「礼文島」には幾つかの素敵なトレッキングのコースがある。
島の南部の「桃岩」(桃みたいな形をした岩がある)周辺、島の最北端「スコトン岬」に至る…通称「4時間コース」と呼ばれる海沿いのトレイル。
「礼文林道」から派生する幾つかのトレイルや、島の最高峰「礼文岳」も人気のあるコースだ。
最北端「スコトン岬」を起点として、島の西海岸と樹林帯林道を繋ぎ「桃岩」へ至るロングトレイルは「8時間コース」と呼ばれ、なかなかに歩き応えのあるコースだ(経験済み)。
拙者のお気に入りは、「久種湖」からキャンプ場の奥の丘陵地を越え、島の西海岸の「西上泊」の集落にある「澄海岬」(すかいみさき)から、「鉄府」(てっぷ)の集落を過ぎ「ゴロタ岬」から「スコトン岬」へ至る「4時間コース+α」だ。
初夏に訪れると、普段…高山帯でしかお目にかかれない花々が一面に咲き乱れる素敵なトレイルなのだ。
そんな素敵な景色を相方にも見せたくて、夜明け前に起き出し車道を「澄海岬」に向かって歩き始めた。
「浜中」の集落から島の西海岸に向かう道路へ左折する。
直ぐ右手に「神崎小学校」があるが、統合により閉校されたようだ。以前は子供達の賑やかな声が響いていたが、今は雑草が伸び放題のグランドにも子供達の姿は無い。
車道ぞいに暫く行くと右手に、柵で囲まれた小山がある。
礼文島固有種の「レブンアツモリソウ」の群生地で、シーズン中(5月末~6月)は盗掘を見張る監視小屋に管理人が在中している。
道なりに小高い丘を越えると、突然…真っ青な海と出会う。
この瞬間が好きだ。
海風を感じつつ急坂を下って行くと、「西上泊」の集落に至る。
広い駐車場には、今朝はまだ車の姿は無いが、シーズン中は観光バスが何台もやって来る人気のスポットが「澄海岬」だ。
この「澄海岬」という…なんだか、ちょっと恥ずかしくなるような名前は、公募によって改名されたもので、古い地図には「金田ノ岬」という名前が書かれている。
売店の横を通ると、どうやら営業しているようだ。
いつも、拙者が一人で「澄海岬」に来る時は、観光客とかち合わないよう日の出過ぎ(5時ぐらいね)にしているから、売店が営業してるのを見るのは久し振りだ。
観光客慣れしたオジサンに、「タコザンギ」を揚げてもらい、クラシックと共に購入する。
タコザンギが揚がる間に話を訊くと、今年の夏は寒かったようで、「この一週間が一番暑い」とウンザリ顔で笑っていた。

タコザンギとクラシックを持って、「澄海岬」の展望台へ。
岩岩の崖っぷちの遊歩道を登って行くと、拙者が礼文島で一番好きな…リーフ(入江)がある。
まるで、南国の海のような透明度の高い、澄んだ青い入江なのだが、今日は風が強く波が立っていて、いつもの5割減ぐらいの美しさだった。
誰も居ない「澄海岬」のベンチに座って、タコザンギで乾杯して暫くすると、団体の観光客がやってきた。
景色なんか殆ど見ないで、「澄海岬」と書かれた看板の前で記念撮影に忙しそうだ。
看板なんか撮らないで、あの美しい海を写せ、海を。
騒がしくて、落ち着かないので早々に退散して、「鉄府」へ向かう。
丘陵地の中腹に作られた小さな祠の横を通って、断崖を乗越すトレイルに入ると、人影は消え静かな礼文島が戻ってきた。
砂礫のトレイルを上がってくると、雄大な風景が広がる、
「鉄府」の港と集落の向こうに長大な「ゴロタ浜」の海岸が続き、その先には200m程の断崖に囲まれた「ゴロタ岬」が見えた。
急峻な電光ルートを下って「鉄府」の集落を過ぎると、若者6人組のハイカーとすれ違った。
この時間に、此処を歩いているとすれば、恐らく…「星観荘」の泊まり客だろう。
今日これから向かう「スコトン岬」の近くに、この…とほ宿がある。
「とほ宿」とは、30年前ぐらいに出来た、北海道各地にある個人経営の相部屋民宿(ユースホステルみたいなヤツね)のネットワークであり、「とほ」という小冊子を発行し、北海道を旅する旅人達にネグラと旅人同士のフレアイを提供している。
「星観荘」には、過去に何回か泊まり、音楽好きなオーナーの求めで何度かギターを弾きながら歌った事がある。
最近は、旅人同士のフレアイが億劫になってきたし、日の出前から動き出したいので、専ら…キャンプ旅になってしまっている。
宿で出会った旅人同士が、こうして…共にトレイルを歩き交流を深め、思い出作りをするのだろうが、「オマエ等、幼稚園児じゃ無いんだから、一人で行動出来ないのか?滅多やたらに、つるんでんじゃねぇよ」と思ってしまう。

