その後、モンテ的なおもちゃを手作りしてみよう〜
ということで、セリア(100均)で色々道具を買ってきました。


カラフルストロー、折り紙、千代紙、刺繍糸、フェルト……お会計500円也。
でも……じつは、凝った手仕事も、創造的な遊びも苦手なわたし。
うーーー 裁縫仕事はめんどくさいし、あんまりうまく作れないし、何を作ったらいいか全然思いつかないよぅ

…………
…………
とりあえず、「モンテ的」の枠を外し(いきなり外せるのが私の潔いところかもしれない 笑) 子供の頃よく折った折り紙をおりおりしてみる。
やっこさん!
懐wwww

龍ちゃんが目を丸く書いたので
ちょっと加筆して人間らしく整えてみる。
龍ちゃんが、せっかく買ってきたストローをハサミで切り始める。ちょきん、ちょきん、ちょきん………。
千代紙で折った四角の箱に、ハサミで切ったストローをキャッチするという謎の遊びが始まる。(ストローがランダムに飛ぶので地味に難しい 笑)
いつのまにか、龍ちゃんが切ったストローを『ビーム』という謎の名称で呼び始め
『ママがビームを飛ばすんだ!』
という謎のゲームが始まる。
ビーム
ビーム
ビーム
ビーム
………
「うまいうまい」
「もうちょっとだよ」
「そうそう」
とか、なぜか龍ちゃんがビームの飛ばし方の先生になっている……。(笑)
そして最後は、せっかく箱に入ったビームを部屋中に撒き散らして眠りにつくという、なかなかの惨事。(笑)
目的もゴールもよくわからない、謎の時間だった

でも、よくわからないけど、なんか楽しかった

いつもは使わない領域の脳みそを使った気がした。

先生がヒントをくれた時
「家にあるものでやってみて、何かは必ずありますから」
と仰っていた。
私は思いつかず、とりあえず100均で買ってみたけど……
でも、謎のビーム遊びをやってみて思った、
あ、家のものは全部おもちゃになるわ
私は創造的な遊びが苦手。
でもそれは、やってこなかっただけで、自転車乗りの練習みたいなものなのかもしれない。
創造的な遊びをするには、何かを調達しなければ出来ない
創造的な遊びをするには、凝ったものを作らなければ出来ない
創造的な遊びをするには、誰かに教わらなければ出来ない
ああ、全部思い込みだ これ。
今ある手持ちのアイテムや、手持ちのネタで遊ぶ、っていう発想がないからそうなるんだよね。
『私はない』
が前提だから。
折り紙を20年ぶりにして気がつく。私は色んな折り紙を知ってる。人並みだけど、そういえば子供の頃、大人や友達に教わったりして、結構折ったんだ。好きだったんだ。
絵も人に見せられるほど上手じゃないけど、子供が喜ぶ程度は描けるんだ。
名前のないスキル、経験だ。
そっかー
『私はある』
ここまで生きてきたんだから、何かはあるんだ。そうだ、何も買わなくても、教わらなくても、特別なことをしなくても、私はあるんだ。

子供と遊ぶ時
「子供を楽しませよう」と構えると
3分で飽きます。
そういう意味では、私は子育ては向いてないんでしょうね

でも謎のビーム遊びを一緒に興じた時間は楽しかった



折り紙を思い出しながら折った時間は豊かだった



子供に捧げるのではなく「私も」遊んでいたからだ。
素のまま童心にかえればいいのだから、こんなに楽な話はない。精神年齢、本当は低いからね(笑)

私が童心を思い出し、自分のクリエイティビティ(創造する力)を思い出したのと共に
龍ちゃんのクリエイティビティにもリスペクトが湧く。
なんだよビームって(笑)
超面白い。
この子が特別なわけではなく
子供はみな、この力がある。
そして、その中から、その子の「特別」が育っていく。

入り口はモンテッソーリだけど、なにか、私はとても普遍的な、大事なことを、気がついたんじやないかな。
「いまあるもの」でなんとかする
というのは
「いまあるもの」ですでにOKということにも通じる。
「いまあるもの」「いま持っているもの」にきちんと目を留め、向き合い始めた時に、真の豊かさが身の内に溢れ出す。
これは、子育てだけじゃなく、生きていく上でもすごく大切なことだ。
ものと情報があふれて、自分を見失いやすい時代だからこそ、肝に銘じたいと思う。
また、謎の遊びをしよう

ビーム(笑)