「ヒサゴ沼避難小屋」一階に荷物を解き、濡れたまんまのテントを干すと、やる事がなくなってしまった。
近くを散策しようかと思ったが、脱いだ登山靴を再び履くのも億劫だ。
晩飯には早過ぎるし、飲み始めても担いで来た酒の量が限られている。
持ってきた「吉村昭」の文庫本も、読む気にはなれない。
仕方なく小屋の前の石に腰掛け、ボンヤリと沼を見ていた。

山では「早出早着」と良く言うが、こんなに早い時間に泊地に入っても、手持ち無沙汰で困ってしまう。
それなら、体力と天候が許す限り…日没ギリギリまで行動していたい、と思う。
昨日、ビバークしたのは…確か、16時少し前だったが、濡れる濃密なガスと風に体力を消耗して、ココロが折れたからだった。
余力を残して泊地に到着するのは、確かに正しいとは思うが、拙者のようにビバークを前提として、いつでも何処でも寝られる心積もりで歩いていると、こんなふうに早い午後に行動を切り上げて宿営地に到着してしまうと、正直言って…寝るまでの時間をどう過ごせばイイのか、困ってしまうノダ。
展望のある宿営地なら、雄大な山並みを飽きずに眺めていられるし、初めてのビバーク場所なら色々探検も出来るし、水汲みや羆対策(マーキング)の仕事もある。
しかし、こんな…天候で避難小屋泊だと、荷物を解いたらするべき事は何もなくなってしまう。
疲れてるんだから、とっとと飯食って寝てしまえば良いのだが、「森田健作」じゃ無いんだから夕方に床に就くなんて出来やしない。
今日だって、2つのピークを越えて、ちゃんと7時間も行動したのだから、それなりに疲れてはいるノダ。
だが、ゴロゴロする気にはなれなかった。
多分、DEEP大雪に入って…キモチの何処かが張り詰めたままになっているのだろう。
いくら避難小屋に居るからと言って、緊張を解く事は出来無い。無事に下山するまで何があるか分からないノダ。

ラジオのプロ野球中継が始まるのを待って、夕食の準備をし始める。
今回は、荷物を軽量化した為に、生野菜はキュウリだけにして、米も全てアルファ米にした。
以前紹介した漫画「山と食欲と私」2巻で紹介されていた山メニュー「天かす丼」を作ってみる事にする。
ま、レシピは大した事は無い。
白飯の上に天かすを乗せ、ポン酢とネギ(乾燥)をかけただけの、手抜き山ごはんだ。
途中採ってきたキノコは、軽く洗って味噌汁に入れた。
「クラシック」を開け、空きっ腹に入れると、胃が驚いて収縮してキリキリ痛んだ。
「天かす丼」をワシワシかき込んだら、ポン酢に咽(む)せて激しく咳き込んでしまった。
うーん、美味くない。
漫画の主人公は絶賛していたが、拙者の貧乏舌ですら「?」なジャンクな味で、「二度とやらない」と固く誓う。
それに反して、キノコ入り味噌汁は美味かった。
二本目の「クラシック」(誕生日だから、特別に二本空けた)のアトは、「ジャック・ダニエル」をストレートでチビチビしながら、まったり過ごす。

夜半から降り出した雨は、目覚めた頃には強風を伴い、外は大荒れになっていた。
玄関横の明かり採りの窓からは、小屋前のナナカマドが激しく暴れている姿が見える。凡そ、風速10m/sというトコロか。
「ヒサゴ沼」で10m/sという事は、稜線上では20m/sは吹いているものと思って間違いない。
雨は、それ程強くは無いが、吹きさらしの稜線を歩くには躊躇するコンディションなのは確かだ。
問題は風だった。
大雪山系にあるテン場やビバーク地は、西風を想定した立地に設けられている。
今日の風は、南岸低気圧通過後の北寄りの東風だという事だ。
縦走路上にあるテン場やビバーク地の場所を色々思い浮かべてみるが、心当たりの場所どれも東向きに開けていた。
宿営予定地だった「三川台」下のビバーク地も、東側の「ユートムラウシ花園」に向かって開けている。
勿論、そこ迄の行程も、「トムラウシ」の岩峰を巻くトラバース・ルート以外は殆どが東風をモロに受けてしまう…吹きさらしの行程だった。
朝一番のNHKの天気予報に因れば、明日一日気圧の谷でぐずつくようだ。
つまり、大雪山では台風並みに大荒れ…という事だ。
「ふぅ、仕方無いかぁ」
久し振りの避難小屋停滞も悪くないか…
そう決めると、朝食を食べ再びシュラフに潜り込み惰眠を貪る事にする。