集落を抜けると農道のような砂利道になったが、こんな道を歩いていてもツマラナいので、海辺に降りてみる。
相変わらず風が強く波が高いが、今日も既に25℃近い気温の為、風が心地良い。
砂浜だった海岸は、やがて…「ゴロタ浜」の由来となったゴロタ石(丸い大きな石)が密集する石浜になる。
ここ2~3日海が荒れていたので、昆布が浜に打ち上げられている。
集落から離れていて見えないのをいい事に、何枚かを拾って持ち帰る。
厳密には密漁だが、浜に打ち上げられた昆布は拾得物みたいなもんだから、良い事にしよう。
ゴロタ浜で補給休憩後、相方の様子がおかしくなった。
ま、大体…いつも、おかしいのだが、この暑さの中でシャツを着始めた。
それも、後ろ前逆にして、拙者の知らない…何かの新しい流行ファッションだろうか。
理由を尋ねると…「日焼けして腕が痛いんだョ~」と顔をしかめた。
嗚呼、利尻の神様が遂に…「自分の焼きうにとビールだけを守った」薄情者に神罰を与えて下さったノダ。
日焼けの痛みだけで無く、ダサい格好で人格を貶(おとし)める罰まで与えて下さり、ありがとうございます。
惜しむらくは、本人が「ダサい」とは1mmも思っていない事が釈だが、仕方ない。拙者のココロの中だけで、馬鹿にしていよう。

「ゴロタ岬」へ向かう急峻な登りをこなした辺りで、トレイルの脇の草むらの中にスマホが落ちているのを発見した。
かなり傷んでいて、確実にひと冬は越している感じだ。
赤色のスマホケースのポケットに東京の大学の学生証と、某百貨店の入館証(バイト先かな?)が入っていたが、それは…三年前の日付だった。
三年も前なら、流石に中のデータも復元不可能だろう。と拙者がスルーしようとしたら、相方は「気になるから」と拾っていた。
「ゴロタ岬」に到着。
目指す「スコトン岬」が見通せたが、まだまだ結構な距離がある。
歩き始めて4時間が経ち、そろそろ腹も減ってきた。
「スコトン岬」の売店まで行って、イカ焼きで一杯やるのをモチベーションに、もう少し頑張ろう。
「ゴロタ岬」から再び海岸に下り「鮑古譚」(あわびこたん)の集落へ。
しかし、以前はあった何軒かの家屋は、全て取り壊されて、今は誰も住んでいないようだった。
昔は、トレイルが民家の庭先を通過していて、窓から昼寝している婆ちゃんが見えたりして、ほっこりするポイントだったのだが、あれから…十余年の月日が流れ去り、島は確実に、しかも…ひっそりと、その姿を変えつつあるのだ。

