”華胥の夢/小野不由美” | mokkoの現実逃避ブログ

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白銀の墟 玄の月 第四巻を読み終わってから、何度も読み返し

更には関連しているであろう巻を読んでいたりする。

十二国記の世界から離れられない・・・まずいぞこれは・・・

 

華胥の幽夢(かしょのゆめ)の「冬栄」は、驍宗が登極して

間もない時の、忙しくも幸せな時間。

小さな泰麒が驍宗に抱っこされて、禁門からの風景を見る。

正頼にからかわれたり、李斎の騎獣の飛燕(ひえん)を撫でたり

漣国へのお礼に驍宗抜きで行ったり、廉王の大らかさに

驚いたり、戴に戻ったら、ご褒美が待っていたり・・・

幸せな時間が余計に泣けてしまいました。

思えば、泰麒の一番かわいい時期を離れて過ごしたと思うと

余計に切なくなりました。

 

そして「華胥」での王:砥尚の決断と遺言・・・責難は成事にあらず。

正すことは、何かを成す事だけど、非難する事は何かを

成す事じゃない。答えを知らずにただ責めることは、何も生まない。

これも、納得するお言葉。

 

更に「帰山」でも・・・

何事も家族に謀り、合議制で政を運営するやりかたの奏。

久しぶりに利広が風漢と再会後に国に戻った時、戴の話になり

戴と巧が妙なのか、妖魔の方が妙なのか・・・

今にして思えば、これも伏線だったかと思ってしまう。

そして、荒民(なんみん)に物を送りつけるのは良くない。

それに慣れさせてしまえば、荒民にとって一番大切なものを

挫くことになるから。

あぁ~本当に十二国記って人や国の在り方とか政とかの関わりとか

色々と考えさせられるんですよね・・・

 

一度読んだ本を二度読むなんて、薬屋以来だわ・・・(-。-;)

しかも何度も読むなんて・・・はまり過ぎだわ(-。-;)