関連
承久記(古活字本)に記されている、勢多伽丸の事を3回か4回かに分けて転載します。返り点のある漢文体の一部は書き下します。旧漢字で転換できないものは現漢字に変えています。
*******************
上つ方の御事はさて置きぬ。下様にも哀れなる事多かりけり。
佐佐木山城守廣綱が子に勢多伽丸とて、御室の御所に御最愛の児有。
「廣綱罪重して切られぬ。其子勢多伽さてしも候はじ。定て荒けなき武士共参て、責進らせ候はんずらん。佐ならぬ先に出させ御座候はんは、穏便の様に候なん」と、人々口々に申ければ、御室「我もさ思」とて、芝築地上座信俊を御使にて、鳴瀧なる勢多伽が母を召て
仰せられけるは、
勢多伽丸七歳より召仕て、已に七八年が程不便に思召せ共、父廣綱が罪深して切られぬ。其子にて遁れるべきとも覚えず。
武士共参て申さぬ先に出さればやと思召すは如何に」と仰せられければ、母承りも敢えず、袖を顔に推しあて涙を流し、
「兎にも角にも御計らひにこそ」と泣き居たり。
勢多伽、今年十四歳、眉目心様・衣紋付袴の着様、世に超たれば、御所中にもならびなけり。
「もしこの人切られ給はば、如何に」と、見る人袖を絞りける。
すみれ付たる浅黄の直垂を着たりけるが、「最後の時は是を着替へよ」とて、朽葉の綾の直垂を給う。
勢多伽、切られん事と聞ば、さこそ心細くも思ひけめ、涙の進みけるをも、さる者の子なればにや
、さり気なく持て成しけるぞ哀れなる。
来馴れ」遊びける稚児達、出会て名残を惜しみ送らんとす。此の程秘蔵せし手本、もて遊び(物)など
くばり与えて、「各、思い出し給ん時は、念仏申しとぶらひ給へと云て、出にけり。
御所中の上下、是を見るに目も昏れ心迷ひ、袖を絞らぬは無かりけり。
以下、承久記「勢多伽丸の事」(二)(予定)に続きます
*******************
前段は「勢多伽丸を差し出せ!」と荒くれ武士らが来る前に先手をうって彼を差し出せば、一命は助かるものとしての彼を目の中に入れても痛くないほど愛している御室(後鳥羽上皇の第二皇子)の展望や少年の母とのやりとりが中心ですね。
後段については、幕府方にとっては重大な戦犯である父に連座して斬首される可能性を知った勢多伽君(14)はさすが武士の子として死を恐れることなく、大切にしていた教材や遊び道具などを同じく御室(仁和寺)に居住し彼のことを案じる仲間の稚児たちに分け与えるなど気丈にふるまう姿は時系列を超えて感傷的にしてくれます。
後半に続きます。
気力と能力があればいつか現代後訳にもチャレンジし追記する所存です。
追記