龍ちゃんと、「名前もないゲーム」をして、時間を楽しんだ時、
「普段使ってない脳みそを使った」
という感覚があった。
子供の頃は自然に使っていた領域で、「創造性」ってやつだな、と思いました。
「じぶんでつくってる」
その感覚が、創造性。
既存の遊び、用意された道具を使う、使わされることに慣れすぎちゃうと、どんどん忘れていくように思う。
「じぶんで考えなくなる」。
トゲのある言い方をすれば、
「あたまが悪くなる」(笑)
大人になった過程を振り返るに、私は、どんどん、そういう意味ではあたまが悪くなっていきました。
考えなくなってた。
誰かの発したものに反応して、意見や文句をいったり
誰かの発した価値観に揺らされたり、それで考えてるふりしてみたり
他人ありきの世界。
そこにずっと身を置いてると、自分が実はあたまを使っていないことに、なかなか気づけない。
他人の意見でじぶんのありようが揺れるので
当然、そこに真の自己肯定もありません。
龍ちゃん(4歳)は、まだその段階にない、ピュアな年齢だ。
他人ありきの世界に突っ込むのは、一時的には、通過儀礼として誰もが通る道なんだと思う。いわゆる思春期ってやつです。この時期は、自己肯定感が低くなって上等なのかもしれません。
でも大人になったら、そこから脱却しなきゃいけない。他人の世界を知って、じぶんの世界に戻ってくるの。
子供に帰るとも言えるけど、他の世界を知った上での自己肯定は、子供時代にはないパワーをもたらす。
じぶんでじぶんの人生を作っていけるパワー。創造性だ。
他人ありきの世界=自己否定、
の何がダメかって、
生きるパワー、人生を創るパワーを自分から奪うのがダメ。
やりたいことあって生まれたのに、
その「やりたいこと」の力の源泉が奪われるからだ。
(奪ってるのは自分自身なんだけど)

スマホを漫然と使ってると、すっごい頭悪くなるな!
って、最近とみに思うんです。

情報がなだれ込んでくるじゃん。
用意されたコンテンツをサーフィンするのって、なんかすごい活動してる感がある。
でもこれってたぶん麻薬。
コンテンツを「消費」してるだけ。
創造は、してない。
その時間は頭をつかわない。
だから、脳みそはすごく楽。
やったことないけど、パチンコってこういう感じなんだろうか。
あの、だからスマホをなくせとかテレビ一切見んな、とか、そういう極端なことではないんです。
このブログだって、毎度おなじみiPhoneで書いてるし(笑笑笑)、知りたいことをピンポイントに調べるには最高、それに、思いもよらない有用な情報が入ってくることもある。
でもそれもほどほどに、ということ。
「コンテンツを漫然と消費する時間」は
少ない方がいいと思うの。
この【コンテンツ消費スタイル】が板についちゃうと、自分の創造性を自然と放り出して、自分の有り様とかを人のせいにするような思考回路が付いちゃう気がする。
ネットの炎上とかは、それの最たるもんでね。
ホントは自分の人生とは関係ない事案を、「消費」して何かをやった気になってるだけなんだと思います。

疲れてる時ほど、スマホを漫然と見ちゃうんですよね。
料理、掃除、生活、育児のパワーが出てこない時、スマホがあると楽なの〜。麻薬麻薬(笑)
まあ、そんな時間がたまーにあるのは、仕方ないかなとも思ってる。情報、大好きだし(笑)
でも、できるだけ、疲れた時はネットから離れて、リアルなものに目を向けるように、リハビリしてます。

最近、70,80,90歳くらいの方の本を立て続けに読む機会があり、なんかこの世代は強いな〜と思ったんですよね。年の功というだけでなく、今の世代にはない強さがあるなあと。
その正体を見たような、気持ちがしてる。
今の時代より不便だった分、大変だった分、きちんと、あたまとからだを使ってたんだわ。
全員じゃないにしても、自分の人生はじぶんで引き受ける、っていう覚悟が、今の若者よりあるんだわ。ある意味覚醒してる。
今の人の方が、精神性のピュアさとか倫理観はあると思うんだけど…力強さがちょっと足んない。
この力を取り戻したら。
みんなが自分の有り様を自分自身で肯定して
誰のせいにもせず、人生に主体性を取り戻したら。
どんな世界になるだろうな

まずは自分からリハビリ、リハビリ(笑)
死ぬまで、あたま使おう

死ぬまで、なにかを創り続けよう

死ぬまで、私でいよう、私をまっとうしよう



ではまた
