離乳食でつくるおかゆ。いつも全部食べさせるわけではないので、残った分は自分で食べます(←えっ と思うひともいるかな 笑)
味のしないおかゆを食べると、じわーっと思い出される、記憶があります。
6歳の、盲腸で入院した時の病院食。(入院したことは、なんか前も書いた気がする)
詳細は忘れてるけど、このおかゆの風味にくっついた、病院内での感覚・感情の記憶は、どうも体にしみついているようです。
それが悪いものっていう話じゃなくてですね、これは、単なる事実というか、歴史だと思ってください。
入院したのはわずか2週間ぐらいだったと思うし、もう30年も前の話ですが、私は、味や香りの記憶が、たぶんひとよりしつこいんだと思います(笑)
まあ、そういうわけで、最近はふうちゃんメシを頂くたびに、そのことが彷彿するわけです。
盲腸ってお腹切りますよね。いまは術式がもっと進化してると思うんですが、私のお腹には、小指分くらいの横方向の傷跡があります。簡単な手術、小さい傷跡です。
でもさ、術後は全然動けないんだわ。痛くて。痛いというかお腹に力が入らず…トイレも行けないのでカテーテル。(←抜く時めっちゃ痛くて怖かった
これは誰にも話してない)

で、話飛ぶけど、子供の頃ってお母さんとお風呂に入るじゃないですか。
母は帝王切開で私と弟を出産してまして、下腹部を大きく縦断する傷跡があります。私のお腹の、何倍もの長さの傷跡が…。
「………」
子供産むには………こんなに切らなきゃいけないのか……

退院して以降は、もう痛みが分かりすぎて、その傷を見るたび、将来の出産を想像してガクガクブルブル、怯えてました。
(その時は感謝という発想よりは怖かったです・ごめんよお母さん)
さらにですね、私の盲腸ね、様子見の入院のところで急に具合悪くなって、緊急手術みたいな感じだったんですよ。びっくりしたよ。
6歳でも、私けっこう(小)賢かったんで、もうこのまま目が覚めないかもしれないとか、シュールなこと考えちゃったんです。そういう病気じゃないけど、それにしても全麻の手術って怖かったですよ。
2年くらい前に友達が出産した時、緊急帝王切開になってしまって、覚悟が決まらず泣きながらの手術だったと、LINEがきました。
普段、そういうことをひとに話す友達ではなかったので、よほど、いろんな気持ちがあっての出産だったのだろうな…と思いました。
そのびっくりとか、怖いとか、痛いとか……わたしは、出産に関しては、その経験はしてないけど、ちょっとわかるよ、と思ったの。
さらに、手術のすぐあとに、赤ん坊のお世話が待ってるとか………壮絶すぎて、卒倒しそうです。
ちょうど最近、FBのお友達の経産婦さんが数度目の帝王切開ということで、帝王切開への引け目のような話が出ていて、、、
そういうひとは、一定数いるのかな、と思った。もし、その人が目の前にいたとしたら、
私は、想像するしかないけど、大変なのは、容易にわかるよー想像するよー頑張ったの、知ってるよー
と言いたいんだよなあ。
自分はリアルでは遭遇したことはないんだけど、自然分娩至上主義のひととか、帝王切開は楽だよねとかいう人って…知らないのと、想像力(&思いやり)がないだけよ。だから、勘弁してあげた上で、スルーしてやって。
私だって、ヒプノバーシングとか、陣痛促進剤つかいたくないとか抜かしてお産に臨んだ自然派寄りな人間だけど、
そんなのは時と場合でさ、仕方ないことってあるじゃない。自然に無事に産めるっていうのはラッキーかつ奇跡、というのはよくわかってる。
それに、そのお産がどういうお産だったかというのは、産み方じゃなくて、身近なひとにどう寄り添ってもらったかで決まる、っていろんな人の話を聞いて感じるところです。
「引け目を感じる」っていうのは、誰かが責めるからというよりは、自分が自分のことを責めてるために、そういうのにちょうどいい他人の意見を受け入れちゃうということだと思う。
なので、そうなのだとしたら、自分を傷つけるのはおしまいにする決断を、お母さん自身がしよう。私(や他の数え切れない人が言ってる)の意見を、採用して(笑)

「普通分娩と比べても下手するとお釣りくるぐらいの痛みを乗り越えて、すごい頑張ったし、そもそも頑張る頑張らない以前に、赤ちゃんを誕生させたことだけで、もう十分、母として役割果たしてるんだよ、これ慰めとかじゃなくマジだからね」
ほら、自分を責める理由がまたひとつなくなった。
自分が自分の痛みをちゃんとわかってあげたら、あんがい、痛みがわかったり、想像したり、寄り添ってくれるひとの方が多いんだってことに、気がつけると思う。
帝王切開をアレコレいう人は、はっきりいって少数派だよ。
もし自然なお産がしたかった、という思いが強かったのであれば、それが叶わなかったこと自体は、 多少なりともがっかり、しょんぼり、の思いが出てくるでしょう。それは、その悲しみを自分で受け止めるしかない。悲しみを責めに転嫁しないことが、自分への思いやりだよ。自分のネガティブな感情を、どうか抱きしめてあげてね。
おかゆを食べながら、そんなところまで悶々と考えている、今日この頃でした。