オカルティックな話はあまり書けない | モキタス君のアメーマブログ「一瞬先は無間/闇と光は紙一重也」

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時計とラジオが大好きなアナタだけのモキタス君です。
古時計買交会FMWVをよろしくお願いします。

基本周りに支えられながら生かされております。
時計の事を少し、あとは波乱万丈自虐ネタで。

書く事大好き、古時計コラムニスト(もどき)です。

アメーバブログに関してオカルトチックなネタばかり書かれている

ブログは無数にありますが、どう考えてもアタマが可笑しい内容

とかとても読む気にもなれないので自分も書きたくないというアレが

あって、基本避けております。

フィクションネタとしてはアリだと思うけどマジガチだから(笑)

 

「夢の話」も2度程なら聞けるけど毎度じゃ逝っちゃってると思われて

も仕方がない。それとも余程現世が苦しいとか辛いとか。

苦しいとか辛い方ってのはある意味「欲深い」んじゃないのかな?

とか思っちゃうんですけど当の本人は苦しんでいるんだからそんな

事を云ったら可哀そうである。。。かな?

 

「こんなもんだろ?」と思ったら楽なんだけどね。

「こんな筈じゃなかった」とか「もっとこうなるべき」とか考えたら

キリが無いし、それが欲だろう。スイッチ入れたら電気が付いて

蛇口捻ったら水が出る生活って相当恵まれていると思いますけど。

 

だから「苦しい時は下を見ろ」という言葉があると思うし、そういう

理由で社会全体が苦しかった時代に差別が発生したのだろう。

 

国を支配している宗教自体に「差別や階級」が大きな意味で存在

するものもあるし、だから共産主義は宗教を否定している。

そんな共産主義社会も階級制なんだけどねぇ。

何が何だか。。。