承久記「勢多伽丸の事」(三)一旦は助命が適い、母は狂喜 | mojorのブログ@事件等を教訓に己を律しよう!

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承久記「勢多伽丸の事」(二)

 

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さて大蔵卿法印、勢多伽、一つ車に乗具して遣出せば、母跡に歩(かち)

跣(はだ)しにて、泣くともなく倒る共なく慕ひ行くを、法印、(御いたわしく思して)「車の後(しり)に乗り給へ」と言え共乗らず、六波羅へ行著(つい)て、、勢多伽を先に立て、「御室よりの御使い候ふ」と云い入りぬ。

武蔵守(※北条泰時)出会たり。法印、令旨の趣きを申し聞せければ.(※武蔵守は)熟々(つくづく)と打守りて、「誠に能き見にて候けり。君(※御室)の不便に思し召さるるも御理りに候。左候はば、暫く預け進(まゐ)らせ候はん。此の由を申さり候らへ」と申されければ、

勢多伽が母、庭に伏し轉(まろ)びて泣悲しみけるが、此御返事を聞き起き揚がり、武蔵守を拝み、「七代迄、冥加御座(おはしまし)候へ」とて喜び(けるも理りとぞ思へし、)

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武蔵守の審美眼と思いやりが突出しています。

少年の母の悲しみの極致から喜びのそれへの急転も突出しています。

 

テレビドラマにすれば実に絵になる光景ですが、その後の悲劇がいっそう美少年への不便さを敷衍されます。

 

承久記「勢多伽丸の事」(四)に続けるつもりでいます。

 

追記

承久記「勢多伽丸の事」(四)叔父の言葉で一転処刑に・・