勢多加丸が道助法親王と別れる際にもらった贈歌にみられるよう平安、鎌倉期には僧侶が愛する美少年に宛てて詠んだ歌は多かったようです。勅撰集や私撰集でも多く取り上げられているようです。女性との恋愛が禁じられていた僧院環境を鑑みると具体的に少年をさす言葉がなくても僧院に居住する法師の名での相聞歌の場合はほとんどが少年愛であるとも思われます。
明確に対象は少年であると銘打つ作品を千載集から一首紹介します。
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千載和歌集卷第十一
戀歌一より
仁昭法師
横川のふもとなる山寺にこもりゐたる時いとよろしきわらはの侍りければよみて遣はしける
世を厭ふ はしと思ひし 通ひ路に あやなく人を こひ渡るかな
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に変更しました。(2024年12月31日)
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前置きは
「叡山の横川の麓の山寺に世を捨て仏道修行をすべく籠もっている私ですが、あるときとびきりの美少年が仕えているのを見て年甲斐なく恋情してしまい、これを人を介して恋歌として贈りました」という意味でしょうか。
縁語を駆使した歌のほうも勝手に意訳してみました。
「私は世を捨てるための橋を通って修行していますが、君を見て人目ぼれしてからは恋の病でふらつきながらその橋を渡っていてもはや修行どころではありません。」
はたして仁昭法師の恋は成就したのでしょうか。そして仏道修行は?(笑)
追記(2017年1月11日)