ミイ子「ねえマリカ、ちょっと真面目な話してもいい?最近さ、自分って、子供の頃思い描いてた理想の大人とは程遠いなって、ふと感じることが増えてきてさ…。なんか色々中途半端なんだよね。それで幸せになれるのかなって、ぐるぐる考えちゃう。」
マリカ「へえ。珍しくしんみりしてるわね。いつも『最高!完璧!』って言ってるのに。で、何が中途半端だと思ってるの?」
ミイ子「んー…なんだろう。ちゃんとしたキャリアとか、理想のパートナーとか、素敵なおうちとか…。これがあれば完璧なのにって思うこと、マリカもない?」
マリカ「あるにはあるけど、私はもう諦めたわ。完璧って、地平線みたいなものよ。追いかけても、永遠にそこには辿り着けない。」
ミイ子「うわー、出たマリカの詩人モード!でもさ、本当にそうだよね…。私ずっと、次のステージに行けば満たされるって思って生きてたんだよね。」
マリカ「ありがちね。社会人になったらとか、ちゃんとした部屋に住めたらとか、好きな人に好かれたらとか。全部、“そのうち幸せになれる”幻想。」
ミイ子「そうそう、それ。でもこの前、親友が病気になってさ、めちゃくちゃ怖かったの。そのうちと思ってる間に、人生って普通に終わるかもしれないって、初めて本気で思った。」
マリカ「そう。それが現実よ。私たちはいつも、今の自分はまだ、幸せという名のゴールへ向かってる途中だと思いがちだけど、実際は今幸せかどうかが問題なのよ。」
ミイ子「うぅ…。マリカの現実パンチ、今日も重い…。でも今ので気づいたかも。私、もう十分自分で自分を幸せにできるくらい大人なんだよね。」
マリカ「そうよ。そもそも、中途半端って誰が決めたの?誰かと比べてるだけじゃない?自分の価値を他人の物差しで測ってると、永遠に中途半端よ。」
ミイ子「……そうかも。私、自分を褒めるタイミングって、なにか成し遂げて、誰かに褒められた時だけだったかも。成果がなかったり、評価されない自分は、価値がないって思ってた。」
マリカ「人間、無意識にそう刷り込まれてるものよ。頑張ったから偉いじゃなくて、あなたが生きてくれてるだけで十分って思ってくれる人、なかなかいないから。生まれた時と死ぬ間際くらいよ。そう思ってもらえるチャンスがあるのは。」
ミイ子「えー!それってすごく悲しい。今の私たちって、存在だけで価値あるものになれないの?」
マリカ「なろうと思えばなれるわ。そのためには、他人の評価はほどほどに受け止めて、自分の価値は自分で決める。自分が幸せかどうかも自分で決める。中途半端で何かが足りないから不幸、じゃなくて、もうあるものに目を向けたら、なんだ、私って結構幸せじゃないって思うはず。足るを知るよ。」
ミイ子「そうか!じゃあさ、これから私たち、『足りないもの探し隊』じゃなくて『足るを見つけ隊』になろうよ!」
マリカ「…ネーミングセンスは置いといて、まあ、いい心がけね。」
ミイ子「よし!今日の足る発見…私は朝ゆっくりコーヒー飲めたこと!」
マリカ「私は今、あんたのそのテンションに巻き込まれずに済んでることかな。」
ミイ子「ひどーい!でも、なんか嬉しいかも。」
自分はいつまでたっても中途半端、何かが足りない、十分に価値がない、十分に能力がないという感覚。その現れ方には、いくつかのパターンがあります。
-
比較:他人と自分を常に比べてしまう。
-
成果に結びついた自己評価:何かを達成したときにしか、自分に価値を感じられない。
-
内面化された信念:幼少期の経験などから、「自分は受け入れられない」「もっと頑張らないといけない」という考えが根付いてしまっている。
「自分は不完全」という思いが長期間続くと、不安、うつ、燃え尽き症候群などのリスクが高まると言われています。これは目に見えない重りを背負って日常を生きるようなもので、すでに手にしているはずの幸せに気づけなくなってしまうからです。
自分は不完全、中途半端と言う感覚から脱するには、欠けているものではなく、どんな些細なことでも、今すでにうまくいっていることに意識を向け、それに感謝することです。幸せは、すべて完璧に整った時に始まるのではなく、「自分はこれで十分」と気づいた時に始まるものだからです。
