毎年恒例の大雪山縦走の計画は、前年の下山時直後から考え始める。
下山後に露天風呂なんかに浸かりながら、今回の縦走を振り返りつつ来年の縦走の事を考える。
その時は、ただ漠然と…「あぁ、晴れた石狩稜線を歩きたいな~」とか「あの沼の畔で天幕泊したいな~」とか願望を羅列するだけナノだが、それに付随する苦労とか大変さとかは全く考えずに、純粋で単純な願望だけが思考を支配する。
ほんの1時間前まで苦しまされていた下山の事なんか…スッカリ忘れてしまっているのだから、我ながら困ったものだと思う。
昨年、東大雪石狩連峰の縦走を悪天候の為…諦め撤退し、下山後「十勝三股」までの長い長い林道をトボトボ歩きながら、「やっぱり、晴れた石狩稜線を一度は歩いてみたい。だが、石狩側から入ると選択肢が前進か撤退しか無く計画としては失敗だった。やはり、大雪山側から入るしか無いだろう。それなら、キツく長いが天人峡から入って、ヒサゴで天候を見ながら十勝か東大雪か表大雪かを選択するしか無いだろうな」などと考えていて、気持ち的には4度目の東大雪への挑戦に固まっていた。

そんな時、7月の大雨で「クッチャンベツ林道」が又々通行止めになった情報を聞いた。
せっかく「沼の原」の木道を全部入れ替えたのに、また何年か登山口が使えなくなるな。と、直接的に縦走計画とは関係が無いので、「ヒサゴ沼避難小屋が、また静かになるな~」と他人ごとのように思っていた。
ところが、である。
8月に入って、3つの台風が北海道に上陸し各地に深刻で多大な被害をもたらしたニュースを知るにつけ、他人ごとでは無くなったのである。
北海道森林管理局や各自治体のホームページで情報を収集するに至って、大雪山系及び十勝山系、東大雪山系の殆ど全ての林道が土砂崩れの為に通行止めになっている現実を目の当たりにした。
いやいや、林道は分かるが「三国峠」へ向かう国道も、北海道の中央分水嶺に属する主要なる国道の峠が全て止まっているノダ。
入山を予定していた「天人峡」では、宿泊客が取り残され孤立していると云う。
未だ嘗て無い台風被害は、北海道のあらゆる山へのアプローチ手段を全滅にしたのだ。

情報を集めるに従い、拙者は途方に暮れるしか無かった。
事前の計画どころか、大雪山系への入山もままならなくなってしまったノダ。
使える登山口は、半ば観光地化した…拙者が毛嫌いするオーソドックスな「コンニチハ地獄」をもたらす場所ばかりだった。
勿論、それらの登山口を使うしか無いなら、選択出来うる縦走コースも限られてしまう。
つまり、「表大雪(旭、黒)~十勝岳」(或いは逆コース)のみだ。
東大雪の荒々しい縦走コースに馴染み始めていた拙者には、そんなオーソドックスなコースは物足りなく思われた。
東大雪と比べると、あの長大な大雪~十勝縦走路ですら「藻岩山」と変わらないような退屈で平凡な山に思えて仕方無かった。
アタマを抱えた拙者は、遂に…北アルプスや立山連峰、南アルプスまで選択肢を広げるしか無かった。
しかし、今更…そんな野性味の欠片も無い、過保護極まりない山に行って、一体何があるというのか?
羆ちゃんは居るのか?
登山道でビバーク出来るのか?
生ビールが飲めるのか?
それは、飲める…な。
それも、自分で担がなくともイイし、しかも…ジョッキで飲める…な。
それは、ちょっと真剣に考え…いやいや!
拙者の求めるのは、荒々しい野性味溢れる自然との1対1の攻防ナノだっ(大体、負けてるけど)。
神経を張り詰めるピリピリするような緊張感と、ギリギリの判断を必要とする切迫感ナノだっ(服が燃えとるのに気付かないけど)。
嗚呼、今…拙者の乞い願うものを与えたもうは、「大雪山」以外には考えられない。

