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「かいじゅう&えすえふ」をテーマに創作活動している”怪獣堂”が、映画や旅、身近な色々等々をテーマをあーだ、こーだとつづるブログ

 

<<前回からのつづき>>

 

という訳で、「ゾンビーノ」の紹介です。

と、その前に・・・・・・

「俺が、伝説の化け物なのだ!」

とは、最近はウィル・スミス版が一番知られている、リチャード マシスン「地球最後の男」のオチですが・・・
まぁ、もう、有名なラストなので、ネタバレにはならないと思います。

とにかく「地球最後の男」でマシスンが描いたのは、吸血鬼という化け物が新たな人類で、昼間に徘徊し安らかに眠る人々(吸血鬼)を殺してまわる生き残りこそ”伝説の怪物”になっていた、という、数の逆転による価値観の逆転でした。
(ウィル・スミス版は、このすばらしいオチがよくわからんことになってましたが・・・・・・)


ロメロは「オブ ザ デッド」シリーズを通じて、ゾンビそのものの滑稽さ、はかなさ、悲哀をも描き、生ける屍とは、現代人そのものであり、自分たちとなんら変わらぬ存在であることを表現しています。

これは・・・・・・
「・・・オブ ザ デッド」三部作を当初、「アヌビス」三部作とし、同様にマイノリティの逆転を描こうと構想していたそうで、その構想は「死霊のえじき」の、知性を取り戻しつつあるゾンビ、バブを通じて、新たな”生ける屍”の可能性を広げることで、おそらく時系列的にほぼ同時期の「ランド オブ ザ デッド」で、最終的には共存の可能性を描き、あくまでも今の世の中の物語だということなのです。


さて、この辺りをまずご理解頂いてからの・・・「ゾンビーノ」。
時代はゾンビとの戦争が、人類の勝利に終わり、発明された特殊な首輪でゾンビを奴隷にできる世界を舞台にした、ゾンビ版名犬ラッシー、または子供が主役ほのぼのゾンビ。

「ペット オブ ザ デッド」

こう書くと、いわゆるよくある、パチモノゾンビ系の様ですが・・・・・・
(古きよきアメリカの風景を通じて、一般的なファミリー映画的表現というのもあるでしょうが)
1960年代のアメリカ風の美術設定からして、おそらく製作者の頭にあるのはアフター「ナイト オブ ザ リヴィングデッド」(1968年公開なので)。
いわば、まさに「ナイト オブ ザ リヴィングデッド」のその後の”もしも”になっていると思われます。


しかし、”ちかごろ流行りのゾンビ”といえば、スタイリッシュで、派手で、スペクタクルで、アポカリプト。
もはやホラーなのか、アクションなのか、よくわからないものが多い中、果たしてこんな子供が主役の、牧歌的で地味で、ゾンビである必要があるのかわからないテーマの映画が面白いのか、不安になります。

安心してください。
全て、裏切られます。

その不安要素が全て、逆によく活きています。

ゾンビ戦争というものが生み出した世界観、生じた人間の歪み、ポジティブに見えて、実は装いたがる脆弱な世界。
生命の重みに無頓着な子供の視点だからこそ描かれる、罪がない、ポップで残酷な描写。

もちろん、ゾンビの感染の恐怖、ゾンビによる大虐殺・・・・・・。

さらにロメロが描いた、滑稽で悲しいゾンビの存在、そして”バブ”の可能性を更に広げ、恐れが混乱を生み出し、その恐れない、理解しようとする気持ちを持った者(今回は子供)こそが種族を共存させるところまで描いています。

この映画で描かれているゾンビとは、首輪で繋がれ、各家庭で人間性を否定されてきたマイノリティ、例えば”アフリカ系アメリカ人”を描いているのは間違いなく、

・・・そう考えると、”ラッシー”というよりは”アンクル トム”なんですけど・・・

ともかく、実に正しくロメロのゾンビ映画の精神を受け継いだ、直系の子孫。
そして、著作権事故で乱発された「ナイト オブ ザ リヴィングデッド」の、正当なパラレルワールドとして、新たな一石を閉じた作品と言えるのではないでしょうか?

・・・という訳で、まだ未見の方はぜひ!