海辺の「鮑古譚」から再び丘を登ったトコロで舗装道路に出た。
そのまま、舗装道路を「スコトン岬」に向かって歩く。
15分程で「礼文島」最北端に到着した。
しかし、そこにも時代の変化が押し寄せていた。
岬のレストハウスはコジャレた数寄屋風に建て替えられ、嘗ての面影は全く残っていなかった。
中に入ってみると、土産物屋が並んでいて、イカ焼きやカレーを売っていた食堂もなくなり、札幌市内で見るような…オシャレなカフェ風のレストランになっていて、観光地価格のうに丼ぐらいしか食い物は売っていなかった。
エゾバフンウニ(ガンゼ)の漁期が終わった今、島で食べられるのは一段味が落ちるムラサキウニだけだ。
3000円も出して、ムラサキウニのうに丼を食べる気にはならない。
仕方なく、「昆布ソフトクリーム」を食べて、レストハウスの外で昨日「漁協ストア」で買って、オヤツに持って来たポテチを食べて昼飯に代えるしかなかった。
最北の島の端っこのレストハウスを近代的な建物に建て替えるのを、果たして…旅行者達は求めているんだろうか。
オシャレなカフェ風なレストランを作って、観光客は果たして喜んでいるんだろうか。
北の外れの最北の島に旅人が求めるものと、地元の観光業者が良かれと思い作ったものとには、どうしようも無い隔たりがあるように思えて仕方ない。
あらゆる物を近代的で新しいものに変えてしまうのが、彼らなりの「おもてなし」だと考えているのなら、それは…「利尻岳」の登山道整備と同じで、本来あるべき面白さを駆逐しているだけのような気がする。
最北の離島に、旅人が一体何を求めてやって来るのか、離島のアイデンティティとは一体何なのか、画一的で個性を失った箱モノを増やす前に、もう一度考え直して欲しいものだ。
でなければ、利尻も礼文も、ただのツマラナい観光地になってしまうだけだ。

「スコトン岬」から、キャンプ場のある「久種湖」に向かうバスは日没後の18時しか無かったので、仕方なく歩く事にした。
退屈な舗装道路歩きを誤魔化す為に、「ゴロタ浜」で拾ったボール(軟式野球の球ね)で遊びながら歩く。
それに飽きたので、「岬めぐり」(山本コータロー&ウィークエンド)を歌いながら歩く。
【アナタがいつか話してくれた
 岬をボクは訪ねてきた
 二人で行くと約束したが
 今ではそれも叶わない事…♪】
今日一日の行程にピッタリの曲で、歌詞を全て紹介したいが、JASRAC(日本著作権協会ね)に訴えられると困るので割愛する。
そのうち、鼻歌もオチオチ歌えない時代が来るかも知れん。

歩くのにも、ボール遊びにも、鼻歌にも飽きて来た頃、海沿いの道路から岩礁の海辺に降りられる場所を相方が見つけた。
奴は、兎に角…何らかの食材を海で穫りたくて仕方ないらしい。
波が打ち寄せる岩の上に下りると、波打ち際を探索し始めた。
ウニでも探しているのだろうか。
しかし、大した獲物は見つからず、岩にへばりついてた小さな巻き貝と、どー見ても「モズクちゃうやろっ」とツッコミたくなる蕎麦みたいな細長い海藻を収穫していた。
それ、食えんの?

結局、「4時間コース」と言いながら、寄り道や休憩しまくりでまる一日歩きずめだった。
長い長い舗装道路歩きの末、無事に「久種湖」にたどり着いた我々は、テントには戻らずに、そのまま「船泊漁協ストア」に夕飯の買い出しに向かう。
途中で、通称「タコ公園」と呼ばれる「船泊」地区の大きな公園に寄り道し、再び「ボタン海老」と「ホッケのチャンチャン焼き」「酢ダコ」をゲットした。
「ゴロタ岬」で拾ったスマホは、「船泊」の駐在所に相方が届けに行ったが、お巡りさんは不在だったらしく、書き置きと共に置いてきたそうだ。

