<<前回からのつづき>>
という訳で、「ゾンビーノ」の紹介です。
と、その前に・・・・・・
「俺が、伝説の化け物なのだ!」
とは、最近はウィル・スミス版が一番知られている、リチャード マシスン「地球最後の男」のオチですが・・・
まぁ、もう、有名なラストなので、ネタバレにはならないと思います。
とにかく「地球最後の男」でマシスンが描いたのは、吸血鬼という化け物が新たな人類で、昼間に徘徊し安らかに眠る人々(吸血鬼)を殺してまわる生き残りこそ”伝説の怪物”になっていた、という、数の逆転による価値観の逆転でした。
(ウィル・スミス版は、このすばらしいオチがよくわからんことになってましたが・・・・・・)
ロメロは「オブ ザ デッド」シリーズを通じて、ゾンビそのものの滑稽さ、はかなさ、悲哀をも描き、生ける屍とは、現代人そのものであり、自分たちとなんら変わらぬ存在であることを表現しています。
これは・・・・・・
「・・・オブ ザ デッド」三部作を当初、「アヌビス」三部作とし、同様にマイノリティの逆転を描こうと構想していたそうで、その構想は「死霊のえじき」の、知性を取り戻しつつあるゾンビ、バブを通じて、新たな”生ける屍”の可能性を広げることで、おそらく時系列的にほぼ同時期の「ランド オブ ザ デッド」で、最終的には共存の可能性を描き、あくまでも今の世の中の物語だということなのです。
さて、この辺りをまずご理解頂いてからの・・・「ゾンビーノ」。
時代はゾンビとの戦争が、人類の勝利に終わり、発明された特殊な首輪でゾンビを奴隷にできる世界を舞台にした、ゾンビ版名犬ラッシー、または子供が主役ほのぼのゾンビ。
「ペット オブ ザ デッド」
こう書くと、いわゆるよくある、パチモノゾンビ系の様ですが・・・・・・
(古きよきアメリカの風景を通じて、一般的なファミリー映画的表現というのもあるでしょうが)
1960年代のアメリカ風の美術設定からして、おそらく製作者の頭にあるのはアフター「ナイト オブ ザ リヴィングデッド」(1968年公開なので)。
いわば、まさに「ナイト オブ ザ リヴィングデッド」のその後の”もしも”になっていると思われます。
しかし、”ちかごろ流行りのゾンビ”といえば、スタイリッシュで、派手で、スペクタクルで、アポカリプト。
もはやホラーなのか、アクションなのか、よくわからないものが多い中、果たしてこんな子供が主役の、牧歌的で地味で、ゾンビである必要があるのかわからないテーマの映画が面白いのか、不安になります。
安心してください。
全て、裏切られます。
その不安要素が全て、逆によく活きています。
ゾンビ戦争というものが生み出した世界観、生じた人間の歪み、ポジティブに見えて、実は装いたがる脆弱な世界。
生命の重みに無頓着な子供の視点だからこそ描かれる、罪がない、ポップで残酷な描写。
もちろん、ゾンビの感染の恐怖、ゾンビによる大虐殺・・・・・・。
さらにロメロが描いた、滑稽で悲しいゾンビの存在、そして”バブ”の可能性を更に広げ、恐れが混乱を生み出し、その恐れない、理解しようとする気持ちを持った者(今回は子供)こそが種族を共存させるところまで描いています。
この映画で描かれているゾンビとは、首輪で繋がれ、各家庭で人間性を否定されてきたマイノリティ、例えば”アフリカ系アメリカ人”を描いているのは間違いなく、
・・・そう考えると、”ラッシー”というよりは”アンクル トム”なんですけど・・・
ともかく、実に正しくロメロのゾンビ映画の精神を受け継いだ、直系の子孫。
そして、著作権事故で乱発された「ナイト オブ ザ リヴィングデッド」の、正当なパラレルワールドとして、新たな一石を閉じた作品と言えるのではないでしょうか?
・・・という訳で、まだ未見の方はぜひ!
あのドラマとはまた違う、ゾンビの世界を垣間見れます・・・
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