あのドラマとはまた違う、ゾンビの世界を垣間見れます・・・

 

 

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増殖する「**オブザデッド」・・・つまり、一般に今日(こんにち)のゾンビ映画というのものは、昨年他界してしまったJ・A・ロメロと愉快な仲間達の作った「ナイト オブ ザ リヴィングデッド」に総てが始まる訳です。


厳密には、それ以前にも本来の、呪術的なゾンビ映画もあったし、ヴィンセント プライス主演で映画化された、リチャード マシスンの「地球最後の男」がその原型であったりもしますが・・・・・・

①死者が蘇ってフラフラ歩きまわる
②蘇った死者は人間を食う
③かまれた人間は伝染して、生きる死者になる
④頭を破壊すれば倒せる
⑤ああ、世界は終わりかも?


という、有名なフォーマットは「ナイト オブ ザ リヴィングデッド」で、ロメロと愉快な仲間たちが完成させたもので、いわば著作物。

これにより、ゾンビ映画は完全に、以前と以後に分かれてしまいます。

そんなすごいアイデアが、なぜここまで広がったといえば、まぁ、著作権事故。これでパブリックフリーになり、誰もが上映フリー、リメイクも続編も作っていい、という可愛そうな事態。

しかし、これで、このゾンビのアイデアは使い放題。しかも、このアイデアは、恐怖はおろか、悲劇も喜劇もアクションもSFも生み出せる映画にもってこいの魔法のフォーマット。


これが誰でもつくっていよなビデオのVHS方式と同じ現象を引き起こし、何しろ、人にちょこっとメイクするだけでホラーキャラになるものだから、こぞって色々なパチモンが出来上がり、まさに「ゾンビ」の様に増殖を重ねて、ついには現在の様な「ゾンビだらけ」な時代になる訳だから、世の中、何が起こるかわからない。

これを、厳密には”モダン ゾンビ”というジャンルに分類します。
ちなみに、「ナイト オブ ザ リヴィングデッド」以前の、呪術系ゾンビは、”クラシック ゾンビ”となります。
食事会や飲み会なんかで、あの売れっ子ドラマにはまっている女の子なんかにゾンビを語る時、使い分けると、ちょっと格好いいぞ。

かくして、世の中にあるゾンビ物というのは、どんなにがんばっても、ロメロと愉快な仲間達の作り上げたフォーマットに+するか、-するか、ちょっと変えるか、そのまま使うか、な映画しか出来ない状態になる訳です。

 

このゾンビフォーマットと、任天堂の十字ボタン、カプコンの波動拳コマンドは、いじるしか新しい何かを生み出せない、世に出た時から究極の完成形な、世界のエンタメ発明の一つな訳です。


ロメロ自身もインタビューで、冗談まじりに「あの時ちゃんとしてれば、今頃、大金持ち」と発言していた次第。

もちろん、あの、売れっ子ドラマにしても・・・ですね。
・・・・・・ということもあって、個人的には、「あのドラマだけしか見ないでゾンビジャンルを語る人はどうなんだろうね」・・・・・・、

ちなみに、ロメロ自身は、「ナイト オブ ザ リヴィングデッド」を通じて、”ベトナムの戦場”をアメリカ国内に持って来た訳で、ゾンビはトリガーにすぎない、異常事態における、人間の恐ろしさを描こうとしていた訳ですが・・・・・・

なので、ゾンビ自体は非常に弱く、むしろ事態の悪化は人間の行動によって引き起こされていく訳ですが・・・・・・

この部分が意外に希薄な作品は、仏作って魂いれず。
といおう
 

さて、という訳で、ゾンビというジャンルの歩みを簡単にご理解いただいたところで・・・・・・
今回紹介するのは、このゾンビジャンルに、ある意味で一石を投じた「ゾンビーノ」・・・・・・

なのですが・・・・・・次回に続きます・・・・・・
 

 

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今回は「帰ってきたヒトラー」です。

 

一時、すごい話題になりました、現代にあのヒトラーが現れて、コメディアンになってしまい、人気が出てしまう・・・・・・というコメディ映画なのですが、

 

この映画、

実に、おそろしい子。

 