一日中ゴロゴロして過ごし、夕方…雨が止んだのを見計らって、小屋横の流れ出しで水汲みをする。
寝ている内に風向きが変わり、いつもの西風が沼に吹き下ろしていた。
こんな大荒れに行動している縦走者も居ないだろう。今夜も一人静かな夜になるな。
明日…少しでも回復したら、前進したい。
もう1日停滞してしまうと、十勝連峰に届かなくなってしまう。
長い「大雪山~十勝」縦走路を抜けるには、2日間では足りない。
「ヒサゴ沼~双子池」を1日で歩くのは大変だ。以前、逆コースを歩いた時は11時間掛かった筈だ。翌日「双子池」から一気に「白金温泉」に下山するのも、なまら大変だ。
どうしても…3日、いや2日半は欲しい。
明日…「三川台」まで前進出来れば、2日目「オプタテ」でビバークして、翌日…明るい内に「白金温泉」に下山は可能だ。

だが、翌朝も天候は回復の兆しすら見せなかった。
悪天候の中、少し無理をして「三川台」まで前進するか、今日もう1日停滞して、無理やり2日間で繋いでしまうか、若しくは「表大雪」に引き返すか…選択肢は三つに絞られた。
小屋の玄関で空模様を眺める。
雨は時折…弱まるが、風は全く収まっていない。
ここで判断を誤ると「トムラウシ大量遭難」の二の舞になるかも知れない。
「十勝連峰」へのルートは目を瞑っても歩けるぐらい熟知しているから、道迷いは心配無いが…
問題は風だ。
風で体力を消耗し、低体温症に陥り行動不能になる可能性がある。
「日本庭園」から先は、吹きさらしの稜線歩きが続く。
エスケープルートは使えない。
下界の予報では、明日後半から回復傾向らしいが、山では半日から丸1日回復が遅れるのが普通だ。
どうする、どうする?
考えろ考えろ。
大荒れの縦走路を歩いている自分の姿を想像してみる。
過去の、幾つもの荒天行動の記憶が蘇る。
一昨年の石狩連峰稜線での登山道上でのビバーク。土砂降りのシュナイダーコース下山の記憶は生々しい。
「原始が原」から台風一過の十勝連峰に入って、「富良野岳」で強風にやられ低体温症になり、「上ホロカメットク避難小屋」に半分意識を失って逃げ込んだ事もあった。
土砂降りの「天人峡温泉」への下山は、雨水路を膝上まで水に浸かりながらの下山だった。
台風の間隙をついて「白雲」から「忠別」に移動した時は、雨が下から降ってきて目も開けられないぐらいだった。
うーん、我ながら…呆れるぐらい、色々と修羅場を経験してきたな~。
あの頃は、どうして…そんな無茶な行動が出来たのだろう。
「山では絶対に死なない」、という根拠無き自信があったのだろうか。
それとも、「こんなのは、大した事では無い」と思っていたのか。
様々な経験を経ると、経験値は上がる。個人的なデータとして、自分の限界値も蓄積される。
「あの時は大丈夫だった」からという自信にもなるだろう。
しかし、同じぐらい…恐怖心も芽生える。
生命体としての防衛本能が、警鐘を鳴らし警戒を促す。
山をやり始めて、かれこれ…40年近く、山に対する恐怖心は年々強くなる。
山を知れば知る程、山が怖くなる。

翌朝、いつも通り…4時半に目覚めて、直ぐさま外の様子を窺う。
ダメだ。風は昨日よりヒドくなっている。雨だけなら前進も考えたが、やはり…山では風が一番怖い。
今日停滞してしまうと、下山予定日までは2日しか無い。
「表大雪」まで引き返すにしても、ギリギリのスケジュールになる。
また、撤退か…
昨年の東大雪に引き続き、二年連続の撤退は過去に例が無い。
悪天候を突いて前進するか、明日回復してから撤退するか…