そこで、フト考えてみた。
各登山口が止まっているという事は、もしかしたら…縦走路は今、ガラガラに空いているのではないか?
登山者が少ないという事は、警戒心を解いた羆ちゃんもウロウロしてるんではないか?
もし、そうだったら…オーソドックスな大雪山縦走路を歩く価値は十分にあるかも知れない。
いや、ある意味…これは、千載一遇の大チャンスかも知れないぞぉ。ラッキー♪(ポジティブな奴だ)。
そこで、この際…思いっきりベタな縦走コース、つまり「旭岳~十勝岳」というコースを考えてみた。
実は…「縦走路を制覇した」と言いつつも、ワザと残していたルートがある。
それが、「姿見~旭岳」「望岳台~十勝岳」である。
今まで、考えた事も無い。選択肢にすら挙がらなかった、ベタベタなポピュラーコースだ。
大雪山系に通う事、二十余年。
マニアックなコースを歩き尽くした拙者が、手を付けていなかったのが、この2つである。
何故、今迄…登らなかったか?
答えは至極単純である。
「面白く無いから」
「ヒトが多いから」
恐らく、この先…死ぬまで登る事は無いだろうと思っていたし、こんな事でも無い限り歩く必然性も無いコースだった。
「十勝岳」は縦走路が通過しているから仕方無く何度かピークを踏んでいたが、「旭岳」に至っては…初めて「大雪山」を縦走した30年前以来、一度も登っていないと来たから、我ながらビックリする。
30年前の登頂も、裏旭から空身でピストンしたのだから、ひねくれ者だろう。
ここは、思い切って…「姿見の池」から「旭岳」を登ってやろ~ではないか。
それも、観光客に混じってロープウェイに乗ってやる。
これで、どうだ?(どうだ、と言われても…)

ただ、気掛かりは…縦走路にエスケープルートが取れない事だ。
天候が悪化したからと言って、下界へ逃げる手段も無いノダ。
これには、正直…参った。
いつもなら使える「天人峡ルート」が使えないのは痛い。
「天人峡」以外の、「トムラウシ温泉」も「俵真布」も「クッチャンベツ」(沼の原)も使えない。
つまり、拙者が呼ぶ…「DEEP大雪山」に入ってしまえば、一切の逃げ道は閉ざされている…という事だ。
天候が悪化したら…避難小屋に逃げ込むか、ビバークをし、天幕回復をひたすら「待つ」しか無いノダ。
しかし、一つだけ…たった、一つだけ、エマージェンシーな逃げ道があった。
それは…「天人峡」である。
勿論、「天人峡」は通行止めである。それは、存じておる。
しかし、拙者はテレビニュースで見たノダ。
閉じ込められた天人峡温泉宿泊客達が、非常手段として…崩落した道道に覆工板を渡して通過しているのを。
いざという時は、恐らく…早々に復旧工事をしている崩落現場のユンボの横を「スイマセ~ン」と言いつつ、緊急避難的に通して貰うしか無い。
まさか…「大雪山から命からがら逃げて来ました」という拙者に「通れないから、大雪山に戻りなさい」とは言わんだろう。
もし、そんな事を云う作業員なりガードマンが居たら…そん時は、相手取ってやる。訴えてやる。出るトコに出てやる。
それでも頑なに「通さん!」と言われたら…「んじゃ、忠別川の河原を歩いてやる。濁流に飲まれたて死んだら、オマエの責任だから…名前を聞いておこう」(ヤカラやがなっ)と叫んでやる。
ま、いよいよ駄目な時は…「天人峡~旭岳温泉」という最終手段がある。
6時間掛けて下山したアトに、更に3時間掛けて「旭岳温泉」に登り返すのは、ゆるぐ無いが仕方無い。屈強な現場作業員と取っ組み合うよりは、疲れ無いだろう。

