母が旅立ち30年あまり。
未だ母に対する申し訳なさが
残ってて、たまに思い出しては
涙する時があります。
あの暑い秋の日。
私はすぐに良くなると信じていました。
個室で横たわる母を黙って
見守る以外になかった。
病気の原因も分からず
父と兄しか知らされず、
私には一切知らぬまま。
意識無くなった母が
私の手を握ったまま離さない。
ホントに母は私の前から消えて
帰らないのか。終わるのか。
まだあんた40歳台やぞ。
私が結婚して子供抱っこするまでは
いろよ!!と。孫をその手にとれよと。
叫ぶ私がいて、言葉を発せない
母がそこにいる。
この時は身体にガンが至るところに
転移していて、今で言う末期ガン。
終末期医療なんて言葉も
医療技術も進んでないから
ただ、延命し母の体力や気力に
賭けるしか無かった時代。
この数日前には窓から
一緒に花火を見て、実家より都会やな
と笑いながら冗談交わした。
この時は私もガキだったよ。
でも、疎外感は感じたね。
オヤジから兄からお前に話してもなと
言う空気は漂わせたからな。
病室で私の手をしっかり握って
離さない母は意識はなくとも
私をしっかり守っていてくれていた
様に見えた。まだ心配してくれてた。
嬉しかったけど、悔しかった。
母に何も出来ないしただ握った手は
カサカサでゴツゴツして
女の人の手じゃない。苦労した手。
あんな父の為、私の為に苦労した手。
ただ握る手はスゴい強かった。
しっかり握った。握り返した。
その手を離し、母は集中治療室へと
移された。
そして
母は力尽き旅立った。
母が亡くなり10年が経った頃に
バカ親父から聞かされた、原因。
ガンと言う病気と子宮筋腫も昔患って
いたと言う話。
今更感は強かった。
でも、母は私を最期まで心配し
気がかりだったんだろう、手を何度も
握ってくれた。
言葉はでなかった。話せなかった。
握り返したその手が全部だった。
母が煙となり空へ行き、
骨が遺る。
コレでホントにいなくなった。
お墓と京都のお寺に分納骨されて
にこやかに笑う母の遺影。
何度も通った京都の街。
慣れ親しんだ地元の墓。
そこで手を合わせるしかないけど
30年あまり、短いかな?長いかな?
見事に年食って足腰やられて
大腸腫瘍まで患った爺さんになったよ。
あんたの孫は今年で16歳なったよ。
私は母さんと同じ墓には入れないし
みんなと同じ様な所にはいられない
多分、知らない所で葬られるだろう。
でも、それで良いと思ってる。
悲しいけど、嫌われちまったからね。
みんなから。
好まれるのも嫌われて生きるのも
世の中難しい。
人に迷惑かけるなってあんたは
よく話てたよね。
いっぱい迷惑かけたよ。あんたには。
ごめんなさい。
暑い暑い秋の日が来る度に
母を思い、悔やんでます。
こんな私を世に出してくれて
ありがとう。
わがままばっかりで申し訳ない。
またお墓へ行きますね。
今年も秋が終わります。
遠い空の上で
バカでどうしようもないオヤジ
見かけがヤクザのような風貌の兄
わがままで金食い虫の元嫁
わがままで育った娘
そして、捻くれてしまった私。
死んでからも迷惑かけるけど
そちらで見守ってやって下さい。
また話そうね。おふくろ。