暫く遠謀深慮して拙者が出した答えは…「表大雪に引き返す」だった。
一昨年の東大雪縦走のような無茶な行動は慎むべきだ。あんな、登山道の真ん中でビバークするような厳しい山行は、拙者の本意では無い。
もっと、ノホホンと縦走を楽しみたいノダ。
そりゃあ、たまには厳しいギリギリの山行をやりたくなる時もあるが、今回ばかりは例年とは違う。
エスケープルートすら確保出来無い時点で、「前進か撤退か」の選択肢しか無いのだから、無理は出来無い。
十年前の自分なら…躊躇せずに前進を選んだかも知れない。
いや、敢えて厳しい状況に飛び込んだだろう。
それが、大雪山縦走だと思っていたし、その状況から無事に下山する事こそ、目的だったろう。
しかし、今の自分は…もう、無知で無謀な若者では無い。
数々の修羅場を経験し、そこから沢山の事を学んだ。
それを、保守的だと論ずるのは簡単だし、敢えて反論しようとも思わない。
経験を積み重ね、時に失敗をし、そこから学ぶ事は恥じる事では無い。堅実さこそが…単独行者が単独行者である為に、必要不可欠な要素だろう。

夕方、小屋の外にヒトの気配を感じて、横たえた体を起こすと、びしょ濡れになった…60歳ぐらいの小柄なオジサンと、まだ二十代と思われる精悍な感じのニイサンの二人連れが避難小屋に入ってきた。
この悪天候の中、「白雲小屋」からやって来たようだ。
レインスーツを脱いだ二人の体からは、勢い良く湯気が立ち上った。レインスーツの耐水圧を超える降雨に打たれ、中まで濡れている証拠だ。
二人共、かなり消耗しているようだ。
今年、「ヒサゴ小屋」に入って驚いた事がある。以前に比べて、小屋内にあるハンガーや物干し紐が大量に増えていたノダ。
つまり、悪天候を突いて歩いて来る縦走者が、多くなっている事を表しているのだ。
「トムラウシ大量遭難事故」から4~5年経つが、事故の教訓に学ぶ人間はさほど増えていない、という事なのだろうか。
二人は鉄梯子を登って二階に上がってしまい、詳しい日程などは聞きそびれてしまった。
素人には見えないから、エスケープルートが全滅な事は知っているだろうが、こんな悪天候に歩くとは、スケジュールに余裕が無いのだろうか。

「ヒサゴ小屋」三泊目は「広島カープ」の優勝を肴に、のんびり一人宴で過ごした。
翌朝、「ヒサゴ小屋」は相変わらずのガスの中にあったが、風は止んでいた。
明るくなるのを待って、出発の準備をする。
二階の二人は、出発する気配は無く、ゆっくりと朝食を採っていた。
身支度を整え、二階の二人に挨拶をしたついでに、少し会話する。
昨日の強行軍が応えたらしく、出発を躊躇っていたが、「午後からは少し良くなるんじゃないですかね」という拙者の言葉に迷っている素振りだった。
拙者は、二人に「表大雪」に引き返す事を伝え、「ヒサゴ小屋」をアトにし、「化雲岳」へのルートに歩き出した。