物語は、劇映画の編集でありながら、ドキュメントのカメラワーク、画質をおりまぜ、虚実入り混じったメタな作風で進行します。

この理由の推測は後述するとして

 

さて、

ヒトラーというのは、歴史的犯罪者として歴史に名を残していますが、戦争の責任者を探していた結果の実に、わかりやすい悪役にされただけの話・・・・・・

 

第一次世界大戦後、戦勝国に搾り取られ経済的にも、国家としても弱体化し、末期感漂うドイツの民衆が、わかりやすい敵と、わかりやすい政策を求め、その時代が求める形で台頭したのが、一政党のナチス。

そのナチスが、カリスマとして仕立て上げていったのがヒトラーな訳ですが・・・

 

この映画で、ヒトラーがすることといえば妄言をはくだけ。

本人には優れた能力なんてありません。(目指していた絵ですら・・・・・・)

しかし、歴史は繰り返すかのごとく、周囲の人間の欲が彼をカリスマにしていきます。

 

映画は問いかけます。

でも”ヒトラーは本当に帰ってこよう”としているのではないか?と

 

これは、ヒトラーという象徴を通じて、実は現代の民衆を撮ったドキュメントなのですよ、と。

(だからこそ、主人公は国民の貧困の実態を撮っていたドキュメント番組のディレクター。これが意味することは・・・・・・)

 

一見、現代に戻って来たヒトラーの時代錯誤コメディの体裁をとりながら、その実、痛切でとても恐怖な社会風刺。

 

ぜひ、ご覧くださいませ。

 

NETFLIXでの配信も始まり・・・

こりゃ、いよいよ時が来た!

 

・・・という訳で、今まで遠慮してましたが

いよいよ、「GODZILLA怪獣惑星」を論じようではないですか。

 

先に書いておくと、アニメだからだめ!とか二元論を語るつもりなし。

何しろ・・・・・・「進撃の巨人」(実写版)を弁護する少数派なもので、アニメだとか、実写だとかはさしたる問題ではなし。

 

あと、以下の文はあくまでも個人的な「怪獣惑星」評。

個人のとらえかたなので、人の感想を否定するつもりはナシ。

 

ちなみに、ゴジラのファン歴は”ンン十”年。

ゴジラクラブの会報にファンレターが載ったこともあり、DVDもシリーズを2巡購入(うち1巡は、あのゴジラヘッド付DVD-BOX)。

東宝特撮関連書籍は100冊以上。

 

それなりにはファンです。

ですので、ファン故の感想です。

 

さて、この怪獣惑星、怪獣に蹂躙され破滅する地球の姿を一挙に見せてくれるプロローグから始まります。

怪獣に破滅させられる地球、燃えるシチュエーション。

しかし、この一番、怪獣映画ファンが見たいところ、ここは(小説でということで)コラージュ風で一気に処理!

 

あれ?これって、どこかで観たような・・・・・・

 

そして、物語は、地球を脱出し、生き残った人々がゴジラを倒し地球を取り戻すため、荒廃した地表に降り立つところからメインストーリー。

そこは、ゴジラの遺伝子と同じ有翼生物などがうじゃうじゃいる世界。

人類は最新兵器で、苦戦しながらも、ゴジラを撃ったり、とびついたりの一騎打ち・・・・・・

 

あれ、この話運びの既視冠感は・・・・・・

 

そうか!

映画「サラマンダー」

 

絶対一番見たいドラゴンと近代兵器の大戦争をコラージュ風に処理したプロローグの後、ドラゴンに滅ぼされた世界で、親ドラゴンを撃ったり、とびついたり・・・・・・。

 

同じじゃないか。

 

一部の好事家しか覚えていない様な映画と、ほぼ同じ内容ってどうなの?

という以前に・・・・・・

 

そもそも植物組成のゴジラって・・・・・・ビオランテ?

という突っ込みもさておき・・・・・・

 

都市との絡みがない怪獣モノって、基本的に駄目でしょう?

更に、生身の人間と同カットで絡むシーンも少なく、パワードスーツとの絡みだ、飛び回ったバイクから観たカットだ、あげくゴジラのディティールもわかりにくいだ、で・・・・・・

 

売りの筈の、最大級というゴジラのスケール感がまったくイメージできないのは、問題なのでは?

