冷たい言い方と感じるだろうなぁと客観的に想いながら結局は
なる様にしか成らない訳です。
死のうが助かろうが儲かろうが損しようがそうなる様に成ってきた
と思えば気が楽で。
人は自分の思い通りに成らないし、自分も他人から色々指図され
たくない。わだかまりはなるべく避けたいし、逃げようとしていると
思われててても逃げてるのではなく避けてるんです。
ただ悪方向へ進んでいる身を自戒出来ないのは駄目。しかし
そんな状況を駄目だと思わない輩は「育ち」だと思っている。
当たって砕けろとか、苦労は進んでやれとか、もうそんな修行を
行う年齢じゃない。これまでの経験内でめい一杯ストライクゾーン
を突けるかどうか、それが残りの人生だろう。
ただ想定外のアクシデントとか、「なんで自分だけ!?」みたいな
体験があると流石に達観出来ない部分がまだ正直あります。
そこは開き直りが足らないのだろうと修行の残り部分。
このコロナ禍でかなり浮き沈みあったと思うが、仕事的に古物
業界に関しては殆ど影響なかったんじゃないかなぁ。
ただ「やり方」は変わったかもね。