つづく。

【写真1】小屋前でテントを干す
【写真2】天かす丼
【写真3】卵かけご飯定食



目覚めると、昨夜来…テントをバタつかせていた風が止んでおり、ガスも抜けていた。
東側の「高原温泉」側には、濃密なベルベットのような雲海が眼下に広がっていた。
今朝方は冷え込みも無く、この時期にしては温かい朝だった。
昨夜、ラジオで聴いた通り天候は下り坂のようだ。前線を伴った低気圧が北海道南岸を通過し、今夜あたりから降り出すだろう。
本来ならば、誕生日の今夜は以前から狙っていた…「クワウンナイ沢」源頭部にある素敵なテン場にテントを張りたかったのだが、荒れるなら「ヒサゴ沼避難小屋」に入ったほうが、無難かも知れない。
低気圧通過後、気圧の谷も通過しそうだから、山は2~3日荒れるだろう。
朝食に昨晩の残りの赤飯を頬張りながら、考え込んでいた。
うむ~、停滞するなら、窮屈なテントより避難小屋だろうな。
ま、天候を見ながら…「ヒサゴ分岐」で最終的に判断しよう。
濡れたまんまのテントをたたみ、パッキングをして出発する。
「忠別沼」のコルには東側の雲海から千切れたガスが上がってきていた。
久し振りに訪れたが、この標高にこんなに立派な沼があるのには驚かされる。
恐らく…水源は、雪融け水と天水だけだろうが、もしかしたら…「忠別岳」からの伏流水が、何処かに湧き出しているのかも知れない。
「忠別岳」への緩やかな登りに差し掛かると、東風が吹き始めた。
太陽はとうに昇っているが、気温は殆ど上昇していなかった。
緩やかな勾配を詰めると、突如として右手に断崖絶壁が現れる。
「忠別岳」の西側は、ほぼ垂直に200m近く切り取られている。
崖下からは「忠別川」源流部の、荒々しい沢音が迫り上がってくる。
その流れを目で追っていると、「忠別岳避難小屋」への分岐があるコル辺りに、東側から吹き流されてきたガスが、まるで…滝のように谷筋に流れ落ちていた。
これは、凄い。
なかなか見られ無い、珍しい光景に見とれていると、躰があっと言う間に冷えてきた。
…ので、簡単に補給を済ませて、早々に下りる事にする。
暫く下降すると、縦走路の左手に合流するルートがあった。
今は廃道になった「シビナイコース」との合流点だろう。
間違えて下りないよう、ペンキで×印が書かれた石が並んでいた。
いつかは歩いてみたいと思っていたコースだが、最近の登行記録は無い。
廃道になって10年以上経つし、廃道になる前も「一般登山者向けでは無い」という意味の破線コースだったから、今は踏み跡も消えているのだろう。
極悪な藪漕ぎをするぐらいなら、「忠別小屋」前を流れる「シビナイ沢」を遡行したほうが楽な筈だ。
背の低いハイマツ帯の刈り分け道を下降し、白茶けた砂礫が埋め尽くすコルに辿り着いた。
昔、この場所で不思議な登山者とすれ違った事がある。
まるで、日帰り登山のような軽装備で、夕刻…「忠別岳」を登って行く単独の中年女性だった。
挨拶した拙者に見向きもせず、トボトボと力無く歩いていたのを覚えている。
ビバーク装備を持っているようにも見えず、縦走路を北に向かった中年女性は、一体何処に向かっていたのか?
「白雲小屋」に向かったとしたら、小屋に着くのは21時を過ぎてしまうだろうし、件(くだん)の「シビナイ破線コース」を下りるにはキャリア不足に思えて仕方ない風体だった。
その夜、「忠別小屋」に同宿した登山者にその話をしたら…「そのオバサン、ちゃんと足はありましたか?」と気味悪い事を(半笑いで)言っていた。

今回は、「忠別小屋」にも寄らず、「五色岳」へ向かう事にする。
縦走路の脇には、「高根が原」辺りから白いキノコが沢山生えていた。
手に取ると、傘の裏側がスポンジ状になった「イグチ系」のキノコだったので、5~6個だけ採集して晩御飯の足しにする事にした。
見た事の無いキノコだったが、「イグチ系」は殆どが可食出来るので、恐らく大丈夫だろう(下山後調べると、ゴヨウイグチという食べられるキノコだった)。
ハイマツトンネルをくぐり抜け「五色岳」に到着すると、上空のガスが時折抜け始めた。
気温も少しずつ上昇し始めていた。
本来ならば、此処から向かう筈だった「東大雪」の事を思い浮かべる。
果たして、来年の縦走までに林道の補修はされるのだろうか…(多分、無理だろ~ナ)。
ま、どうせ…「十勝三股」まで歩くんだから、崩れた場所は無理やり通過しちゃえばイイのだ。
車の通行が出来無いだけで、崩れた部分を迂回すれば良いハナシだ。