 

実写でできないことをできるアニメなのに、森と山しかない「ゴジラ対メガロ」風景で単体怪獣モノをされても・・・・・・。

 

これ・・・・・・アニメじゃなくても出来るのでは?

アニメの意味って何?

 

ウルトラマンの大群&地球人の合同戦線で、ヘラー軍団との宇宙戦争を描き、結果遅れること、30年後の「ウルトラ銀河伝説」まで、実写でそのイメージを実現できなかった、アニメの「ザ・ウルトラマン」を見習ってもらいたい!

 

そして、何よりも、話題になったあのラストのアレ・・・・・・

某雑誌で、ある方も指摘していたけど・・・・・・

まさかの「デッドリースポーン」オチですか!

というか、そのままだし・・・・・・

 

確かに伝説的モンスター映画ですが・・・

一時期、日本のアニメでだらけにした、あの”牙だらけのモンスター”だけは・・・。

 

どんなオチかは、もちろんネタバレ同様なので書けませんが・・・・・・。

とにかく、どこまで一部の好事家が大好きな映画と同じにするのでしょうか?

 

まさか・・・ねらったのか?

 

まぁ、色々問題はありますが・・・・・・

・・・・・・とはいえ、これからのゴジラを見据え、ファンを拡大する為に、アニメという選択をとったことは、可能性としてアリなので高く評価。

三部作・・・ということもあるのと、あの虚淵さんの脚本なので、ここから!に違いないとも期待もしていますし・・・

 

「怪獣惑星」は、きっと「まどマギ」まみさん回まで、ということだと思うし・・・・・・

 

だから、ゴジラシリーズとしては、ゴジラに「ゴジラ」があれば、「メガロ」もあることで、これはこれで有りなのですが・・・・・・

 

やっぱりねぇ・・・・・・

今のところ、小説版の方が面白いと感じるのは、どうなのかなぁ。

素直に小説版から映画にしていれば・・・・・・

 

追記)

後に読んだ小説「KAIJU黙示録」は、更に「怪獣惑星」と類似点が多いのですが、最近は、こういう怪獣モノが流行りなの?もしかして・・・・・・。

 

 

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・・・・・・という訳で、一回にまとめようと思っていながら、予想外に長くなってしまったので、「ビハインド ザ マスク」紹介②

 

さて、という訳で、スラッシャー映画の展開の「その理由」を、取材形式で描く内容、ということを前回①で書いた訳ですが、そもそも、その展開とは何か?

 

つまり、スラッシャー映画でよく起こる現象、疑問点です。

 

①例えば、どうして、不吉な気配に近づいた瞬間、別の出来事でそれが中断されるのか?

②逃げる被害者は、どうしてこうも、殺されやすい場所へ逃げていくのか?

③そもそも、どうして殺人鬼は、ああも先回りができてしまうのか?

④なぜ、ファイナルガールはああも都合よく生き残るのか?

⑤いや、そもそもファイナルガールが●●でなかったら?

 

などなど・・・・・・。

まぁ、いずれも、スラッシャー映画熟練者などは、ポテチやポップコーンを食べつつ、その展開をバカにして突っ込みをいれるポイントなのだが、(本来、スラッシャー映画とはこういう楽しみ方をするものだが、何か事件が起こると安易に元凶にしたいが為、マジメなホラー映画として扱いたがる)「ビハインド ザ マスク」では、これらの突っ込みポイントの答え合わせをしてしまうのだ。

 

例えば、先回りできてしまうのは・・・・・・

 

日々、身体を鍛えている、尋常ない程鍛えている。

「殺人鬼は体力勝負だからね」とさわやかに言わせてしまう

(ちなみに、本作の殺人鬼は、初っ端からのなかなか好青年)

 

つまり、被害者たちより、めっぽう、足が早いのだ。

映画の裏側では、猛ダッシュで被害者を追い越す殺人鬼たちの姿があったのだ。

 

とまぁ、こんな感じで、殺人鬼は、被害者となるバカども以上に、日々、身体を鍛え、頭を鍛え、その日に備えているのだ!