という緊急避難策も思い付いたので、拙者は…そぼ降る雨の中、旭川駅前10番バス乗り場から、縦走装備でパンパンになった…デカザックを担いで、「旭岳温泉行き いで湯号」(ナメた名前だ)に乗り込んだのである。
1日3便の「いで湯号」は、嘗て「天人峡」にも寄っていた時期もあったが、今は利用客が殆ど居ない故に廃止され、代わりに「旭川空港」(旭川で無く、東神楽町に空港はある)に寄り、農道を東川町に抜け、「忠別川」を遡って「旭岳温泉」に向かった。
途中、「忠別川」に掛かる橋の上から眺めたが、さほど増水した形跡も無かった。
何故なら、「忠別川」上流には…氾濫を防ぐ為に「忠別ダム」が造られたからだ。
拙者が北海道移住後「大雪山縦走」に通い始めた頃着工したダムは、数年前にやっと貯水を開始した。
ある日、いつものように…縦走中、「旭川」の街を見下ろすと…突然、デッカい湖が出現したのだから、ビックらこいた。
去年まで何も無かった場所に、巨大な湖が現れたノダ。
それが、ダムだと気付くまでに37秒掛かった。いや、35秒ぐらいか?ま、そんな事は…どうでもイイ。
そのダムのおかげで、今回も「忠別川」下流域は水害を逃れられたノダ。
しかし、そのダムの上流にある道道「天人峡線」は、ダメージを食らった。
本来、河川は頻繁に氾濫し、その流れを変えるものだ。そのおかげで、下流域には扇状地が広がり肥沃な土壌と平野部をもたらされる。
札幌は豊平川の扇状地にあるし、「藻岩山」の麓である旭ヶ丘には、嘗ての河岸の名残の段丘まで残っている。
「忠別川」沿いの道道も、そんな河川が削り取った河成段丘の縁を進んでいる。荒々しく削り取られた河岸は、柱状節理を露出させ、それが独特の景観を生み出している。
「天人峡線」との分岐点にある「公園入口」のバス停を過ぎると、バスはいよいよ高度を上げ始める。
嘗ては「湧駒別(ゆこまんべつ)温泉」と呼ばれた「旭岳温泉」に到着したのは、まだ早い午後だった。
雨は止んでいたが、見上げた視線の先に「旭岳」の姿は無い。濃いガスが辺りを包み込んでいた。
「キャンプ場」バス停で下車し、早速…天幕設営を済ませる。
いそいそと「湧駒荘」(アルペンスキー銀メダリスト竹内智花ちゃんの実家ね)に浸かりに行こうと身支度を整えていると、再び雨が降り始めた。
雨が止んだら…と思っていたら、そのまま眠ってしまい、気がついたら夜の9時を過ぎていた。
温泉は諦め、旭川駅前イオンで買って来た…チキン南蛮と琥珀ヱビスで遅い夕食を済ませると、目覚ましをセットして再び眠りに就いた。

翌朝、聖子ちゃんの「夏の扉」の軽やかなイントロに起こされ、天幕から顔を出し空を眺めると…うっすらと青空が覗いていた。
カフェオレを淹れ、煙草を吸いながら今日の分の行動食をジップロックに詰める。縦走中は昼飯の代わりに、常に行動食を取り続ける。ハンガーノックにならぬようにと、長い休憩で筋肉を冷やさない為だ。
朝食を食べ、天幕を畳み、パッキングをする。
ザック重量は35kgを超えているが、昨年のような辛さは感じない。
沢登りが良いトレーニングになったのだろうか。
キャンプ場の炊事場で飲料水を補給し、ロープウェイ駅へ急いだ。

つづく。
「この世の中には、二種類の人間しか居ないんだよ。『山に登る人間』と『山に登らない人間』だよ」
松浦サトルは、無精ひげだらけの顔で、そう言い切ると避難小屋の板張りの床に置いた缶ビールを喉に流し込んだ。
「で?それが、仕事を辞めた理由なのか?」
笑いながら、そう尋ねると…サトルは、ほの暗いロウソクの灯りの中で「そうとも言えるな」と、今しがた自分の口から出た言葉が、まるで…名言だったかのように少し陶酔した表情で静かに笑った。
大雪山系「美瑛富士避難小屋」は、古いプレハブ造りの平屋建ての小屋だった。
入口の土間から続く板張りの床にウレタンマットを敷き、その上にあぐらをかき、僕と松浦サトルはサトルが昨日「白金温泉」から担ぎ上げた缶ビールを飲みながら向かい合っていた。
二人の間には、小さなロウソクの灯りだけが灯り、殺風景な小屋の中を仄かに照らしていた。
小屋の外は相変わらず強風が暴れ回り、時折…小屋を軋ませた。
「昔からサトルは自由だったからな。法事だと言って新歓合宿サボって、一人で立山行ったりしてたもんな」
「アレは何でバレたんだっけ?」
「あんだけ日焼けしてたら、誰でも分かるだろ」
「そっかあ、そういう事だったのかぁ」
「つか、今頃気付いたのか?」