短いようで長かった島旅も明日の島抜けで終わる。
早くキャンプ場に帰って、ごくごくしよ~っと。

つづく。

【写真1】澄海岬の大好きなリーフ、ホントはもっとキレイ。
【写真2】ゴロタ岬へのトレイルを往く。
【写真3】目指すスコトン岬までは、まだまだ遠い。

朝一番の「礼文島」行き第1便フェリーには乗船客の姿は疎らだった。
相変わらず風は強く、漁師が「白兎」と呼ぶ白い波しぶきが海面に飛んでいた。
後部甲板で風に吹かれながら、遠ざかっていく「利尻島」を眺めていたら、我々の…場違いなぐらい大仰なデカザックを見て興味を持ったらしい…ジイサマに話し掛けられた。
これから天候回復待ちの暇つぶしに「礼文島」に遊びに行くらしいジイサマに、「利尻岳」の事を尋ねられ、幾つかのアドバイスをしている内に、あっと言う間にフェリーは「香深」(かぶか、地元民はかふかと呼ぶ)の港に着岸した。
飽きもせず着岸作業を見物してから、フェリーターミナルへ。
久し振りの「礼文島」は、ジッとしていても汗が滲むぐらいに暑かった。
キャンプ場へ向かうバスの時間まで少しあったので、「香深漁協ストア」に魚を覗きに行く。
すっかり様変わりしていた「鴛泊」の街とは違い、「礼文島」は…何も変わっていなかった。
「礼文島」は島の東側の海岸に沿って幾つかの集落が点在し、集落の後ろは小高い丘陵地形が迫っている。
海と丘陵(段丘)に挟まれた僅かな土地に集落が作られている為に、区画整理のしようが無いノダ。
因みに、地形学的には…「礼文島」は日本には珍しい「氷河周辺地形」という丘陵地形で出来ており、別名「花の浮島」と呼ばれるように、シーズンには高山植物が咲き乱れ、「レブンアツモリソウ」(野生蘭の一種)や「レブンウスユキソウ」(エーデルワイスの仲間)の固有種が有名である(解説終わり)。

相方が勝手に「ウルトラマン・バス」と名付けた… 銀色の車体に赤と青のワンポイントが鮮やかな宗谷バスに乗って、島の東海岸に沿って一路北上する。
海岸沿いに小さな集落が続き、どの家も番屋を併設し、うに漁や昆布漁で生計を立てる漁師街の風情が漂う。
左手に見える段丘は40m近くあり、波によって削られた浸食崖のようだ。
丘陵地には殆ど立ち木は無く、背の低いチシマザサが一面に茂る。
バスに揺られること30分程で、「船泊」(ふなどまり)の集落に至る。
嘗ては、フェリーも立ち寄っていた栄えた町だったが、今は昔日の面影薄く寂れた漁師町になっている。
「船泊港」までやってくると、沖合いに寂れた漁師町に似つかわしく無い…10000t級の巨大な豪華客船が停泊しているのが見えた。
後でキャンプ場の管理人に訊いたところでは、時折…立ち寄る客船(日本丸)らしく、大型船が着岸する岸壁が無いので艀(はしけ)を往復させて乗船客を町まで運んでいるらしい。

バスは暫くすると、キャンプ場の最寄りのバス停「病院前」を通り過ぎた。
そこで拙者は、おもむろに…運転席に近付いて「キャンプ場でお願いします」と運転手に声を掛ける。
島のバスは、いわゆる…「自由乗降バス」で、任意にリクエストした場所に停車して降ろしてくれるし、バス停で無い場所でも手を上げれば停まって乗せてくれるノダ。
島のお年寄りは「佐藤です」と名前を申告すれば、佐藤さん家の玄関先で降ろしてくれるというワケだ。
なんて素敵なシステムなんだろう。