と判明する。

 

(そんな訳で、実は被害者たるバカよりはるかに能力的に優れてしまう訳で、その結果、先輩スラッシャーの嫁の正体が意外な人物なのですが・・・

 

そんなこんなで取材を通じて、夢と信念にまじめで、もくもくと地道な準備を、実に楽しそうに、生き生きとこなし、時に子供の様な無邪気ささえ感じさせてくれる殺人鬼の姿は、生き甲斐って大事だなぁ、夢って大切だな、と感じさせてくれます。

 

目的は間違ってはいますが・・・・・・

 

そんな殺人鬼の姿に、取材陣はいつしか、友情に近い何かをいだく様に・・・。

ちなみに、観ているこちらも、ひそかに感情移入し、成功を祈ってしまう筈です。

 

これ、POVとホラーの論法をとりつつ、実は一人の青年の夢のメイキングを描いた、”青春映画”の亜種になっているのです。

 

しかし、勿論、どんなに地道で、努力を積み重ねたとしても、やろうとしていることは間違っていると気づく取材陣。

幸い、取材を通じて、殺人鬼の手の内はわかっている。

ならば・・・・・・

 

と、ここから、映画は後半、ここまで描かれた”スラッシャー”メイキングの、本当の答え合わせが、実践という物語へと移行します。

もちろん、ここからの観ているこちらの感情移入も逆転し、一気に襲われる側の視点、気持ちに切り替わっていきます。

 

そして、物語は予想外の結末(というより、殺人鬼の本当の狙い)へ・・・・・・

 

となるのですが・・・・・・もちろん、その全ては本編で、ということで。

 

昔から、物語のジャンルは全て”旧約聖書”の段階でやりつくされ

ハリウッド映画の脚本は、全てシェイクスピアの焼き直し、

 

・・・・・・などとは言われておりますが、やりつくされたジャンルも、企画と(言葉通り)視点を変えれば、まだまだ面白いアイデアが生まれることを感じさせてくれる映画になっています。

 

ホラー嫌い、スラッシャー嫌いでも大丈夫・・・・・・と書けば嘘になってしまいますが、週末、友人や、恋人と過ごす一時、「こんな映画があるんさ」と、ぜひ楽しんでみてはいかがでしょう?

 

ただ、以後、「13日の金曜日」等をおかしな視点で観てしまうことにはなると思いますが・・・・・・

 

まぁ、それが本来の”スラッシャー映画”の楽しみ方です。

 

 

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ようやく「ビハインド ザ マスク」を鑑賞できました。

 

「ビハインド ザ マスク」??

この映画、簡単に言えば”スラッシャー映画版POV(ポイント オブ ビュー)”です。

 

そして・・・

 

という映画です。

 

所謂、「食人族」以降「ブレアウィッチプロジェクト」で一般化し「パラノーマルアクティビティ」でちょっとよくわからないことになって、「第9地区」で、ノンフィクション的導入からのフィクション転換応用例もうまれた、『自分で撮った映像』形式映画

(「第9地区」の手法は「シン・ゴジラ」もちょいパクリ)

 

余談ですが、この形式での傑作としては日本の「邪願霊」を挙げておきたいけど、長くなるのでまた今度。

 

このジャンルには、オカルト、恐竜、宇宙生物、怪獣・・・・・・色々なテーマが生まれましたが、「ビハインド ザ マスク」は、いわゆるスラッシャーもの。

 

ちなみに、POVはふり幅が狭いのと出オチ的な要素が強いので、テーマ被りはご法度。

いかに、過去に扱われてないテーマを見つけるか、というのが重要です。

 

その点、このスラッシャージャンルに目をつけたのは中々の慧眼。

 

スラッシャー映画も「サイコ」からの「悪魔のいけにえ」が基本をつくり、「ハロウィン」で記念日をとりこみ、以降、できあがったスラッシャー映画のお約束を活かすか、変えるかの拡大(縮小?)再生産が繰り返され、新しいものができにくいるジャンル。

(ゾンビジャンルもそうですね)

 