僕と松浦サトルは、昨年…蝦夷富士の別名を持つ「後方羊蹄山」(ようていざん)で偶然再会した。
高校卒業以来だから、11年振りになる。
僕は東京から、少し早めの夏休みを採り北海道にある百名山の幾つかを登る計画を立ててやって来ていた。
少し早めの夏山シーズンが始まったばかりの平日の避難小屋は、僕を含めて泊まり客は三人だけだった。
荷物をほどいた隣に長髪で日焼けした…如何にも山男風なガタイの良い大男が居て、野太い声でいきなり「山岳部の宮田篤だよな?」と話し掛けられたのだ。

「取り憑かれちまったんだよな」
再会した時、松浦サトルは北海道の山について、そう言った。
二十歳の時に初めて歩いた「大雪山」が忘れられず、北海道へ移住して来たと言った。
山好きが高じて進学した信州の大学では、山岳部に馴染めず単独行を繰り返し、夏休みに一人で訪れた北海道で「取り憑かれた」という。
大学を中退し、北海道に引っ越し大雪山に通いつめたらしい。
広大な大雪山連峰を縦走するには一週間単位の休みが必要な為、定職には就かずアルバイトを繰り返し、長期休暇を認められない職場は、その都度…仕事辞めて山へ来るという。
「所詮、山に登らない人間には、山に登る人間の気持ちは理解出来ないのさ」
それが、「二種類の人間」の理屈らしいが、昔からサトルは意味不明な自分なりの論理を構築していた。
山岳部の山行で北アルプスを縦走した時も、「山は道具で登るんじゃない。気合いと根性で登るのだ」と、ゴム長靴で参加した事があった。
本人曰わく…「先ず道具ありき」の昨今の登山界に対するアンチテーゼらしかったが、ガレ場で躓いて爪先をしこたま岩にぶつけて悶絶しながら、「やっぱり、安全靴にするべきだった」と良く分からない捨て台詞を吐いていた。

「百名山なんて、どっかのオッサンが勝手に決めた山より、大雪山を歩かずに北海道の山は語れないさ」
「どっかのオッサンじゃなくて、深田久弥だろ?」
「オッサンで十分だ。あのオッサン…ちょこっと北海道来て、それで百名山決めやがったんだぜ?ニペソツも知らなくて、あとで悔しがったらしいじゃん。芦別岳も登ってねぇで北海道の山を語るんじゃねぇってんだよ。旭とトムラに、ちょこっと登っただけで大雪山の何が分かんだよ?大雪山の面白さは、長大な縦走路にあるんだぞ。そこを歩かずに、何を偉そうに言ってんだよ」
「別に偉そうににはしてないだろ?」
「いや、きっと偉そうにしてた筈だ。センセーとか呼ばれて、キャバクラで鼻の下伸ばしてたんだぜ。俺なら絶対そうなる。」
「自分のハナシかよ?」
「兎に角だ。大雪山の縦走路を歩かずして、北海道の山は語れないって事だよ」

再会した日、そう、そそのかされて…今回、二人で大雪山を縦走しようと計画したのだ。
僕は一足早く「十勝岳温泉」から入山し、「富良野岳」「上ホロカメットク」「十勝岳」「美瑛岳」を縦走し、一日遅れで入山したサトルと、この「美瑛富士避難小屋」で合流したというワケだ。

高校卒業後、僕は都内の私立大学へ進み、アウトドア系のサークルに入ったが山登りからは遠ざかり、大手電気機器メーカーに就職してからは仕事に追われ、山登りを再開したのは三年前だった。
山岳部を引退する時に、主な装備は後輩達に譲ってしまった為、新たに装備は買い揃えなければならなかった。
巷には、なにやら…知らないうちに登山ブームが起こっており、カラフルでケバケバしい高機能ウェア類や、最先端素材で作られた軽い装備が沢山ショップに並んでいたが、僕が買ったのは山岳部時代と大して変わらない地味で質実剛健を絵に描いたようなものばかりだった。
サトルの道具優先主義に対するアンチテーゼに同調したワケでは無い。単に気恥ずかしさと、スペック云々の説明書を読むのが面倒臭かっただけだ。

それからは、妻に文句を言われながらも、週末毎に山に通った。
主に、学生時代に歩いた丹沢や八ヶ岳や北アルプスだ。
昔みたいな…ハイリスクな岩登りや雪山はやらなくなったが、久し振りに山を歩いていると、昔を思い出して気分が高揚した。
だが、何故…山登りを再開する気になったのかは、自分でも解らなかった。
サトルの言葉を借りると「取り憑かれた」悪霊が再び騒ぎ出した。という事なのだろうか。
そういえば…山岳部の顧問だった工藤先生も「山登りってのは、一種の病気だ」と言っていたのを思い出した。
病気だとか、取り憑かれただとか、こんな物騒なスポーツが他にあるだろうか。
少なくとも、カタギのやるスポーツでは無いのは確かだろう。
それは…目の前の、嘗ての岳友を見ていれば、良く解る。



