則孝君(当時12)が塀を乗り越え逃げることができさえすれば・・・ | mojorのブログ@事件等を教訓に己を律しよう!

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当ブログはその目的を防犯および性犯罪被害への注意喚起とします。被害者・加害者両方の悲劇が事件等の教訓から少しでも減る事に寄与すれば管理者冥利につきます。

 

配信

小学女児の両足つかみ、引きずり込んで下半身触る…下着も奪う(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

 

発表によると、容疑者は3日午後3時5分頃、同市の路上で小学生の女児(6)の両足を両手でつかむなどし、近くの住宅の敷地内に引きずり込んで、下半身を触るなどした上、女児が身につけていた下着を奪った疑い。調べに対し、容疑を認めているという。

https://news.yahoo.co.jp/articles/fde7853633714082f416a5cfb6798c4c96209860

 

小金井市で連れ去られ行方不明になっていた則孝君(12)の誘拐殺人です。※則孝君は典孝君とのソースもあります。

以下は事件探求サイトよりの部分「」引用です。(同サイトの正式名称は私の読解では不明でした。当該事件画面のURLの下にトップページへのリンクも貼っておきましょう。閲覧可能は今月末までだそうです。)

 

続けて「死刑囚名鑑HP」の「戦後死刑囚全リスト」 より当事案を一部引用させていただきました。

両HPへは感謝の意を差し上げるところです。

 

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当サービスは2020年9月末をもって終了させていただきます。

昌男ちゃん誘拐殺人事件
1970(昭和45)年10月17日

 

間もなく警察は、土木作業員手配師の加藤治成(45)を誘拐殺人及び遺体遺棄の容疑で逮捕した。加藤は、警察の取り調べで昌男ちゃんの殺害を認め、更に1965(昭和40)年10月に小金井市で行方不明になっていた典孝君(12)の誘拐殺人も自供した。

加藤は、軍隊時代に同性愛を強要されたことから性的な倒錯をきたし、以来子供にいたずらしたり、裸の写真などを撮っていたという。一方で、妻を持ち外面的には普通の生活をしていた。

1973(昭和48)年1月、東京地裁は加藤に死刑を言い渡した。1978(昭和53)年1月26日、最高裁は加藤の上告を棄却して死刑が確定した。1981(昭和56)年に東京拘置所で死刑執行。享年56歳。

http://78.xmbs.jp/ryuhpms73-128801-ch.php?guid=on

※「昌男ちゃん」(享年8)と「典孝君(」同12)が仮名かどうかは現時点まで私の段階では定かではありません。また仮名でない場合、「則孝」君は「典孝」君なのかどうかも現時点まで確証はありません。

http://aph.jp/?55827#111 (トップページ)

 

死刑関連HP「死刑囚名鑑」より「戦後死刑囚全リスト」 引用

 

(1)1966年1月21日、東京都小金井市で、小学6年生・小栗則孝君(13)を同性愛行為の対象として誘拐し、同都三鷹市で、荷造り用紙紐で絞殺。

(2)略

http://azegamilaw.web.fc2.com/meikan.html

※(確定日)1978.1.26や加藤治成などのキーワードで画面検索されれば欄の特定は早いです。

※文中「小学6年生・小栗則孝君(13)」の年齢は殺害された時の学齢が小学校6年生であったことから正しくは12歳と思われます。

http://azegamilaw.web.fc2.com/ (トップページ)

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この事件は拙過去欄

「男の子も注意してください」と 等でも言及しています。

1970年に殺害された昌男君では1965年に殺された典孝(則孝)君(12)の被害について部分再掲しましょう。

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当時の報道等によると、1970年に9歳の男児へのわいせつ殺人事件で逮捕された45歳の妻子もある労務手配師の男はその後、1965年にも12歳の男子児童を自分の事務所に連れ込んだ後、男児が塀を乗り越えて逃げようとしたところ足を引っ張り引きずり降ろし得も言われぬ満足感を得た後、首を絞めて殺害したことも自供したそうです。

 

※「昌男」君の享年が8歳か9歳かということも現時点まで私の段階では定かではありません。

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上述の女児被害と「足つかみ、引きずり込んでいやらしい事を行う」趣意迄の経緯までは似ていたので、この事件を連想しましたがその後の殺害については比べようもありません。私の裁判報道の記憶ですが、加藤は塀の内側から乗り越えて逃げようとする典孝(則孝)君(12)の>足を引っ張り引きずり降ろす際に、残酷にも同君の足をつかんだまま小さな体を塀にぶっつけています。おそらくは横から壁に叩きつけたあと瀕死の同君をレイプ等をし「得も言われぬ満足感を得た」のでありましょう。まさに鬼畜の所業であり、このことは裁判も特に難していたものと読んだ記憶があります。

 

東京都小金井市に住んでいた12歳の典孝君の被害については、どうやら同君のソロバンの先生がこのことについて回想されていたという伝聞情報は検索でヒットしました。

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私の恩師が、以前こんな話をしていました。
自分の教え子が誘拐事件にあった。(珠算を教えていたとのことなので、小学生?)その先生は都内在住。(武蔵野地区)
恐らく30年代か40年代の事件だと思うのですが、その事件が見当たりません。もしかしたら、その子はのんちゃん?だったかもしれません。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/1706765.html

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典孝(則孝)(のりたか)君ですからノンちゃんですね、そういえばこの事案は「のんちゃん誘拐殺害事件」との名称がメディアの記事の中で見た記憶はあります。

のんちゃんは1965年に12歳で享年を迎えていますか、生きていたら現在、67歳になります。もしかするとお孫さんに囲まれた悠々自適の生活を送られているのかもしれません。

あの時、典孝君が加藤治成(1970年逮捕時45)の事務所の塀を乗り越えることが成功したらと思えば、おそらくは数秒もしくは瞬間の紙一重の時差が加藤の毒牙から逃げ延びることができたか、毒牙の犠牲になったかの明暗を分けたことになりましょう。

 

あらためて「則孝」君および「昌男」君のご冥福をお祈り申し上げるところです。

 

追記

昌男君(当時9)が加藤の車に乗りさえしなければ・・・

追記

2少年強姦殺害の加藤治成・元死刑囚の画像を発見