「五色岳」を出発し、高層湿原帯「化雲平」へ向かう。
殆ど、アップダウンも無く、今は木道が整備されて大変歩き易い…お気に入りのルートだ。
ハイマツ帯に入ると、登山道脇に今朝方のものと思われる羆の新しい掘り返し跡があった。
今回初めて見る、羆の痕跡だ。
暫く進むと、新しい糞が…これ見よがしに登山道の真ん中に置き去られていた(恐らく、意図してやっている)。
内容物はコケモモやガンコウランの実と、夏草が混じっている、秋の糞だ。
糞の直径サイズ(肛門の大きさ)は小さい。
まだ若い羆のようだ。
良く良く観察すると、薄い足跡もあった。
幅が10cmにも満たない若羆か、当歳羆(親離れ前の二才羆)のものだ。
その先に、恐らく…母羆と思われる12cm幅ぐらいの足跡もあった。
どうやら、親子で朝ご飯を食べに稜線に上がって来たようだ。
「化雲平~ヒサゴ沼」の餌場に居着いている親子羆だろう。
緩やかな南向き草付き斜面が広がる「化雲平」は、羆が大好きな居心地良い典型的な環境だ。
今迄、何度も痕跡は見た事があるが、本人(本羆?)に遭った事は無い。
いつか遭ってみたいものだ。

暫くハイマツの回廊を進むと、突然…視界が開け高層湿原が広がる。
右側は白っぽい安山岩が散見する庭園風景観が続き、左側は広大な高山植物のお花畑が広がる中を、木道が続いている。
この木道が作られて…そろそろ15年ぐらい経つが、木道の傷みは激しい。
縦走路と「化雲岳」との分岐で、ザックを下ろし木道に座って休憩する。
ガスが遠望を閉ざしているが、殆ど風も無く、穏やかで暖かく…誠に気分が良い。
静かだ。
とても、静かだ。
何も音がしない。
聴覚的情報が一切入力されず、不純物が削ぎ落とされたような空気が空間を研ぎ澄ませ、自分が風景の一部に溶け込んでいるように感じる。
そう、この感じ。
これだ。
周囲十キロ四方に人間は誰も居ない。
これが…DEEP大雪山の醍醐味ナノだ。
ゴロリと木道の上に寝転がって、天空を仰ぎ見る。
「帰ってきたんだ」という懐かしさと、神経が張り詰めるような緊張感を織り交ぜた感慨が、胸にこみ上げる。

木道脇に建つ道標に、見慣れない印が付いていた。
英語のプレートに「Mt、Chubetsuーdake」と書かれ、その上に赤い三角形と「Daisetsuzan Grade5」と書かれている。
最近、増え始めた外国人トレッカーに向けた案内表示だろう。
確かに、今迄も沢山の外国人トレッカーと出会ってきたが、彼らは乏しい情報だけで、「表大雪~十勝岳」という長い縦走をやっていて、見ているコッチの方が心配する事が多い。
機会があれば、なるべく…必要な情報を与える事にしているが、我々には常識なエキノコックスや羆の事を殆ど全く知らないトレッカーが多い。
彼らが一番欲しがるのは、大抵は…ウェザーリポート(天気予報)の情報だった。
いつだったか、出会ったオーストラリア人に明日の天気を訊ねられて、思わず…「shit weather」(クソみたいな天気だな)と言って、爆笑された事があった。
晴れ(fine)曇り(cloudy)ガス(foggy)なら簡単だが、荒れ模様になりそうだったから、つい感情的に汚い言葉が出てしまったノダ(正しくは…stormyと言うべきだな)。

少し長い休憩をとった後、「化雲岳」から続く緩やかな段丘へ上がると、ガスの隙間から特徴的な「トムラ」の岩峰が覗いた。
東側から次々とガスが流れ、岩峰にまとわりついている。
ああいうガスが掛かる時は、天候は確実に下り坂なのだ。
東大雪の峰々は、厚い雲の中に隠れている。
やはり、予報通り…今夜から荒れ模様になりそうだった。
仕方ない、今夜は「ヒサゴ沼避難小屋」に入るとしよう。
ま、どうせ…誰も居ないだろうし、静かな誕生日の夜を過ごせるだろう。

