音楽家の自殺後に公開された養子の方が作成され配信した追悼掲示板が今でも公開されています。同掲示板中の彼の追悼によると2人は本当に愛し合っておられたようです。養子は同性で婚姻ができないがための方策で生活は新婚夫婦の形態であったそうです。
愛する方を自殺で失った悲しみで残された方自身も一時は自殺をも考えらたそうですが、お母様をはじめ死ねば悲しむ周囲の方々を鑑みて敢て生きるという正しい選択をされたそうですね。むろん故人も彼の自殺など微塵も望まなかったことでありましょう。そしてこの方は今も失った人を忘れることなく充実した人生を送っていらっしゃるものと察するばかりです。
彼の愛する故人への魂からの追悼を一部引用させていただきましょう。
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(略)
○○は、曲がったことが嫌いで、とても正直で、
そしてとても寂しがり屋でした。
すこしわがままなところもありましたが、素直で、
自分のことよりも、友人の心配をするような
綺麗な心をもっていました。
そのために、人を信じてだまされてしまったり、
本人には全くの責任もないのに、罪を着せられてしまいました。
でも、そのことについては何も聞かないでください。
ただ、自分から言えるのは、故人にはなにも非はなく、
本当に心のまっすぐな人だったということです。
それは、故人に触れられた、皆さんにも分かっていただけることと
思います。
純粋な心の彼だったからこそ、彼の生き甲斐だった音楽を失ってしまったことは、
とても大きな哀しみでした。
(略)
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ここまで自分を愛してくれるパートナーがいながら音楽家は死の選択をせざるえなかった悲しい状況は察するにも余りあります。
自身の少年時の裸画像をほんの一枚もしくは少数枚ネットに貼った程度の微微罪であったというのは事件摘発当時の私の伝聞ですが、自己画像であれ他人のものであれ、その程度の微微罪の逮捕者を死に至らしめるほどの責任追及する資格を官憲や世間ははたして持ち得ているのでしょうか?