「えっとぉ…斉藤さん、だっけ?それ、本気で言ってるの?」
「はい。ダメですか?」
「いや、ダメじゃないけど…ほら、他にもテニスとかバスケットとか、都会的なクラブは幾らもあるじゃん。なんで、山岳部なの?」
「うーん、自然が好き?だからかな~」
放課後、いつものように山岳部の部室に向かっていた僕は、一年生の「斉藤」と名乗る女子に突然声を掛けられた。
今風なルーズソックスでは無く、真っ白なピッタリとした靴下を履いた、長い黒髪が綺麗な和風美人系の「斉藤さん」は、唐突に…「山岳部に入りたいんですけど」と、言い出したのだ。
我が山岳部は、「山岳部と本人達は言っているが、本当は山賊部なんじゃないか?」と言われるぐらい…外見的にヤバい奴らが集まっている事で有名だった。
顧問の工藤先生自体が、殆ど山賊の親分みたいな風貌をしていたし、風呂にも入れない一週間の長い山行を終えて下界に戻って来た時には、部員全員の人相が変わり、散歩中の犬に吼えられるぐらい獣臭が漂うような、むくつけき集団だったのだ。
そんな部に、女子が近付く筈も無く、我が山岳部は何年も女子部員が居ない状態が続いていた。
「とりあえず、顧問の工藤先生に訊いたら…宮田先輩に話をしてみろって事だったので…」
「なんで、僕なんだろ?」
「工藤先生は、山岳部の中で一番まともだから…と言ってましたけど?」
「あ、そ…」

とりあえず、「斉藤さん」と話をする為に彼女を部室に連れて行く事にした。
部室と言っても、体育倉庫の一部を改装した…文字通り倉庫の片隅みたいな部屋で、室内には無造作に登山装備が放り出されていて、「山賊の砦でも、もう少し片付けられてるだろうに」というような具合だった。
それを見た「斉藤さん」が、「やっぱり、やめます」と言うと確信していたが、開口一番彼女が発した台詞は…「ホントに山賊部ですねぇ」という言葉と、新緑の谷筋に吹き渡るような爽やかな笑顔だったから、僕のほうがドキマギした次第だった。

「斉藤さん」に、昨年の夏合宿で訪れた北アルプス縦走の写真を見せながら、僕は落ち着きなくそわそわしていた。
普段は滅多に寄り付かない筈の部員の誰かが、今にも部室に入って来るんではないだろうか、と思っていたからだ。
女子と二人きりというシチュエーションも不慣れだったし、入って来た誰かに冷やかされるかも知れない…と、思っていたからだ。
そんな心配をよそに、「斉藤さん」は槍ヶ岳の写真を「ホントに尖ってますね」と、しきりに感心しながら、ニコニコしていた。
その時、ドアを開いて入って来たのが松浦サトルだった。
サトルは、「斉藤さん」を稜線で雷鳥を見掛けた時のように少し驚いたように一瞥したアト、「な~んだ、雷鳥かぁ」というように瞬時に興味を無くしたように視線を外し、僕に向かって…相変わらず不機嫌そうに「ボンベと白ガス、と領収書」と袋を差し出し、何のリアクションもせず部室を出て行った。
「斉藤さん」は不思議そうに…「あのヒトも、山岳部ですか?」と尋ねた。
「あぁ…僕と同じ二年の松浦。」と応えると同時に、勢い良くドアが開いて、再び松浦サトルが飛び込んで来た。
「何故だ?」
不思議そうに僕に問い掛けると、「斉藤さん」をマジマジを眺め回した。

「何故、ココに女子が居る?宮田篤、何処で拉致って来た?簡潔に、100文字以内で説明しろっ。説明したアト、俺に紹介しろ。」
一番厄介な奴に見つかってしまったと、困った顔をしてオドオドしていると、松浦サトルは「説明しろ」と言ったくせに、僕には見向きもせずに「斉藤さん」に近付いて、「僕が来たから、もう大丈夫です。今、コイツをドラゴン・スリーパーで眠らせますから、その間に逃げて下さい」と囁いた。
「思いっきり、俺にも聞こえてるぞ。っていうか、拉致してきた前提でハナシを進めるなよ」
「あ、因みに…ドラゴン・スリーパーは新日本プロレスの藤波辰巳の必殺技で…」
「俺を無視すんなっ。それに、ドラゴン・スリーパーの説明も要らないからなっ」