小屋に入る前に雪渓融水を汲みたかったので、「日本庭園」側にある「ヒサゴ分岐」に向かう事にする。
分岐のあるコルには濃いガスが滞留していて、静謐さが支配していた。
お気に入りの「日本庭園」にも寄りたいが、いつ降り出してもおかしくない空模様に、「ヒサゴ」へのルートを採る。
「ヒサゴ沼」へ続く谷間は、ビッシリと安山岩のガレ場が続いている。濃いガスの為、視界が閉ざされ、グレーの岩と白色のガスのモノクロームの世界が登山者の不安を掻き立てる。
初めて、このルートを下りた30年前の自分も、とてつもない不安に襲われた経験がある。
この世では無い、異界へ迷い込んだのでは無いか?と本当に怖かった。
こんな大規模で、特徴的なガレ場は日本中探してもココにしか無いだろう。
ココでも、以前は聞こえた…ナキウサギの声はしなかった。何処かへ引っ越してしまったのだろうか。
暫く迷宮のようなガレ場を進むと、谷を埋め尽くす巨大な雪渓が現れた。
「ヒサゴ沼」の水源となる大雪渓だ。
一体何mぐらいの厚みがあるのか、分からない。
周囲1km程ある「ヒサゴ沼」に絶え間なく融水を供給し続ける雪渓は、一番小さくなる…この時期でも長さが300m程あり、最も幅広い場所は50m近くある。
恐らく…厳冬期には、「ヒサゴ分岐」のあるコルが西風の通り道になっていて、大量の雪を圧縮しながら雪渓に加え続いているのだろう。
この時期、雪渓表面は風雨により「スプーンカット」と呼ばれる硬く締まったウロコ状に変化していて、尻滑りは出来無くなっている。
ま、滑り出したら止まれずに、雪渓下部のガレ場に叩きつけられるから、慎重に「スプーンカット」の縁をグリップしながら下降する。

雪渓の切れる辺りに、融水の流れ出しがある。かなりな、水量だ。
キンキンに冷えた水を、プラティパス2本分補給して、避難小屋へ続く木道を辿る。
本来なら、この時期には…いち早く紅葉する筈のナナカマドも、殆ど焼けていなかった。
それどころか、木道沿いの草付きには、未だ…夏の花である「アオノツガザクラ」が咲いていた。
ココの雪は、ほんの数週間前に消えたばかりのようだ。
小屋に近づくと、黒土の露出したテン場が現れた。
毎年、ココには…北大の「地球環境研究室」フィールドワーク用資材をデポしたテントが、ひと夏張られているのだが、「クッチャンベツ林道」が止まっている為、今年は無かった。
避難小屋の入口には、外側から閂(かんぬき)が掛かっていて、中には誰も居ない事を表していた。
閂を外して小屋に入り、無人の一階土間に腰を下ろしザックを投げ出した。
昨年の縦走は、ココ迄辿り着けなかったので、二年振りの「ヒサゴ沼避難小屋」になる。

つづく。

【写真1】誰も居ない忠別岳に到着
【写真2】五色岳を過ぎると、当歳羆と思われる…真新しい糞があった
【写真3】ヒサゴ分岐からのガレ場の迷宮。何処にルートがあるのだか…



ロープウェイ「旭岳温泉駅」に到着すると、既に6時半の始発を待つ何人かの日帰りザックを担いだハイカー達が居た。
このロープウェイに乗るのは、何年か前の「当麻乗越」でのイリーガル(非合法)なビバーク泊以来になる。
以前、縦走で表大雪から入山する時は「層雲峡」から赤岳登山バスに揺られ「銀仙台」からというのが定番だった。
前泊は層雲峡ユースホステルだった。
層雲峡にあるキャンプ場は、ロープウェイ駅から遠く、8月半ばには営業を終了するので、初秋の縦走には使えないので仕方無くユースに泊まっていた。
今は無き「銀仙台ヒュッテ」に泊まった事もある。
ユースを利用しなくなったのは、興味の対象が表大雪から離れたのと、「赤岳」の登山者の多さに辟易としたからだ。
紅葉シーズンの「赤岳登山バス」は、通勤ラッシュと見紛うぐらいに混雑する。登山道もしかりだ。
北海道新聞の一面を毎年飾る…「日本一早い紅葉」スポットである「赤岳」第一公園は、登山道に登山者が連なって、デカザックを担いだ拙者がすり抜けながら歩く余地も無いぐらいだった。
ちょうど、「百名山ブーム」が起こり始めて、表大雪の登山者の平均年齢がグンと上昇した時期でもあった。
30をとうに越えた拙者ですら、若僧扱いをされていた時代でもある。
「中高年の百名山ブームが終わって静かになったら、また表大雪に来よう」と思っていたら、今度は「山ガールブーム」がやってきて、表大雪はなかなか静かにはならなかった。

