令和6年1月1日 16時10分 本震 | ♡ my son´s diary ♡

♡ my son´s diary ♡

2011年生まれの長男と
2013年生まれの次男の育児日記です

ハンドルとられて何か気持ち悪い地震だったな

 

という気持ちを感じつつも

 

あまり深く考えないで実家に向けて車を走らせていた

 

ちょうど若山小学校を過ぎたあたりで

 

再び車のハンドルがとられた

 

え? なんかおかしい

 

と思ったのと同時に車の制御が効かなくなった

 

あ!地震か!と思った瞬間

 

緊急地震速報がなり私は車を止めた

 

その直後言葉にできない揺れが襲ってきた

 

しかも一度止まりそうかと思ったら

 

また強い揺れ

 

周りの家の様子を見ながら

 

頭の中でいろんなことを考えた

 

 

 

あー私死ぬかもしれない

 

あそこの電柱倒れてきそう

 

道陥没するんじゃない?

 

子どもたち守れないかも

 

どうしよう ごめんなさい

 

 

 

そんな言葉が頭の中をぐるぐるしてた

 

長男は これ震度7じゃね? って繰り返して

 

二男は 助けて―怖いよー って叫ぶ中

 

砂埃をあげて崩れていく家

 

家の中から飛び出してきた老人

 

切れる電線

 

割れる道路

 

ようやく長い長い揺れが治まった

 

私達が乗ってる車に被害はなかった

 

私は 助かった! と思ったと同時に

 

頭の中に 津波 という言葉が浮かんだ

 

長男が近くの家の男性老人が心配で車を降りようとした

 

気がついたら私は言ってました

 

「車から降りんといて!お母さんが見てくるから」

 

その男性老人は家の中の奥さんのことが心配だったようで

 

私は崩れそうな家の中から手を引き外に連れ出しました

 

多分1,2分の出来事だったと思う

 

そして慌てて車に戻り 子どもたちに言った

 

「多分津波来るから高いところに逃げるよ!」

 

と言って車をUターンさせ

 

大谷峠の方に向けて走らせました

 

その間たくさんの家が崩れ

 

道路は割れ、今はよく思い出せないけれど

 

とにかく最初の揺れを感じた

 

大谷峠の降り口のところまで戻り

 

ここなら多分津波は来ない

 

そう信じて車を止めてテレビをつけてみた

 

でも電波が届かなくて

 

今度はラジオをつけてみたら

 

大津波警報のアナウンスが流れてた

 

電話は運よく通じていて

 

旦那に電話してみたけど通じない

 

その間に実家・姉・義父・義姉から着信

 

私達の無事は伝えられたけど

 

旦那がどうなのかがわからない

 

私は後悔した

 

体調悪くても連れ出せばよかった

 

こんな時に家族バラバラなんて…

 

子どもを助けることはできたとしても

 

これじゃ意味がない 私は自分を恨んだ