そんなワケで、「斉藤さん」の松浦サトルに対するイメージは、「わけのわからない人」という、我々…山岳部員と大して変わらないものに固定化された。
つまり、我が…むくつけき山賊部に紅一点となる女子部員「斉藤初美」は入部する事になったのだ。

結局、その年は「斉藤さん」の他に5人の男子一年生部員が入部し、我々二年生の6人と、三年生4人が山岳部を構成する事になったのだが、斉藤初美の入部は山岳部にとって正に歴史的革命的衝撃的事件となった。
我が山岳部の伝統として、新人歓迎合宿(新歓)は残雪期の北アルプス「涸沢」で行われる事になっていた。
松浦サトルは、新歓合宿をサボって一人「立山連峰」に行っていたから知らないが、その合宿では新入部員達を肉体的に苛める…創部以来伝統として行われていた「儀式」が廃止された。
紅一点部員「斉藤初美」の加入が保守的伝統を打ち破った革命的事件として、その後…山賊部は新たな路線を模索する事になる。
だが、それが…松浦サトルを始めとする尖鋭化したセクトを生み出し、部を分裂に向かわせる事になるのを、この時点で鼻の下を伸ばしていた我々は知る由も無かった。

つづく。



今を去る事…8年前の残雪期の「空沼」で登山デビューした隊員が居た。
本格的な登山は初めてだった…その隊員の為、登山靴購入から拙者が面倒をみて、登山デビューの行き先に選んだのは、未だに数mの残雪が残る4月の「空沼岳」だった。
本来なら、雪が消えるまで待つべきなのだろうが、拙者は兎に角…「習うより慣れろ」の現場主義だし、「初めてだから、なんも分かんねえだろ~」という、いい加減さもあり、難易度の高い残雪期の春山に連れ出し、あまつさえ…厳しい状況の中で、初めてだから「山登りって、こんなもんなんだ~」と思うだろ~なと、ビッシリ雪が残った山で餃子を包ませたりしたノダ(ヒドい奴だ)。

んでもって、3回目の山行がイキナリ「羊蹄山」の小屋泊に連れ出したり、初めての雪山が吹雪いた山だったり、初めての天幕泊が雪山だったり…
いやはや、今こうして振り返っても、連れてく拙者も拙者だが、付いて来る方も付いて来る方だよな(アタマおかしいんじゃないか?)。
ま、そんなこんなの歴史があるのが…「山の師匠である拙者を、尊敬する素振りすら見せぬ」イタリア人L隊員ナノだ。

そんなL隊員と一緒に、残雪期の「空沼」に出掛け、「真簾沼の畔で天幕泊をしよ~」と計画したノダ。
昨年、皆既月蝕を狙って残雪期に「空沼」には山泊で入っていたが、二年前の秋の大雨で流された登山口の橋は今もって修復される気配も無く、前回のような雪代増水した沢の渡渉が唯一の懸案であった。