ロープウェイ駅二階の乗り場には、始発を待つハイカー達の行列が出来ていた。
ったく、なんでもかんでも並びたがる、行列が好きな民族だ。
拙者は、世の中で一番嫌いなのが「行列」だ。
ロープウェイに乗る如きで、何故…大の大人が行列を作るのか、全く理解出来無い。
たかだか、7~8分立っているのが耐えられないのか?
オマエ達は幼稚園児か?
拙者は、行列から離れた場所で、一人階段の手すりにデカザックをもたれさせて(こ~すると楽ナノだ)、その光景をナナメ45度から眺めていた。
やがて改札が開始され、ハイカー達は先を急ぐようにロープウェイに乗り込んだ。
ハイカー達に混じって、軽装の観光客も居る。
見た事も無いブランドのザックを担いでいる若い派手派手山ガールハイカーは、台湾からだろうか。
やがて、ロープウェイが発車し、ゆるゆると進み始めた。
皆、口々に歓声をあげ、大雪山の眺望に見とれている。
拙者は、天候が気になって空模様ばかり見上げて、一人だけ違う方向を眺めている。
人いきれでムンムンする車内に、拙者は既にゲンナリしていた。早くも「旭岳」にウンザリし始めていたノダ。
まだ、登ってもいないのに…だ。
ロープウェイは、あっと言う間に「姿見駅」に到着し、ハイカー達は先を急ぐように待合室にあった「登山届」に記入して出発して行った。
その間、拙者はテラスで煙草を吹かし、ハイカー達が居なくなるのを待った。
待合室に誰も居なくなるのを待ち、ベンチで登山靴の紐を締め、ゲイター(スパッツね)を装着し、ハイドレーションのチューブを繋ぎ、「登山届」に記入した。

デカザックを担ぎ、「姿見駅」を出ると誰も居なくなっていた。
そんじゃ、ま、拙者もそろそろ出発しようか。
今日は…「旭岳」を乗越し、「間宮岳」「北海岳」を繋いで「白雲小屋」のもう少し先まで進んでしまいたかった。
「白雲小屋」にも、そのテン場にも泊まる積もりはサラサラ無かった。
少しでも早く、DEEP大雪に近付きたかった。
登山者の居なくなるだろう縦走路に入りたかった。
「旭岳避難小屋」の脇を通り過ぎ、散策路から登山道へ入ると、一人になった。
尾根伝いに、いきなりのザレ場が続いていた。
爆裂火口から硫黄臭が昇ってくる。
草木一本見当たらない火山帯特有の荒々しい景観は、拙者好みでは無かった。
肩と腰にのしかかる縦走装備に荒い息を吐きつつ、俯きながら黙々と高度を稼いだ。
抜けきらないガスが未だ遠望を閉ざしていて、「トムラウシ」も「オプタテ」も雲の中に隠れている。
身軽な日帰りハイカー達は、既に見上げた爆裂火口縁の尾根上に連なっていた。
振り返ると日帰り装備の団体が、10分程の距離に居た。
アレには吸収されたくないな~。
とりあえず、長い1日になるので、なるべく足を使わないよう、ズリズリズリズリ標高を稼ごう。

8合目まで上がってくると、ガスと共に風が強くなってきた。
気温は5℃に届いていなかった。
早くも先行者が下山してきたので、すれ違い様に頂上の風の様子を訊ねる。
「なまら、寒いっす」と、軽装のニイサンは応え駆け下りて行った。
9合目のガレた登山道脇で、初めての休憩を採り、防寒用に合羽を羽織った。
そこで、後続の団体パーティーに吸収された。ツアーだと思った彼等は道警の山岳救助隊だった。
勾配が増して、一団だった彼等もバラけている。前後に山岳救助隊を従えて、金庫岩のある枝尾根合流点を過ぎると、もう…そこは頂上だった。
30年振りに踏んだ北海道最高峰には、何の感慨も湧かなかった。
山頂標識を写真に収め(時間記録用)、一応…三角点にタッチして、早々に山頂を後にした。
頂上滞在30秒だった。
裏旭への急峻なザレ場を下り始めると、あれほど居た登山者が消えた。
20分程で「裏旭」のテン場横を通過した。巨大な雪渓から溶け出した融水が音を立てて流れていた。
高度を下げると、ガスも切れ間が見え始めた。風の当たらぬ草付きの段丘の陰にザックを下ろし、二回目の休憩を採り補給する。

