こんばんは。
北陸地方は、例年より9日早く梅雨明けしました。
梅雨入りも例年よりも遅かったので、
今年の梅雨はとても短かった印象です…。
さて、それはそうと、
もうすぐUMIマスターコース14期の募集が始まりますね〜。
ということで、今日から何回かに分けて、
私がUMIで学んでみたいと思ったきっかけについてや、
学びの中で気づいたことなどを書いていきたいと思います。
つらつらと思うままに書いていくので長くなるかもですが、
UMIマスターコースについて気になってる方や
迷われている方の参考にでもなればなぁと思っています。![]()
では今日は、まずきっかけから…
そもそも私が心理学を学ぼうと思ったきっかけは、長女の鬱と、長男の不登校だったのですが、
私自身、両親の不仲・暴言暴力の中で育った経験があり、
生きづらさをずっと抱えながら生きてきた状態でした。
10年ほど前に、【アダルトチルドレン】という言葉を知ったことで、
自分がこれまでずっと生きづらかったのは
自分がダメなせいではなかったんだなぁと思えるようにはなったのですが、
とはいえ、具体的な解決策は、なにも見つけられないままでいました。
でも、自分がいわゆる『良い人』でいることで、
特に大きな問題もなく、うまく生きているつもりではいました。
そんな中で突然起きた(今思えば兆候は多々あったのですが…)
子供たちの鬱や不登校。
自分だけのことならば、生きづらさを見て見ぬふりしながら生きていくこともできましたが、
こうなった以上は、もう向き合わないわけにはいかないと感じました。
その時の詳しい経緯はこちらに記されております…
アドラー心理学では、いわゆるトラウマの存在というものを否定しています。
例えば、
学歴がないからお金を稼ぐことができない
のような
AだからBできない
(もしくはAではないからBできない)
というような論理を
アドラー心理学では
『見かけの因果律』
というのですが、
一見、因果関係があるようには見えるけれど、必ずしもそうなるとは限らないということです。
過去の出来事自体は変わらなくとも、
その出来事にどのような意味づけをするかは本人次第であり、
過去に不幸な経験をした人が、全員必ず不幸な未来を送るわけでは決してない。
その考え方に、なるほどなぁ…とは思うもの
なら、生い立ちの不幸(…というほどでもないなと、今なら思うのですが、当時は深刻にそう思っていたのでこう書きます)を理由に生きづらさを抱えている私は
結局甘えているだけなんだなぁと
自己肯定感はますます下がるばかりでした。

これは、本来なら
過去にどんなに不幸な経験を持っていたとしても
今これからを幸せに生きることには何にも関係はないし、
みんな当たり前に幸せに生きていいんだよ
という、愛あるメッセージに他ならないのですが、
ネガティブな眼鏡をかけていた私にとっては、
こんな愛あるメッセージすら
自分責めの材料にしかならない状態だったのでした。
過去のつらかった出来事の意味づけを変えることで、それを思い出す本人の今が変わります。
UMIに興味を持ったのは、
UMIでやっている『書き換え』という作業が、
過去の悲しかった出来事を丁寧に書き出していくことで、
まさに過去の捉え方自体を変えてしまおうという手法だったからです。
認知は書き換え可能である。
第一印象が最悪だった相手でも、
話してみるとすごく良い人で、その後ふつうに仲良くなった
なんてこと、きっと誰にでも経験あることですよね。
過去の悲しかった出来事も
こんなふうに書き換えられるのであれば、
これからの現実が変わらないはずはないよなぁ…。
UMIのいろんな講師の方々のブログを読んでそう確信し、
この手法を学んでみたい!!
そう思ったのでした。
猫って、みんなこんな寝相なのかな?それともウチの子だけ??(笑)