平日の金曜日、午前10時半。
登山口に到着すると、案の定…激しく増水した沢に行く手を阻まれた。
途中の林道には、2~3台の車が停まっていたから、何人かは入山しているようだが、増水した沢水に没した流木を流用した簡易橋を渡るには、我々のザックは巨大過ぎた。
バランスを崩し転倒すると、「痛い冷たい」だけでは済みそうに無い。
空身で偵察して渡ってみたが、簡易橋は余りにも不安定過ぎて、デカザックを背負った身には、リスクが高過ぎた。
「…という事で、選択肢は三つある。今回は諦めて別の山に行くか、この登山口で天幕張って焚き火して泊まるか、去年…拙者が渡渉した場所まで迂回して裸足で渡渉するか…だな。」
L隊員にとっては久し振りの「空沼」であり、計画段階からずっと楽しみにしていたらしく、迂回して渡渉する事を選択した。
昨年と同じように登山口の裏手を攀じり藪を漕ぎ、「空沼林道」に出て上流を目指した。
昨年渡渉したポイントに行く途中、水量を見ようと沢を覗き込んだところ、なんと!誰かが作った立派なハシゴ状の簡易橋があったのだ。
見上げた対岸には、法面のような痕跡もあり「空沼林道」に上がれるようだった。
試しに空身で渡ってみたが、強度に問題は無さそうだった。
例え落ちても膝上ぐらいの水深だし、川底は砂砂利のようだ。
下山用に立木にマーカーを設置し、ザックを背負い直し、ストックで三点支持しながら慎重に簡易橋を渡る。
拙者が渡りきってから、対岸のL隊員にストックを放り投げてやる(L隊員はストックもスパッツも忘れた)。
L隊員も無事に渡り終えて、地形図を読み一般登山道へ合流するルートを探る。
とりあえず、空沼林道を進み、いい加減な場所からトラバース気味に藪斜面を戻って行こう。
地形図を見ると、100mも行かないで登山道に戻れるだろうと思われた。
急斜面を笹に捕まりながら、空沼林道に上がり、その先のヘアピンカーブまで進み、藪の中へ突進した。
しかし、藪は想像以上の強固さをもって我々の前に立ちはだかった。
雪が消えたばかりだから、笹も未だ立ち上がっていないだろうと目論んだのだが、藪はすっかり夏山並みに立ち上がっていた。
殊の外、雪が消えるのが早かったようだ。
デカザックを背負っての藪漕ぎは大変だ。
なるべく、藪の薄い場所を狙って進むのだが、ザックが大きい為アチコチが引っ掛かるし、バランスを崩すと簡単に転倒してしまう。
時々、倒木の上に乗って行く手を探る。
トラバースしてる積もりだったが、知らぬうちに高度を上げてしまったようだ。
50m程先の立木にルートマーカーのピンクテープを発見した。
方角は間違っていないようだ。
振り返ると、普段…絶え間なく喋り続けているL隊員が無口になっていた。
かなり、ヤラレてるようだ。
拙者も、いつの間にか…ハットに乗せていたサングラスを無くしていた。
「夏道見つけたから、もう少しだけ頑張って」

結局、1時間近く掛かって迂回して、無事に一般登山道に復帰した。
L隊員も、かなり消耗してしまったようだ。
彼女にとっては、初めてに近い経験だったようだ。
ま、フツーの山登りは…こんなトコロは歩かないからな~
山菜やキノコ採りにとっては、当たり前の事だが、一般常識から考えたら、実は…とんでもない事をしていたのだな…と、L隊員を見て痛感してしまった。
時間は既に正午を過ぎていた。
予定より、大分遅れてしまった。
「真簾沼」まで届くだろうか?
麓には全く雪が無いが、「万計沼」から上は残雪がビッシリだろう。デカザックでの登坂も時間が掛かりそうだ。
「したらさ~、真簾は諦めて万計山荘に泊まる?アソコに泊まった事無いでしょ?生憎、風も強いし、平日なら誰も居ないだろうし…」と提案すると、二つ返事で同意した(やっぱり、ヤラレてたんだ…)。

そうと決まれば、先を急ぐ事は無い。
のんびりと歩いても2時間半もあれば着くだろう。
とりあえず、オムスビで補給してから夏道を「万計沼」を目指して出発した。
しかし、夏道も…結構な藪被りになっていた。
やはり、登山口の渡渉橋が流されてから、極端に登山者が減ってしまったのだろう(ので刈り取りもされない)。

万計沢の出合いまで高度を上げると、残雪が目立ちはじめた。
沢沿いのルートに入ると、ルートにも残雪があり、登行速度も落ちた。
「空沼」には、もう一カ所「万計沢」の渡渉があった。「万計沢」下流を見渡すと、こちらも…かなり増水しているようだ。
渡渉部にたどり着いた。
此処も二年前の大雨で、大規模に流れが変わってしまっている。
流れの中に丸太が渡してあるが、見事に水流に没している。
以前は、15m程上流に本ルートのぬかるみを避ける為の新しい簡易橋が掛かっていたが、勿論…そちらも流されている。
少し下流には、倒木が沢を跨いでいたが、積雪期には山スキーヤーがスノーブリッジ代わりに渡る事もあるが、今は手掛かりも無く不安定過ぎた。
丸太と露出した石伝いに渡るしか無いようだ。
先ず、拙者が空身で渡り丸太や石の具合を見て…「とりあえず…浮き石や苔とかは付いてないから、石に乗っても大丈夫だよ」と伝え、ザックを背負って渡る。
再び、ストックをL隊員に渡し、今回は空身で渡らせ、奴のザックは拙者が対岸に戻って取ってきた。
難関の渡渉を終え、アトは…山荘に上がるだけだ。
途中、積雪期にルートを採る「万計沢」の対岸を見ると、結構…残雪があり、繋いで歩く事が出来そうに見えたので「下りる時は、沼から対岸に渡って、渡渉しないで済みそうだよ」と伝える。
万計沼から流れ出す滝横のトラバース・ルートは、残雪が殆ど残っていなかったので、そのまま進み、「万計山荘」に到着した。

