
神戸新開地にある新開地アート広場での劇団自由人会による公演。

本作品は、被災した児童の綴った学級通信「ばこちん」を基に舞台化されました。
クラスメイトの死や震災で発見した大切な事、生きる意味など、 児童のありのままの文章を台詞として構成し、
これまでに20年以上全国で巡演された劇団の代表作です。
今回は幅広い世代が観劇しやすいように工夫を重ね、
音楽・ダンス・ストンプ等を取り入れた新演出に挑戦。
健災の継承と頭魂、そして生命力あふれる希望のメッセージをお届けします。
1995年1月17日の午前5時46分に、後に阪神・淡路大震災と呼ばれる地震が起こりました。
あれから30年。
この舞台は、震災当時の西宮市立樋之口小学校6年3組の担任であった松田先生が書かれた本が舞台化されたものです。
-感想-
お芝居が始まり・・というか、地震が起こり、周りの建物が壊れ、崩れ落ちる。
助かった生徒とその生徒の家族の安全が確かめられ安堵した後、
「助けて下さい」
そちらを助けに向かおうとした瞬間に違う方向から「助けて下さい」
自分は何処に行けばいいのか?誰を助けるのか?助けられるのか?
「助けて下さい」「助けて下さい」
この場面に遭遇した先生の中に私は確かに事実と大袈裟かもしれないが地獄が見えた。
助け出せたとしても病院ももうない!
このシーンと、このシーンが終わっても暫くはずっと鳥肌が立っていた。
生徒たちは前に進む、何処かには「上ちゃんの死」という影を持ちながらも。
この舞台では実際に書かれていた生徒の文章を変えないように台詞として使っていたようだ。
だから、言葉としてはおかしいと思われるような所もたくさんあったし、
こんな苦しく辛い中でも、ずっと気持ちを引きずっているのではなく、昨日はあんなに落ち込んでいたのに今日は明るいというような
舞台のストーリーとしては有り得ないような所も小学生だから仕方ない、それがむしろ実話なんだろうと思う所もあった。
小説を書いている息子と帰り道にいろいろとこのお芝居について話をしました。小説ではキャラを際立たせたり、ストーリーを重視するから「繋がりが切れるようなそんな展開は、ムズムズして何か気持ち悪い」とは言っていました。
私には、実話を再現するという枠の中で
この子供たちの文章を台詞としてストーリーとして繋げていくという作業は脚本家さんにとってとても大変な作業だったに違いないとこんなところで理解出来た。
…………
で、これは息子と一致の唯一の要らないと感じたのは、「パントマイム」
暗くならない様にの箸休め的な感じでの場面だったのかも分かりませんが、ストーリーにも関係ないし意味も感じなかった。
炊き出しの人たちだけでも十分にほっと出来る演出であると思った。
…………
子供たちのその言葉の中に名言とも呼べるような「生きるための力」や「大切にしなければいけないもの」が多くあった。
実体験の中でしか出てこないであろうたくさんの言葉。それはたとえ災害などがなくても歳をとったとしてもいつも持っていたいと思うような言葉だった。
そして、エンディングの街に今まであった椅子(サイコロの様な四角柱)が積上げられ
折れていた電柱?と共に明かりが灯った時は、その演出に
思わず「すごっ!」
彼らの未来が少し見えた様な気がした。(これは凄い演出だったと思います)
そしてそれが前に積み重ねられた時

※6年3組の阪神大震災の本を読んでいないので何とも言えませんが、
もし、確かに重い水を運んだりの場面はありましたが、家庭での苦労話などが子供たちの文の中に他にもあるのならば、その話をもう少しやって欲しかった。
暗の部分を表現して欲しかった。明を強調して暗を意識させるのも良いが、まだそこまでは出来ていなかったように思う。
明るい事が強く印象に残った。未来に繋がるからそれで良いのかもしれない。
見る人にとっては暗くなり過ぎないのが観やすいのかもしれない。
今までの朗読劇だと、こちらで悲惨な体験や苦るしみなどを想像してその中で明るく過ごす生徒たちがより観客の心をうっていたのだと思う。
しかし、音楽劇としてだと難しいのかもしれない。
その想像の空間をどうにか表現してより良い作品、繋がっていく作品になることを願う。
いずれにしろ
感動したとかの表現は違うと思うので言いませんが
「観て良かった」「多くの人にもっと観て欲しい」と思うような作品でした。

この観劇のあと、帰り道途中三ノ宮駅で下車、徒歩で実際にこのお芝居の舞台となった小学校に行ってみました。
学校の周りは新興住宅街。同じ様な比較的新しいと思われる家がたくさんありました。
学校自体もかなり多くかなりの生徒が通ってるんだろうと感じました。
逆に言えば、あれほどの被害でボロボロになってしまった地がここまで復興したんだ、また元々住んでいた方が戻ってきたり、新しい人たちが集まったりしているんだと。

グラウンドでは、少年野球の練習が行われていました。
ちょうど彼らはこの舞台に登場した少年・少女たちと同じくらいなんだろう。
彼らが安心して過ごすことが出来る時間が
ずっと続いて欲しい・・・明るい未来も。
大きな地震はまた起こると言われている。その時
再び、震災に負けず未来に立ち向かうために、震災の話しは、当時の人たちの思いは繋げていかなくてはいけない。強く思った。
