容姿に関する自己肯定 | もっくん珈琲ブログ

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もっくん珈琲オーナー、タロット&占星術占い師、三児の母のもっくんの日常、店のお知らせ、考えていること。

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こんなコメントを頂きまして、いろいろ考えてみましたニコニコ

容姿……容姿……

顔かたちだけで言えば、すごくコンプレックスありますね〜

ホラ、少女マンガみたいな顔してないし(笑)

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(笑)

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鼻にほくろあるしね。腕細くないしね。

まあ今は36で夫も子供もいますし、概ねまあいいかという感じですが、思春期のころは、軽く醜形恐怖症と言っていいぐらい、自分の容姿にコンプレックスがありました。

不思議と「自分は可愛くないな」と子供の頃から思っていたんですよね。

小学生の時、男子に「死ねデブ!」と言われたのがずっと引っかかり、あー私は普通の女子の扱いをされるのは無理なんだな みたいな、デブだし。っていう思い込みがあったかな。

なら、いっそのこと女子はやめよう。

女でないスタンスで生きれば、これ以上傷つかないで済むだろう。(女の子なのに大切にされない、と思うと余計辛いから)

みたいな感じで、なんか女性性の傷も一緒にこじらせて、思春期を過ごしたなあ。

そういう具合に容姿と女性性がセットになって、ずっと私のコンプレックス、引け目になっていました。

中学から女子校だったので、男子との接触が高校終わる頃までほぼなくて(弟以外)、もう、男子が怖くて仕方なくてですね。

今思うと、すごく繊細だったんですよねぇ。その繊細さと傷を隠すために、男勝りのキャラと行動特性のペルソナを作りました。

共学の大学に進学してからもそれは続いて(で、もっくんと呼ばれるに至ったわけ 笑)、女の子扱いしてくるひとは気持ち悪かった。嬉しいけど、怖かった。その狭間で、私は自分の傷を深めていきました。

今振り返ると、全部誤解に基づく1人コントですね。(苦笑)

私は女の子でいて、大切にされたかったのです。

星

スピリチュアルを本格的にかじり始めた頃、天使のチャネリングをする方に、「あなたの女性性は酷く傷ついていますね」と言われたのがきっかけで

あー やっぱりそうだよね、これは癒さないとマズイなと思って、ベリーダンスを始めました。

結果的には、これがとても良かったです。

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当時の写真。まんなかの赤いのが私爆笑

28くらいの時です。ステージに立ったのはこの写真の時だけで、今振り返るとほぼ一瞬で辞めたんですけど(笑)

このステージの練習期間の2ヶ月くらいは、奇跡のように、容姿が変わるのが分かりました。

それも、私だけじゃなくて、一緒に練習してた皆がどんどん綺麗に、女性らしくなってね。あの、オーラが〜 エネルギーが〜 とかそういう眠たいアレじゃなくてね(笑)、本当に誰が見ても、見た目が変わんのよ。

まあ眠たいアレとか言いましたが、ダンスって見えないエネルギーを動かすワークで、ベリーダンスは特に、第1,2チャクラあたりがすんごく活性化するんですね。

その結果、ビジュアルまでリアルに変わるの。それを目の当たりにして、人が綺麗かどうかは、外側の形だけじゃなく、中身でどうにでも変わるんだな、としみじみ感じたんです。

その時は、自分綺麗だな!と思いましたよラブ ダンス辞めたら変身終了なかんじで、ちょっと眠たい顔に戻っちゃったけどね(笑)ヤル気になったらいつでも綺麗になれるわ、っていうのは、私に自信を与えました。

それに、別に太ってようが痩せてようが、若かろうが若くなかろうが、美しさの本質には関係ないというのは、すごく思いました。

自分自身も、ダンスのクラスメイトも、いろんな年齢、体型の方がいたけれど、このステージを経たみんなは、等しくとても綺麗だったんです。お世辞とかじゃなく本当にそう思えた。貴重な体験でした照れ

星

自信がないのにお腹を出して人前で踊るなんて、できるわけない。自己否定とか言ってるけどほんとは自分のこと好きなんでしょう、だから出来るんでしょう、とか言われたことがありました。

シャクだよなあ(笑)

正確には、好きになりたい、好きであることに気がつきたかったから、こういうことやったんだよ。

表面的にでも、自分のことをデブだブスだと思いながら、ダンスを始めるのは、とても恥ずかしくて、怖かったよ。その勇気はわかって欲しいよ。そして、それは誰でも同じだということ。

どんなにコンプレックスを持っていても、私たちは、本当は自分のことを好きになりたい。いや、本当は自分のことが好き。

でも、周りから傷つけられるのが怖くて、初めからダメな自分(容姿でいえば、デブとかブスとか)であることにした方が楽だと、誤解してるだけ。

その誤解を、自分で真実だと思い込んで、人の言ってきたことに勝手に悪意を見出して、自分で傷を作ってるだけ。

星

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楓香ちゃん。私の子。赤たんの時の私にそっくりだ。(よっちゃんにも似てるけど、寝てる時は私によく似てます)

楓香、可愛いでしょ。
この子が大きくなっても、可愛くないわけないじゃん。

あれ? ということは?

星

文章の冒頭で、ほくろがー、腕がーとグダグダ言いましたが、自分のメンタルを客観視すればするほど、そんなの気のせいだな と、思うのです。

ふうちゃんを見ての三段論法で、私はいつも癒されています(笑) 


いや、芸能人みたく綺麗だったらよかったのにとか、このほくろがなかったらいいなとか、時々思いますよ。

でもそれって、何かナーバスというか、不安になってるときですね。

「そうであれば愛されるかもしれない」という、ありもしない理想、希望。

「そうじゃないと愛されないかもしれない」っていう不安。

どちらも、真実でないものを、自分の現状やコンプレックスに投影してるだけです。


キラキラキラキラどうせ愛されてるキラキラキラキラ

というのは心屋さんの名言ですけど、これはね、真実というより、そうやって決めて生きる、っていう決意です。

「どうせ愛されてる」って言うとさ、

自分がいかに愛されてないかの証拠や過去の体験談をグダグダ語り出す人、沢山いるんだけど、

どうして辛いかって、その世界(愛されてない世界)を出る決意をしないからなんだよ。自分をその世界から出してあげられるのは、自分しかいない。

カウンセラーはおろか、夫や恋人でさえも、最終的には無理。


でも、自分が決めれば、明日からでも、なんなら今この瞬間からでも、美人で愛される人になることができるんだ。

逆に……ネットでいるじゃん、芸能人とか人の顔をブスとかデブとか劣化とかいうひと。

あれはゴミ溜め的なエネルギーの塊みたいなもので、そこに照準合わせてビクビクしてたら、愛されない世界へ直行です。

自分を幸せにしてくれるひと、愛してくれるひとは、その階層にはいないです。

愛してくれる世界にアクセスするには、まず自分でそう決めちゃう。美人だと思って(仮定して)振る舞うんですよ。そしたら、それこそが自分の真実であることが、そのうち理解できるから。

星

文章書いてて、そろそろデブとブスも本格的に卒業して美人であることを認めよう、そういうことにしちゃおうって割と本気で思いました(笑)

ほかにデブとかブスのみなさんも、それ気のせいだから、ぜひ一緒に卒業しましょうwww

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美人美人ラブ

湧き上がる自己否定には、根気強く「それは誤解だよ」「大丈夫、どうせ愛されてる」と付き合っていこう。

わたしは、本当は愛されているのだから。

そう決めたのだから。