどでは一般的に、隣のカードとの相性で、そのカードをポジティブに読んだり、ネガティブに読んだりするのを「高品位」「悪品位」と言ったりします。
でも私はこの発想をあまり意図的に採用はしていません。
あくまで、そのカードの組み合わせが、その方にとってどんな癒しをもたらすのか、というのを、1ケース1ケース、一期一会のカードを、愛するように読んでいく。
タロットは、吉凶判断のツールではなくて、癒しや肯定のためのものだと思っているから。
そして、占星術の本質も同様です。
知識の集大成で読むのではなくて、愛と感性、親切心で読むのが、ほんとのリーディング。一種の芸術、アート作品なの。



吉凶判断、どっちがラッキーか、どっちが楽か、当たる、当たらない。本当の目的は、そういうのじゃないの。
この辺の、占いにまつわるイメージは、どんどん変えていきたいところです。
すくなくとも、ひと昔前は、サービスを提供する側も、される側も、占いを神聖なものというよりは、むしろ上記のような、精神性の低い使い方をしていたように思います。
どんなカードにも、星にも、本来は吉凶はない。見るものの精神性で、いろんな見え方をするだけ。
だんだん、「品位」の考え方も、伝統的なものから、精神性の高いものへ変わっていく、変えていく必要があるだろうと思います。



ちなみに…私の考える、天秤座火星の良いところは、人や状況をすごく観察して、動けるところ。
精神性、波動が低くそれが出ると、日和ったり、自己主張が適切に出来ない、それこそ「デトリメント(障害)」かもしれないけれど、高次に使うと、誰よりも的確なコーディネーターになれるんだよ。そして自分も輝く。デトリメントなんて言わせないよ(笑)
山羊座の月は……低いバージョンは「ちゃんとしなきゃ」意識による自己の抑圧。私の得意技ですwww
高いバージョンは……時間と空間を最大限に使いこなして大作を仕上げる、三次元のマスターだよ
コツコツ積み上げる力は随一。制限を素晴らしいアートに変えます。たぶん、そういう意味では12星座でいちばん地球ライフを満喫できるの、月山羊座だぞ!


うむ、そんな具合に、それぞれにそれぞれの満喫ポイントがあるんだよ! つまり、繰り返しになるけど、
吉凶なんかねぇよ!! www
と言いたいですね

ああ、ツラツラ書いたけどやっと本音がストレートに出た(笑)
こういうの、明るく楽しくお話ししたいです。怪しくないんでwww
また、思ったことを時々書きます。
おやすみなさい
