岡山で迎えた朝。

結局、夫とのことや、これからのことが不安すぎて

ぐっすりと眠れずにウトウトしただけだった。

 




オーナーの男性から何度か夜中にメッセが来ていた。

 

 

 

「まだ起きているなら、こちらに来てみませんか?」

「寝ていますか?」

 

 

ひさしぶりの客なのか、同じくらいの女性が珍しいのか
ちょっとしつこくて嫌だったから

ゆっくりする予定を早めて朝早く出発することにした。

 

 

 

 

 

とても素敵なところだったけど

こんなに関わられると、もう2度と来ないかな。。。




早く出るとメッセして、挨拶もそこそこに車に乗り込んだ。



オーナーは


「もし、こちらに移住するのなら何でも相談に乗りますので
連絡くださいね。」

 

と親切に言ってくれたのに

今のわたしには受け取れない、余裕がないから。ゴメンナサイ。

 

 

 

 

 

 

人にはそれぞれコップがあると思う。

 

 

コップの中に愛が満たされているなら

人にも愛を分け与えることが出来るけど

 

コップの愛が枯れてしまったら

誰にも、自分にも思いやれる余裕が無くなってしまう。

 

 

だから、わたしは1年くらい泣いて暮らしていた。

何かをする氣力も無く

笑うことさえ出来ずにいた。

 

愛を使い果たして、補充もされず

 

一滴も残っていなかったから。

 

 

 

 

そのコップを満たしに旅に出た。

 

自然にまみれて

綺麗な景色を眺めて

澄んだ空氣を取り込んで

余計なことは考えずに運転し

好きな時に好きな場所で車を停めて

ぼーっとする。

 

 

 

なんにも感じなかった心が

 

少しずつ「綺麗だなぁ」とか

「美味しいなぁ」とか

 

ほんとに少しずつ感じるようになってきた。

 

 

人と会話するのも億劫だったけど

 

「ありがとう」くらいはちゃんと言えるようになっていた。

 

 

 

次に向かったのは香川だった。

 

古い友人に会い、田舎暮らし、仕事のことを聞く。

 

田舎には仕事がないようだ。

 

専門職でもなく、資格もなく、若くもないわたし。

 

 

お金もそんなに無いから

どうやって暮らしていけるんだろう。

 

 

 

 

次の予定は高知だった。

 

高知に入った途端、

 

「あ、わたしここが好きだ」

 

って思った。

 

民泊を3泊予約していた。

 

やっぱり誰にも会いたく無いから一軒家をひとりで借りた。

 

 

オーナーは若い女性だった。

 

至る所に置かれる氣配りのあと。

 

 

温かいメモとともに果物が置いてあり

ゲスト用にオーガニックのハーブティがたくさんあったり

シャンプーや歯磨き粉など日用品もすべてオーガニックで揃えてあった。

 

 

 

民泊って経費を抑える所がほとんどで

一番安い最低限のものしか置いてないのに

 

自分が使うものと同じものを置いてるんだろう。

 

意識が高いなぁと感心した。

 

 

 

このころのわたしは感度の鈍ったラジオみたいで

時々、電波が入るくらいで

ほとんど何もキャッチしない、

ただの「箱」だった。

 

 

もう一つ例えるなら

氣持ちに白いモヤがかかっていて

 

自分であって自分でない、というか

 

自分の心がどんなになっているか

わからない感覚だった。

 

 

 

とにかく、本来の自分に還りたかった。

 

今、ここにいるわたしは、、、誰?なんだろうか。。。

 

 

 

 

 


発達障害への理解をお願いします

 

 


ADHD(注意欠陥・多動性障害)ランキング

 

 


ランキングに参加しています。宜しくお願いします!

 

 


カサンドラ脱出出来るまでお願いします!

 

 


アスペルガー症候群 への理解を深めるために