久種湖キャンプ場の真ん前でバスを降りた我々は、ログハウス風の管理棟へ。
管理人のオバチャンに尋ねると、船泊にあった…日本最北の銭湯「船泊湯」(町営)は閉館したという事だった。
代わりに、キャンプ場には新しくシャワー設備が作られていて、100円で15分使えるそうだ。
「久種湖」湖畔の広々とした芝生のサイトには、見事なぐらい日陰は無かった。
唯一の日陰である炊事場の横で、「あぢぃ…」と暑さにヤラレたキャンパーのニイサンが一人へたり込んでいた。
我々は、サイトの一番奥まった場所にテントを設営すると、昼食と買い出しの為に「船泊」の街に出掛ける事にする。
キャンプ場から歩いて10分の「船泊」のメインストリートには、幾つかの商店と消防署や駐在所があるだけの寂れた風情だが、嘗ては…色街もあって大層賑やかだったというハナシだ。
とりあえず、腹が減ったので、行きつけの「双葉食堂」へ向かう。
何を隠そう、この「双葉食堂」のラーメンが格別ナノだ。
鶏ガラと野菜、利尻昆布(礼文で採れても利尻昆布ナノだ)でとった極上スープは、毎日食べても飽きのこない…少し懐かしく、海の香りのするラーメンなのだ。
「利尻島」(沓形)にも、ミシュラン・ガイドにも載ったという、焦がし醤油スープで有名な「味楽」というラーメン屋があるが、営業時間が昼の2時間半ぐらいしか無いという事で、今回はありつけずにいた。
ずっとキャンプ飯が続いていたので、この「双葉食堂」のラーメンを楽しみにしていた。
「双葉食堂」は以前と変わらぬ姿で、そこに在った。
フェリーターミナルや街並みは変わったが、利尻岳は在りし日の姿は残していなかったが、船泊湯も潰れてしまったが…「双葉食堂」だけは、旅人を裏切らなかった。
ん?
しかし、何だ?この違和感は…
そうか、暖簾が出ていないノダ。
まだ、開店してないのかな?
いや、暖簾を出さないまま営業してる事もあるって、食べログにも載っていたから、出すの忘れちゃってんのかな?

店の前に立った拙者の双眸に映った一枚の貼り紙が…
「9月9日から一週間ほど休みます」(今日は9月9日)
ガガ~~~~~~ン。
ブルータスお前もか?
いや、違った。
「双葉食堂」、お前も拙者を裏切るのかぁ。
肩を震わせ、激しく落胆する拙者を見て、相方が「じゃあ、その辺でお弁当でも買おうョ」と提案してくれたが、ここは最北の離島「礼文島」だ。
その辺に弁当なんか売ってはいない。
島に一軒のセイコマは、遥か…「香深」の町外れにあるノダ。
「船泊」には、食料を買える店は、「船泊漁協ストア」と「ヨコノ商店」の二軒だけナノだ。
トボトボと数十m先にある「ヨコノ商店」に向かう。
間口三間ほどの小じんまりした商店は、イオンショッピングセンターの1/100程の規模で、品数も限られているし、弁当や惣菜なんか…
おぉ!なんという事だっ。
奇跡的な事に、「海老丼」(海老フライを卵でとじたやつね)398円が3つだけあるではないかっ。
オマケに、ビールの肴に丁度良さそうな「タコの柔らか煮」もある。
嗚呼、天は我を見放さなかったノダ。
最早、選択の余地は無かった。
クラシックと海老丼、タコの柔らか煮を購入した腹ペコな我々は、「船泊」のメインストリートから数十m離れた海岸へ向かった。
まるで真夏のような…なまめかしい日差しが照りつける海岸は、強風に晒され冬の日本海のような激しい波が砂浜に打ちつけていた。
朽ちたコンクリート製の桟橋が、緑がかった色の海に突き出していて、一幅の絵画のようだ。
そこに腰掛けて海老丼に食らいついた。

今回の旅は、なかなか運に恵まれず思い通りにはいかない事が続いている。
しかし、何もかも思い通りに運ぶ旅は、面白くは無い。
完璧な下調べと、用意周到な準備、滞り無い旅がしたければ、旅行会社のパックツアーに申し込めば良いノダ。
予定は未定。行き当たりばったり、出たとこ勝負な旅こそ、我々が求めるものナノだ(多分…)。
予測不能な、偶然の巡り合わせが我々の旅を「旅」として完結してくれるし、面白くなるノダ。

食後、砂浜を「穴あき貝」を探しながら散歩する。
島の海岸には、不自然に穴の空いた二枚貝の貝殻が大量に漂着している。
まるで、錐(きり)で穿ったような綺麗に空いた穴は、実は…ウニの仕業である。
穴を開けて、貝の中身を食べた痕ナノだ。

