永遠の別れ…懐かしすぎる再会 | お気楽母のつぶやき

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でも、つぶやきでは済まないかも・・・。

火曜日早朝、いつもだとスッキリ起きて何かしら動いてる時間になんと寝てた。

スマホが鳴り飛び起きた私・・・。

早朝だと言うのは分かっていたが、いったい誰が・・・。

田舎の従姉の姉からの電話で、亡き父の弟が今朝5時前に旅立ったと…。

従姉に連絡してきた叔母も、まだ1時間たたないぐらいだったからかなりパニック状態だったと・・・。

丁度、4時前に目が覚めてスマホの表示を見てあと1時間だ・・・

と思いながらウツラウツラしてたらしっかり変な夢見ながら寝てたんです。

だから従姉が言ってることが最初理解できずに・・・。

そのうち意識がはっきりしてきて、言われてることが理解できたものの終にダメだったか・・・と。

特老と病院を行ったり来たりすること2年、その間に何度か危篤になったりしたが持ち直してくれたいた叔父。

昔から、餡こものの和菓子が大好きなこと知っていたのでタイミングを見ながら送っていたんでした。

亡くなる1週間前にも、和菓子を食べさせてあげてくださいと言って送ったばかりでした。

電話の時点ではまだ何にも決まってないので、決まり次第連絡をして貰えるようにしていったん電話を切り、主人に「叔父が亡くなった…と」。

多分明日がお通夜で・・・と思い、帰省する用意を始めました。

主人も叔父とは仲良くしてくれていたので帰ってくれると。

お昼過ぎ、今後の日程が決まったと連絡が来たので夕方には出発できるようになっていました。

叔父が亡くなった日は、我々が住む地域は台風襲来のような土砂降りと強風が吹く天候でしたが、お昼過ぎには午前中の荒れ模様が嘘のように晴天となり九州を目指す我が家にはほんと助かりました。

あのままの天候だったら高速道路上で通行止めに合いパーキングで丸1日過ごす事になりかねない天気でした。

午後6時前に自宅を出て、途中で車中泊して翌日午前11時前インターを降りて従姉と連絡して午後2時過ぎにお自宅の駐車で再会することに。

亡くなった叔父は、私の亡き父の弟になり7人姉弟の一番末っ子でした。

一番上のお姉さんと叔父とでは年齢差が20歳以上あり、甥っ子や姪っ子が叔父より年上となる事もあったので親族関係を把握するのがかなり難しかったですね。

叔父は亡くなる前日には体調も良くお風呂に入り夕食もしっかりと食べて就寝したんだとか。

それが早朝、容態が急変治療したものの帰らぬ人となってしまいました。

死因は、「誤飲性肺炎」が原因だと思われると。

私の一族は、呼吸系がかなり弱く「喘息や蓄膿症・気管支炎・肺炎」など普通でも頻繁にかかる一族でした。

私にとっては、父が早くに亡くなり叔父は私の父がわり的な存在でした。

叔父の存在が無くなる事は、私にとってはかなり辛いことでした。

お通夜が始まり受付に居たので、懐かしいお名前を見る事が出来ました。

従姉たちとも20年から30年ぶりの再会となる人もいたし、年長の叔母の子供さん方とは本人の名前を聞いてもピンとこず、叔母の名前を確認してはるか昔に子供の頃の記憶をよみがえらせることになりました。

四半世紀ぶりに、我が家によく遊びに来ていた従兄と懐かしい再会もありました。

私の記憶の中の小父(年齢が30近く違うので・・・)で名前で呼ぶのが失礼に当たらないかドキドキでしたが、私の事を覚えておいでで喜んでいただけました。

子供の頃会っただけの従兄姉達とも会う事が今回できて亡くなった叔父に感謝しました。

出来ることなら叔父が元気な時に再会したかったと・・・。

お通夜が終わった深夜に雨が降り始めて、明け方からは土砂降りの雨・・・。

何も今日こんなに雨が降らなくってもいいモノをと。

60年以上柔道に携わっていた叔父のお骨は、それは見事なぐらいしっかりしていたと収骨に参加した主人が言っていました。

年の近い従姉とは、携帯の番号を交換して戻ってきたら「飲もうね」と約束しました。

私はほぼ飲まないけど主人がお付き合いできるのでその時に・・・と。

亡き父の姉弟で残るは、すぐ上の叔母だけ・・・。

今、96歳。

病気もせず自分の事は自分で出来る生活を娘夫婦と暮らしています。

叔母にはほんと可愛がって貰いました。

自宅に居るより叔母の家で過ごすことが多く、従姉達とも仲良くしてもらって末っ子の妹とみたいに過ごさせてもらっていました。

弟が今回亡くなり、叔母(亡くなった叔父と一回り違い)が気落ちせずに過ごせるといいなあ・・・と、そればかり願う私です。

甥や姪の中では、一番若い年になる私。

不幸事での再会は辛いです。