ちなみに主なお約束を一部紹介すると・・・・・・

①なんか怪しい場所に、誰かが止めるのも聞かず、バカがいく

②で、案の定、都市伝説は本当で、殺人鬼はバカを一人ひとり血祭りにあげていく

③中には、彼女とイチャイチャしているはしゃぐバカなどは、夢中になっているうちにばっさり

④でもヒロイン(たいてい処女)は生き残る(=ファイナルガール)

⑤神出鬼没の殺人鬼に翻弄されながら、最後に生き残ったヒロインが最後に退治

⑥・・・したけど、やっぱり殺人鬼は死なない

 

スラッシャー映画あるあるって奴です。

 

「スクリーム」がこのお約束を利用し、青春映画オタクスラッシャーという新たな切り口を作りましたが・・・・・・結局、あまり定着しませんでした。

(世間評価はともかく、映画業界の裏事情を絡めたスラッシャー映画としては「スクリームプレイ」もオススメしたい

 

しかし、この「ビハインド ザ マスク」、POVを活かすことで、お約束を利用したさらにちょっと面白い切口をつくりました。

 

何しろ、この都市伝説の殺人鬼に取材していくのです。

そして、いかにして”(映画に出てくる)殺人鬼”は、いかにあの(映画で描かれる様な)殺人を繰り広げていくのかが、その”準備”と”あの展開になる理由”などの、”お約束”の裏側が画面に描かれていきます。

 

ちなみに、この映画の中では”ジェイソン”も”フレディ”も実在し、さらに結構、”殺人鬼”が”アイドル”の様に存在する世界になっています。

 

この設定だけで、もう勝った様なものです。

 

ではもう少し詳しい内容を・・・・・・

なのですが、余談が多く、予想以上に長くなってしまいましたので、次回に!

 

 

 

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「キングスマン ゴールデンサークル」感想の後編です。

長くなり”すぎて”しまいました(汗)

という訳でつづきで、完結編です。

前作が、”父親を乗り越えて成長していく”話とすれば、今作は”それでも父親はいつだって見守ってくれている”話
(ある映画のⅠ、Ⅱと同じ内容な気もするのは、きっと気のせいです)

不和と不信をのりこえ、やっぱり父はすごいと、クライマックスで”親子”大仕事!は奮い立ちます。
世界の危機を通じて、理想の親子像が描かれています。

逆「陸王」!?

悪と善の立ち位置もコロコロと変わり、価値観が二転三転する中、いや結局一番大事なのは”そんなのは映画を観終えて考えればよし!”でも、”自分の何を守りたいか”そこだけは絶対正義”だよね、と浅いスパイ映画の様で、ちゃんと深い内容になっています。

この冬、未見の方は、時代は世代交代だよ!で賛否の、あの宇宙大戦映画シリーズ最新作も良いですが、ぜひ本作も、鑑賞の選択の一本にいかがでしょうか?

ちなみに・・・本作からでも大丈夫!・・・・・・
・・・な訳なく前作は観ておきましょう。

 

よく、映画評論家が「今作からでも大丈夫」とかいいますが、リブートや、スピンオフならともかく、少なくとも、シリーズとして伏線がはられたものに関しては、ちゃんと「前作から見ておきましょう」というべきだと思うんですよ。

 

二作目を先に鑑賞すると、下手すると一作目の重要なことが”ネタバレ”ですよ。

それに、ストーリー、繋がらないことも多いですよ。

「それでも良いのであれば、今作から観ても、一応は楽しめるので大丈夫です」

ほどには言っておいた方がいいと思うのですが・・・・・・。

 

ということで、結構1作目から見ておくと、より楽しめるし、わかりやすいことも”続編”ですから、多いので一作目をまず・・・・・・

 

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観てきました!

「キングスマン ゴールデンサークル」

若手映画評論家等には、007的映画と紹介されてますが、「0011ナポレオンソロ」やら「電撃フリント」やら、これまでのスパイ映画の要素をテンコ盛映画。

「仕立て屋」が実はスパイ組織、というのは、クリーニング屋が実はスパイ組織という「ナポレオンソロ」そのまま。
(「ナポレオンソロ」の日本版的な作品が、あの円谷プロ「マイティジャック」)

とはいえ、0011の原案も一応007を書いたイアン フレミングで「フリント」はアメリカ映画が007をパクった映画なので、結果的には007的映画という理屈は成立(汗)。

監督のマシュー ボーンは一時、自分が「ナポレオンソロ」を演じていたロバート ボーンの息子だと本気で信じていた時期があった様で、まさに撮るべくして撮ったシリーズと言えるのではないでしょうか?