強風を受けて沼面はさざ波立っていた。
この風なら、天幕泊は…そもそも無理だったな。
山荘横の入口から中に入り、道中拾ってきた樺皮を火付けに使い、早速…ストーブに火を入れる。
下界では、最高気温24℃らしいが、小屋の中は14℃しか無い。
今夜は、先週採ってきたギョウジャニンニクを使った「餃子」である。
L隊員に餃子タネに使う…白菜みじん切りをやってもらってる間に、拙者はサイドメニューの「塩ホルモン」と「豚さがり」を焼き、家で漬け込んできた「ギョウジャニンニク醤油漬け」を用意し、とりあえず…ビールで乾杯する。
漬け込んで5日目の「醤油漬け」は丁度食べ頃で、塩ホルモンと一緒に食べると、滅茶苦茶旨かった。
L隊員が30分掛かりで刻んだ白菜は、塩をして揉んで浸透圧を利用して余計な水分を出してしまう。
そこに、フレッシュなギョウジャニンニクを刻み入れ、豚挽き肉を入れる。味付けに…胡椒、粉末鶏ガラスープ、ごま油を足し、手で良くこねる。
もち粉入りの皮に包み、フライパンで焼く(×2回)。残りは、スープ餃子にする。
アツアツの焼き餃子とビールが、この上なく美味い。
色々な話しをしたが、夜勤明けだし、酒も入っていたし、内容は殆ど覚えていない。
「二階で寝る」と言っていたL隊員も、面倒くさくなりストーブの横に転がった拙者を真似て、ストーブの横にシュラフを広げた。
夜中、何回か起きて、ストーブに薪を足してくれたようだ。

翌朝、放射冷却も加わり「万計沼」の縁に薄氷が張るぐらい冷え込んだようだ。
余り、のんびりし過ぎて、気温が上がり増水すると再び藪漕ぎをしなくてはならないので、8時出発と告げる。
山泊慣れしていないL隊員がパッキングに苦労している間に、片付けと掃除を済ませた。
その途中、早くも日帰り登山者が上がってきて、山荘を覗き込んていった。
その中の一人が、「空沼」ピークへの道を尋ねてきたので、少々のアドバイスと警告を与える。
トレースが残らない春山は、地図読みが出来無いと危険ですよ、と少し強めに言っておく。

下山は、改修工事が決まった「空沼小屋」(北大山岳部所有)の裏手に回り込んで、「万計沢」右岸のバリエーション・ルートを辿る。
途中、残雪を繋いで尻ボをしながら、高度を下げ渡渉部の下流の夏道に復帰しよう。
あらぬ方向から現れた我々に、夏道を登って来た山ガール二人組みに驚かれたが、狙い通りの場所に合流した。

快晴の土曜日という事もあり、次々と登山者が上がって来る。
途中、木炭の箱やデカいクーラーボックスを担いだ…ワンゲルパーティーとスレ違った。
「何のご馳走食べるの?」とスレ違い様に尋ねると…「バーベキューと、流しそうめんです♪」と言われ、パーティーの最後尾に、「ガンキャノン」のように二本の長い塩ビ管を担いだ青年を発見し爆笑した(多分、あの馬鹿さ加減は、北大ワンゲルの新人歓迎山行かな?)。

登山口の渡渉部は、昨日並みに増水していた。
食糧や酒が減って軽くなったザックを背負ったまんま、渡渉した。
L隊員も、再び藪漕ぎはしたくないようで、足首まで水没しながら強引に渡渉してしまった(そんなに懲りたのか…)。
今回は意に反して、なかなか…アドベンチャーな春山山行になってしまったが、夏山と積雪期の両方を楽しめる…この時期の「空沼」は、やっぱり楽しいもんだ…な、と再認識したのであった。

おわり。

【写真1】登山口の水没橋
【写真2】強風残雪の万計沼
【写真3】ギョウジャニンニク入り特製餃子