怪しげなサムネである。まあ怪しげなことをしているので妥当ではある。



私が時たま書く阿部敏郎さんとボブ・フィックスによる対談みたいな形になっている。別に彼らがやるイベントやその話の内容には特には触れない。



今回記事を書いたのはこの動画内でボブ・フィックスのマントラ音楽が使われているからだ。時間にして30分くらいだろうか。このブログでたびたび彼のマントラ音楽の紹介をしているので、「そもそもどういったものなのか」というのを知るにはもってこいである。



今回は大勢の瞑想初心者などもいるので比較的ソフトで効果が薄いものを用いている。私が紹介してきたものはこれの数十倍のストレス発散効果のあるものだ。これで興味が湧いた人は購入してみるとよいかもしれない。私には一銭も入ってこないが。



この動画の終盤で「うちの9歳の子供がいつもは10分しか瞑想できないのに今日はずっと坐ってられました!」なんてエリートのガキがいることがわかるが、こういったガキも時代の必要性なのだろう。こうして書くと「2023年、世界のありとあらゆるところで混乱が起こり、戦争が起こり、貧富の差が起こり、自己承認欲求が乱れ飛び、岸田政権が日本を牛耳っているから」バランスをもたらすためにこういうガキが産まれたように見えるが、ことの端末はもっと前にある。



どれくらい前か? と言ったら宇宙が誕生した137億年前だ。その時点でこういうガキが産まれることは決まっていた。本に例えるとわかりやすいだろう。今私たちは137億ページ目の物語を生きているが、このページだけを切り離すと「世界が、岸田政権がこうだから」こういうガキが産まれたという因果関係があるように見える。が、この本は既に137億年前に書かれており、そこには因果関係があるというよりは「そうなるようにそもそも書かれていた」という方が正しい。



こう書くと宇宙には一通りのことしか起こらないという強い思い込みが生まれる可能性がある。それはある一面において正しいのだが、私たちにより良い未来がないという意味でもないのだ。





この記事で書いたように、ある未来の地点において振り返ってみれば「そうなるようにしかなっていなかった」としか言えないのだが、「宇宙本来の自然なプログラム」と「エゴに、社会に従ったプログラム」とによる二つの世界が起こりうるのだ。もちろんその選択をする自己がいない、そういった出来事すら宇宙が誕生した時に既に決められていたというのが事実なのだが、それによって我々の未来が全く分岐しない、ということにはならないのである。



人類が誕生したのが今から20万年前らしい。本でいえば136億9880万ページ目のところだ。ここから「宇宙本来の自然なプログラム」と「エゴに、社会に従ったプログラム」との二つの世界線が現れた。それまでは「宇宙本来の自然なプログラム」しかない。もし仮に、そしてこの仮にというのがあり得ないのも事実だが、その136億9880万ページ目から人々が瞑想し、自然に従っていれば現在の137億ページ目ももっと豊かに、美しくなっていたのだ。



ヒトラー、ムッソリーニ、毛沢東、ゼレンスキー、安倍晋三、岸田文雄…これらの人は産まれるべくして産まれたし、この人たちによって殺された人も殺されるべくして殺された。そういう風に0ページ目に意図されたからだ。だからといって「もうどうしようもないね」と言いたいわけじゃない。私たちは、現地点の私たちからは「宇宙本来の自然なプログラム」に戻す選択ができるのだ。



瞑想をし始めて10年になるが、私の身の回りでありとあらゆることに整合性が取れてきている。私の肉体に必要な環境、物資、人間…。私は高校生の頃から「30歳までには自殺したい」と願っていたような虚無主義だったし、それは覚者との奇跡的な縁が生じた後も変わらなかった。そんな私ですら「宇宙はこんなものを用意してくれていたのか…しゅきぃ」と宇宙に脱帽するくらいなのだから、「宇宙本来の自然なプログラム」というものがどれだけ優れたものなのかがわかるだろう。



この137億ページに渡る本は本来はめちゃくちゃ美しいのだ。聞いたことがある例えかも知れないが、地球に生命が誕生する確率は「25mプールの中に腕時計の部品を投げ入れて、水の流れだけで腕時計が組み上がっていた確率と同じ」とか「廃材置き場の上を竜巻が通過したらジェット機が組み上がっていた確率と同じ」などと言われる。ミクロの視点で言えばこういったことがあるし、マクロの視点で言えば、そもそも「137億ページ分書かれているのにこの本は消失していない」というのが奇跡なのだ。



だからこの本を書いた人、おじさんなのかおばさんなのかJ・K・ローリングなのかは知らないが、とにもかくにもその人はそれだけ美しく長い物語を書き上げるだけの胆力があるのだ。だからもう少しだけその人を信頼して生きてみてはいかがだろうか、その人もきっと喜ぶに違いない。




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