帰り道、「船泊漁協ストア」に立ち寄る。
今のところ、島に居るのに海鮮に全くありつけていない我々だが、この「船泊漁協ストア」には「船泊港」に揚がった魚が売っているノダ。
「船泊」には何軒かの宿があり、キャンプ場もあるからか、此処に来ると必ず海鮮が置いてある。
早速、魚コーナーを覗くと…生のボタン海老やホッケ、ホヤを見つけた。
冷凍コーナーでは、「ホッケのチャンチャン焼き」セットが売っていたので、これも購入。
普通…「チャンチャン焼き」と言えば鮭を思い浮かべるだろうが、礼文島では鮭の代わりに沢山穫れるホッケを使う。
鮭みたく大量の野菜は入れない。具は青ネギのみだ。
しかし、そのシンプルさが堪らない。

ぶらぶらとキャンプ場に戻って、順番にシャワーを浴びる事にする。
管理棟に行って、100円を支払うとシャワー室の鍵とタイマーを渡される。
出来たばかりのシャワー室は清潔でキレイだった。
タイマーをセットして髪の毛と体を洗い終わったが、6分程しか経っていない。
残り9分もお湯を浴び続けるのも何だし、「利尻富士温泉」のコインランドリーで洗濯した新しいTシャツに着替えて、シャワー室を出た。
明日は、もう少し…ゆっくり体を洗おうと誓う。
テントに戻って、早速…海鮮を捌いて、宴の準備をする。
メニューは、「ボタン海老とホヤの刺身」「ホッケのチャンチャン焼き」「ボタン海老の頭で出汁をとった味噌汁」だ。
チャンチャン焼きにのっけるネギを刻んでいると、地元の漁師と思しきオジサンがフラフラと近付いてきて、話し掛けられた。
強烈な浜言葉は、襟裳岬で昆布バイトの経験のある拙者は少しは分かるが、相方は半分も分からないようで、拙者が時折…翻訳する。
しかし、相方は…その独特のキャラクターが呼び寄せるのか、不思議とオジサンには人気がある(ジジイキラーだな)。
アチコチの山でオジサンに話し掛けられ、時折…色んな物を貰うノダ。
木村さん(漁師のオジサンね)の相手はオジサンキラーの相方に任せて、拙者は晩飯の支度に専念する。
どうやら、木村さんは海が荒れて昆布漁が無かったらしく、暇つぶしにキャンプ場の旅人を「ちょす」(北海道弁で、いじる事)のを楽しみにしているようだった。
なかなかイイ…リアクションをする相方に、他のオジサン達と同様に木村さんも虜(とりこ)にされて、「明日、昆布持ってきてやるから」と気に入られたようだった。
こ~ゆ~天性の才能は拙者には無いもんな(全然羨ましくないけど)。
拙者から貰ったタバコを吸ってから、木村さんは去って行った。

すっかり暗くなったキャンプ場で、我々は宴を開始した。
なまら安かったボタン海老は小ぶりだが、甘くて新鮮で美味い。
ホヤも嫌な匂いもせず新鮮で美味い。
冷凍ホッケも、身がふわふわで甘めの味噌と合って抜群に美味い。
クラシックが進んで仕方ない。
さて、明日も天気が良さそうだから、アチコチ歩けそうだ。


つづく。

【写真】船泊の海岸を散歩する



登山用語で言うところの「ザレ場」とは、火山が噴火した際に飛び散った噴石(軽石)が堆積した場所の事だ。
火山由来の山では時折見掛けるが、経年浸食されていない比較的新しい火山に多い。
火山礫の堆積したザレ場は、
踏めば崩れる足場のとれない脆い地表面が続き、新雪ラッセルに匹敵するぐらい足腰に来るノダ。
5時間近くの登行で乳酸の溜まった脚では、更に踏ん張りが効かなくなっている「利尻岳」では、正に「正念場」と言われる最大の難関でもある。

しかし、「利尻岳名物」と言われた難所のザレ場は…
何処にも見当たらなかった。
嘗てのザレ場には、火山礫を樹脂フィルムで囲ってまとめ、階段状に足場が作られ、更には立派な梯子段のようなものさえあった。
ルートは未だ養生途中の場所も沢山あり、資材がルート脇に積まれている。
ルート沿いにはロープが張られ、アチコチにピンクテープが煩わしいほどに設置され、嘗ての面影は殆ど残っていなかった。
これは…
まるで、過保護極まりない…内地の山のようではないか…。
ふと、区画整理された「鴛泊」の作り物のような味気ない新しい街並みを思い出した。