最近はリアル志好が高まり、本家でさえ「スペクター」まで、秘密兵器等のケレン味(インチキ臭さ)を抑え気味だったのですが、やはりスパイ映画はケレン味あってこそ!

奇想天外な作戦で”金相場の操作”やら、”エコのための人類淘汰”やら、”その悪の計画、実はいい人じゃん!”な敵等もいてこそ盛り上がるというもの。

そして本作、1作目しかり、その総てが詰まっています。詰まり過ぎています。

敵の名前が”バレンタイン”やら”ポッピー”って、実はヒロインの名前が下ネタだったり、キラキラネームすぎる名前だったりする、まさにイアン フレミング調の再現。重箱の隅までのこだわりです!

この映画の原作はマークミラー、監督はマシューボーン。ちなみにこのコンビの作品にはアメコミ映画の傑作「キックアス」もあります。

ところで、映画と違い、目の前の現実は何も変えられない結末の「キックアス」原作ですが、三部作を経て、本来着るべきコスチュームにたどり着くエンディングは感動なので、ちょっと万人向けではないとはいえ、ぜひ原作も読んでみてくださいませ。求!映画三作目!

そういえば、「キングスマン」も着るべくコスチュームに行き着く話ではあります。

で、このマークミラーという作家は、基本、ボンクラが何かの切欠で目覚めて、父親的存在を乗り越えて、使命を果たす、みたいな話が多い訳で「キングスマン」一作目も、まさにそんな話でした。

ちなみに、アンジェリーナ ジョリー主演扱いで映画化された「ウォンテッド」も、マークミラー原作で、ほぼそんな話。
原作「ウォンテッド」は、主人公はなんと(スーパーマン的なヒーローも倒したっぽい)最強のスーパーヴィラン(アメコミの敵)の息子。

こっちが良かったのに、映画では・・・。
(余談ですがアメコミヒーロー同士の内紛を描いた「シビルウォー」も、マークミラーが原作のストーリー担当)

閑話休題。
で、今作「ゴールデンサークル」の感想ですが・・・・・・

・・・がんばりすぎて長くなったので、後編につづきます。すみません。

 

 

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・・・という訳で、すっかり長くなってしまいました、「必殺!RON」のつづきとなります。

 

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「必殺」シリーズは、実は時代劇のアンチテーゼ。

(コンセプトはウェスタンですし・・・・・・)

 

仕置きした悪人にも家族がいて、その家族にとってはやっぱり最高の父親だった・・・・・・のかもと、苦しむ
悪徳政治家を仕置きした結果、その政治家がやろうとしていた、日本にとって重要な政策が遅れる・・・・・・ことを知り、苦しむ
裏家業はばれちゃいけないので、表は駄目人間を徹底しなければならない・・・・・・ことでリストラされそうになり苦しむ
拷問される仲間でも、他人のふりして見殺しにする、おまけに、自分もほぼロクな死に方ができない因果応報・・・・・・で苦しむ
絶対許せぬ悪をうったことで、役所にばれて、愛する家族に別れもいえず、捨てて旅立たつ・・・・・・で苦しむ

あと、制作スタッフの手腕による映像美で華やかで、かっこいいと誤解されがちなのですが、
そもそも、一作目「必殺仕掛人」の西村佐内を筆頭に、構成員に意外と多い、サイコパス。
(西村佐内=趣味:辻斬り)

花の八百八町な時代劇が避けてきた色々を描いているのです。

そもそも、金もとらずに、どこぞの暴れるだけ暴れて、しっかり一番の悪は”自分の手を汚さずにきっちゃう”将軍様とも違い、浮世の鬼を退治てくれる侍とも違い・・・・・・
悪を倒し、斬って世直し!!などと浮かれることなく、上記総てを背負う運命を覚悟して仕置きしている訳です。

法で裁けぬ人を罰する・・・・・・とはすばらしいことの様ですが、自身に相応の責任を背負う覚悟もないなら「やめとけ、やめとけ」なのです。
・・・・・・昨今、SNSや電話で、匿名にて気に入らないこと、許せないことを個人名をあげて「我に正義あり」と、(仕置人気取りで?)”匿名義賊”る人々が増えていますが・・・・・・

正義を勘違いしていませんか?”正義”の代償の色々を背負う責任と覚悟はあるのでしょうか?
ほら、「必殺シリーズ」は現代にも通じるテーマを扱っているでしょう?

