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おはこんばんちわ!


「靴に噛まれる」とは言わない 和歌山県民の工場長です!



工場長は 今までに2回 死を覚悟したことがあります(大層なことではない)


1回目は 中学生の頃 近くの海で 貝獲りや魚を突いていた時のこと


ウチの近くの海は 岸から7~8メートルの所で 急に深くなっていて


遊泳禁止になっている海岸なんです!その日は波が高く 非常に危険な海でした


工場長がひとりで海に入っていた時 高波にのまれ海の水を飲んでしまいました


パニックになり岸に戻ろうとするのですが 引き潮の力は強く戻れません!


そのうち 息が苦しくなり 「助けてくれ」と叫んだものの 


岸の友人たちは 「またそんなこと」と言って笑っているだけでした


人間は死ぬ前に 今までの人生が走馬灯のように見えると言いますが


本当です!ほんの数秒のことなんでしょうが いままでの人生や両親の顔が・・・


「もうだめだ」とあきらめた瞬間 より大きな波が来て足が着く所まで流されました


急死に一生というか 神様が「まだ早い」と言って押されたみたいな気がします


あのまま死んでいたら こんな天気に泳いだ「アホな中学生」で終わってたはず!



そして2回目が 18年前の「阪神淡路大震災」が起こった時


あの日 もちろん就寝中でしたが 物凄い轟音で目が覚めました


そのあとスゴい揺れが来て 目は覚めているものの起き上がれなかった


というか 起きても無駄だと思った!もう家が潰れる 瞬間的にそう思った


この時は 本当に死を覚悟しました!


やがて揺れもおさまり 何事もなかったことに安堵しました


当時はまだ 今のように地震速報が流れることがなかったので 普通に出社


「えらい大きな地震だったな」と 和歌山で起きた地震だと思っていたんです


ウチの工場は あの年から営業を開始しました!


某ディーラーから ヘッドハンティング?されて来た工場長 入社は年末でしたが


仕事を始めたのが 正月明けの7日くらだと思うので わずか10日後の事です


その時はまだ 工場にはテレビもラジオも無く 状況はまったく知らなかった


やがて 「神戸の方がえらいことになってる」という話になってきました


その後は みなさんご存じの通り 悲惨な現状を目にすることになります


自宅も 工場も 何の被害もなかったのですが


ウチの工場近くの 修理屋さんの奥さんが 娘さんの出産で神戸に行っていて


そこで被災し亡くなりました!あと何日か 出産もしくは震災がズレていればと


当時は よくそう思ったものです!運命という言葉で片付けられません


震災から1年以上経ってから 神戸方面に行ったのですが


マンションの下敷きになったままの車が まだ放置されたままでした


その時は 「いつになったら復興するんだろう」と思った記憶があります


復興といえば 一昨年の9月 和歌山と奈良で起こった集中豪雨災害


山間部の復興は 一向に進んでおりません!


土砂ダムが決壊するかも?って時は テレビの取材もありましたが


決壊を免れたあとの報道は いっさいありません!


土砂はなくなったわけではないんです!まだ何か所も 手つかずで残っています


何十キロも下流から ウチの近くの海岸に打ち上げられた 


牛たちの姿が忘れられません!もう2度と災害は起こって欲しくありませんが


そういう訳にもいかないのが現実です!災害に対する準備だけはしておきましょう



今回は ちょっとしんみりしましたが 関西人として書いておきたかった


阪神淡路大震災で お亡くなりになった方の 冥福をお祈りします