ハイシーズンになると大挙して押し寄せる登山客により、ザレ場は深く掘られ、歩きにくい登山道からはみ出した登山者は高山植物帯に足場を求めルートをはみ出す。
連なる登山者の列に、狭いルートでスライド出来無い下山者は、ザレ場を崩しながら下り、更なる崩落を促す。
登山者に踏まれ攪拌された浮き上がった砂礫は、春先の雪溶け水に容易く流され更に深く浸食される。
そういう意味では、アチコチの山で良く目にする…階段状の流土防止策としての土留めというより、登山者をルートから外れぬよう誘導し登り易くし、これ以上の崩落を防ぐ為の養生のようだ。
そりゃあそうだ。
花の時期には、1日300人程(推計ね)の登山者が登るのだから、自然のザレ場など、あっと言う間に削られてしまうだろう。

しかし、登る前にも薄々は感じていたが…その光景は余りにも無機質で味気なく、白けてしまうものだった。
養生している意図も解るし、その方策がこれ以外には無い事も解る。
解るが、でも、これでは…「利尻岳」が「利尻岳」じゃ無くなってしまってるじゃないか。
あの…苦労するザレ場があってこその、「利尻岳」なんじゃないか。
それとも、拙者のような考え方が回顧主義的で、少数派なんだろうか。
昨年の「トムラウシ」の「カムイ天井」の名物「泥ぬた地獄」の木道といい、この「利尻岳」のザレ場といい、登山道を必要以上に整備し歩き易くする事には、何だか…釈然としない思いを抱いてしまうノダ。

そもそも、「山に登る」という行為には、厳しさや困難さを前提に覚悟を持って行うところがある筈だ。
自然と対峙する厳しさがあってこそ、それを乗り越え克服する喜びや達成感があり、多くの登山者は、それを目的に「山に登る」行為に向かうものだろう。
登山道を整備する事は、その困難さや厳しさを軽減し、より楽に(より安全に)歩こうとする介助行為に他ならない。
それが間違っているとは言わない。
しかし、ものには限度というものがある筈だ。
登山道を、まるで…公園の遊歩道のように整備する必然性が何処にあるノダ。

その山に登る為には、それに見合った体力やスキルが必要で、「登山」というのは、万人に解放された世界では無いノダ。
それ故に、実力に見合った山以上のカテゴリーの山に登って遭難した時、鬼の首でも穫ったかのような勢いで、マスコミやネット常識人が「無謀な…」と正論ぶって非難轟々騒ぎ立てるんじゃないのか。
山を公園のように整備すれば、遭難事故が無くなるとでも思っているのか。

崩落防止の為の養生も、果たして自然崩壊を止める事は出来るだろうか。
海に起つ単独峰故に、自然による風化浸食作用はどの山よりも激しく急速に進む。
季節風を受ける山頂西側は、現在も崩落が進行中だ。
崩落は既に登山道間際まで迫っている場所もあり、近いうちに登山道をも浸食する可能性が高い。
風化浸食した山体が崩壊する事は、嘗てはどの山にも起きた事だし、それを止める術は無い。
「利尻岳」とて、決して例外では無い。
そう遠くない将来には、登山対象では居られなくなるかも知れない(恵庭岳のように)。