「はした金に命を賭けて他人様の恨みを晴らして何が残るンだ。皺だらけの顔とひン曲がった背骨だけだ(「THE 必殺」より)」
闇の正義執行人は、みじめなんです。
このみじめさ・・・・・・そして

「こりゃぁ、先の長い汚ねぇ仕事だ。向こうが悪なら、俺たちはその上をゆく悪にならなきゃいけねぇ。俺たちゃ悪よ、悪で無頼よ。なぁ、鉄。・・・磔にされてもしょうがねぇくらいだ。ヘヘヘヘヘヘ(「必殺仕置人」より)」
結局、この台詞を言わせられるか、どうか・・・・・・

このアナーキズムが描けてこその「必殺」シリーズ的な作品なのですよ。

「必殺」シリーズは、まだまだ語りつくせてない!なので、また別の機会に!

 

 

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法で裁けぬ許せぬ悪を、金で請負い闇に斬る!

 

池波正太郎先生が「仕掛人 梅安」ドラマ化に始まり、独自に発展した「必殺シリーズ」。

 

管理人も大好きなもので、TVシリーズ、スペシャル、劇場版・・・・・・全部、DVD-BOX購入の人ですよ。

 

 

朝日放送から感謝状をもらってもよいかと思います。

ちなみに、「男はつらいよ」も全部もってますので、松竹からも感謝状をもらっても良いのでは等と思ってしまいます。

 

それはともかく

この作品形式というのは、かくも日本人の心を響かせるのか、手を変え、品を変え繰り返されてきた題材です。

かくいう管理人も、以前の仕事で、このフォームの作品をで作品を創ろうとする方を何人もみました。

 

たとえば(手垢がついているにも関わらず)現代版とか・・・。

 

ちなみに、”現代版の仕置人”とかの挙句の作品って、一定周期で出現しますが、そもそも「必殺」シリーズ自体、時代劇のフォームで現代劇を創っている訳で、現代版って売りにならない気もするのですが。

(本家も一回だけ”遊びで制作”というコンセプトで作ってたりしますが)

 

しかし、なにより、どうもこの「必殺」シリーズを勘違いしている場合も多い。

 

”許せぬ悪を討つ、闇の正義の執行人”

表面だけなぞれば、そんな勧善懲悪。

まぁ、確かに、バラエティというか、ご家族で安心して見られる様になっている(?)後期シリーズにはそんな話もあります。

 

しかし、実際のところ、この「必殺」シリーズ、そんな簡単な二元論では終わらない話なのですよ。

 

そもそも、人を殺せば結局、外道。やってることは、”的”(殺しのターゲット)と同じ。違いは、金を受け取り”仕事”としてやっているだけ。

正義や悪は無く、あくまでビジネスライク。

 

”的”の値段をセリに掛けたり、金額に納得がいかずに駄々をこねたりします。

あくまで、商売なんです。

 

その辺り、新作〈2016〉の遠藤憲一さんの、陣八郎はよく描けてました。

命乞いをする悪党に、金額相応の面倒くさそうに対応する辺り、、、

 

なので、よくある、お金をもらわず仕置き、というのはなんだか美談に見えますが、本家に言わせると”ただの人殺し”。その境界を「銭を受け取るか、受け取らないか」でかろうじて分けている訳です。

 

わかりましたか?お金を受け取らないで、仕置きしちゃダメなんですよ、パチモン作品。

 

さらに、「必殺」シリーズは、実は時代劇のアンチテーゼ。

(コンセプトはウェスタンですし・・・・・・)

 

・・・なのですが、予想以上に長くなりそうなもので、<次回につづきます・・・・・・>

 

 

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