同性愛を禁じているキリスト教の男性司祭による少年への性加害事例の多さは際立っています。
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(クーリエ・ジャポン) - Yahoo!ニュース
配信
「聖職者による性的虐待」の被害者が初めて教皇の前で証言(クーリエ・ジャポン)
略
現在63歳のジアンは、11歳の少年だった頃、南アフリカの寄宿学校である司祭から数ヵ月にわたって性的なグルーミングを受けた。そしてある朝、「沈黙の叫びのなかで、どんな子供からもけっして奪われるべきでないものを、彼は私から奪った」とジアンは言う。
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たまたま今回の被害少年(当時)が長じてオペラ界のレジェンド歌手になったから、このようにメディアで大きく取り上げられていますが、この事例にかぎらず同性愛を大きな罪とみなす一神教司祭による無名の方々の被害やその頻度を考えれば、加害の構造はすさまじいものとなりましょう。
大聖堂での正式な祈りの集いで語たられたというカトリックの司祭(当時)による信者少年(同)性的被害体験ですが、現教皇はただ、これまで犯されてきた数多くの罪の赦しを請うだけであるなら、何の意味もありません。
可能な限りでのあらいざらいの調査の上、故人であれ生存者であれ、不名誉処分を性加害司祭には与えることをしないで何が罪の許しを請うでしょうか。
例えば日本の親のいない子供たちのカトリック系施設にて自らの教え子男児への性加害を続けていたというトマス・マンハルドは死後であれ処分は受けたのでしょうか?
トマス・マンハルドの行いについては
司祭のわいせつ@国内のリンクで参照可能です。