閑話休題。

電光ルートが切られた場所で、下山してくるツアーらしきパーティーとスライドした。
本来は登る我々が優先されるべきだが、足元が覚束なさそうなオバチャンが何人か居たので、ルート脇の安全な場所に避けて道を譲った。
最後尾と思しき男性に「最後尾ですか?」と声を掛けると、先頭に居たツアー・ガイドと思われるオジサンが「最後尾です。ありがとうございました」と応えた。
相変わらず「利尻岳」には…こんな常識知らずなツアーが存在する。
十数人のパーティーに、ガイドは僅か一人で、それも先頭に居たりする。
パーティーの基本形は、先頭にペースを作るサブリーダー(SL)、パーティーが見渡せる最後尾にパーティー・リーダー(PL)を置くのが一般的だ。
他のパーティーとスライドする時は、先頭はパーティーの人数を伝え、最後尾は自分が最後だと伝え礼を述べる。
山の仁義というよりも、安全かつ円滑にスライドする為の最低限のマナーである。
登山ブームだか何だか知らないが、こんな基本的な事すら分からない登山者が多い。
ガイドが引率しなければ登れないような人間が、高カテゴリーの山に居るのも考えものだ。
ガイドに不測の事態が起きたら、一体どうするのだ。
厳しいようだが、それが現実だ。
質の悪いガイドが事故を起こしたケースも、「トムラウシ大量遭難事故」の例を引くまでも無く、枚挙に暇が無い。
本来、十数人のパーティー規模なら、三人ぐらいのガイドが居てもおかしく無い。
「利尻岳」がどんな山なのか、このツアーを見ただけで分かるような気がする。

山頂直下の「切り通し」にも立派な階段が作られ、嘗ての難所は難なく通過出来た。
痩せた吊り尾根を繋いで、誰も居ない山頂に到着。
10m/sぐらいの南風が吹き付けていて、あづましく無い。
風を避けられる場所で休憩したいが、山頂はロープが張り巡らされて、以前は行けた頂上直下の風の当たらないテラスにも行けないようになっていた。
仕方なく岩陰でランチ。
暫くすると、登ってる途中にずっと気配を感じていた後続の単独のニイチャンが上がって来た。
続いて「環境庁」の腕章を付けた森林管理局のニイサンも一人で上がって来たが、どうやら…養生具合を下見に来ただけのようだった。
登山客が減った…これからの時期に養生工事を進めるのだろう。

さて、ジッとしてると体が冷えるので、ノンビリ下山しよう。
「甘露泉」まで下りて来たら、携帯トイレを持参してるか、のアンケート調査をしていた。
さり気なく「持ってマス」と嘘をついてしまったが、これだけ登山客数が多い山だと、そういう問題も起きるノダ。
しかし、拙者は未だ嘗て「携帯トイレ」を使用した事は無い。
今日だって、登山道を外れた根曲がり竹の藪の中で雉撃ち(アレの隠語ね)してしまったし、むしろ…大雪山なんかじゃ、羆除けのマーキングとしてビバーク時には、無理やり出したりしている。
結局のところ、ルート整備問題もトイレ問題も登山客の絶対数の問題なのだと思う。
人気のあるメジャーな山には、どうしても登山客が集中してしまうし、登山客が増え過ぎると様々な問題も発生してしまう。
普段、マイナーな雪山や沢やバリエーションしかやらない拙者は知らなかったが、もう…最近じゃ、これがフツーの事なんだろうか。
なんだか、どんどん…世知辛い世の中になってしまってるんだな。
つくづく、つまらない時代になってしまった…な、と思う。

登山口に戻ってきたら、昨日…キャンプ場で見かけた野良猫の「にゃん太郎」(相方の命名、勝手に名前付けんなョ)が、こんな所まで遠征してきていた。
山頂で会った、下山途中に抜かれたニイチャンにオヤツを貰って写真をバカスカ撮られまくっていた。
下山コーラをごくごくして、「ゆーにキャンプ場」へ戻ると、我々のテントの横に見知らぬスタッフバッグ(袋ね)が置いてあった。
一体誰のだろ?と訝しむ相方に「きっと、にゃん太郎が昨日のいか煎餅のお礼に持ってきたんだよ」と答えると…
「ちょうど、テントを入れる袋が無かったから有り難い」と嬉しそうだった。
恐らく、風に飛ばされた誰かのスタッフバッグが我々のテント近くに転がっていて、誰かが我々のものだろうと置いてくれたものだろう。

買い出しに街まで行く元気は残っていなかったので、温泉で汗を流したあと、相方が持って来たレトルトカレーで夕食にした。
さて、「利尻島」を満喫したので、明日は一便のフェリーで「礼文島」に渡り、「久種湖」のキャンプ場をBCにアチコチ歩く積もりだ。

つづく。

【写真1】切り通しにも立派な階段が
【写真2】嘗ての難所ザレ場の面影無く
【写真3】礼文島と海と雲海、素敵過ぎる