ここから「お鉢平」の爆裂火口縁の稜線まで、幾つかの小ピークを乗越す地味な登りが続く。
火山礫が埋め尽くす赤茶けた火山帯地形には、生物の気配も無く、歩いていて楽しいルートでは無いので、黙々と登り返すしか無い。
30分程喘いで、稜線分岐に到着した。
先程追い越された男女二人連れが、長靴を履いた…山慣れしていそうなニイサンと話しをしている横を挨拶だけ交わし通過して「北海岳」へ向かう。
稜線に上がるとガスが抜け、青空が広がった。
久し振りに「お鉢平」を見た。
風化が進行中の稜線は、砂礫も堆積しておらず硬い地面で歩き易く、余所見をしながら歩けるのがイイ。
暫く歩くと、先程分岐に居た長靴ニイサンが追いついてきた。
「縦走ですか?十勝まで?」
「ええ、今年はアプローチ林道が全滅だから、こんなベタベタな縦走コースしか取れなくて…」
「もしかして、原始が原まで行っちゃいます?」
「いやあ、流石に…。それに、十勝過ぎると稜雲閣の誘惑があるから、アレには逆らえないっしょ?」
「あははは…そうですね。自分…先週、原始が原行こうとしたら、林道が通行止めでしたから」
「原始が原もダメですか、崩れそうな林道じゃ無いんだけどな~南富(なんぷ=南富良野)があれだけの被害だから無事じゃいられないとは思ってたけど…」
訊けば、長靴ニイサンはパークレンジャーで巡視中だと云う。
暫く歩きながら話しをして「それじゃあ、気をつけて」と言いつつ、スタスタと追い越して、あっと言う間に視界から消えて行ってしまった。

「北海岳」山頂の分岐に到着したが、相変わらずヒト気は無かった。
よしよし、イイぞぉ。
想像通り…表大雪も縦走路に入れば人影も無く、ガラガラに空いていた。
「白雲小屋」には何人か泊まりは居るだろうが、そこから南の縦走路には誰も居ない筈だ。
「表大雪~十勝連峰」のクソ長い縦走路を歩き通せる実力を持つ者は限られる。
エスケープルートも無いから、予備日込みで一週間の休暇を取れる者もなかなか…カタギの仕事をしている人間には居ないだろう。
「北海岳」を後にすると、再びガスが辺りを包んだ。
何遍も歩いたコースは退屈で新鮮さは無かったし、懐かしさも無かった。
「白雲分岐」へ向かう「白雲岳」の裾野を回り込む荒々しいガレ地帯は、表大雪の中では数少ないお気に入りの場所だったが、嘗ては沢山居たナキウサギの気配はしなくなっていた。
「白雲岳」と「小泉岳」のコルにある「白雲分岐」にも人影は無かった。
休憩も取らず「白雲小屋」へ、深く掘られた雨水路を下降して行く。

「白雲岳避難小屋」は小高い丘の上に立っている。
実は、その丘陵は…嘗ての氷河が削り運んだ堆積物(モレーン)の跡だという学者が居る。
つまり、北アルプスや日高山脈にあったような氷河が「表大雪」にも存在していたというノダ。
「大雪山系には氷河は存在しない」というのが、今までの定説だったのだが、何年か前の地質学会で発表されたという。
しかし、その丘陵がモレーンだとしたら、その背後にV字形に削り取られた氷河地形が無いとおかしい。
現在、「白雲小屋」の背後にあるのは、硬い安山岩(溶岩が固まった岩)の「白雲岳」の山体があるだけで、「白雲分岐」側には高い山は無い。
「白雲岳」が形成されたのは、今から50万年前だと言われている。今の「お鉢平」の場所に嘗て2000m級の巨大な「古中央火山」があり、その噴火により周辺部の「黒岳」や「北鎮岳」や「白雲岳」が形成された。
一番新しい氷河期は、約1万年前に終わっているので、その前の氷河期に「古中央火山」の山体を削り取ったのかも知れない。

「白雲小屋」に辿り着くと、テン場には4張りのテントが張られていた。
時間は1時半。行動を切り上げるには、早過ぎる時間だ。
いつもなら、縦走初日は早めに切り上げてノンビリするのだが、今回ばかりは先を急ぎたい。
「高根が原」を見ると、いつものように西風が吹いていて、「高原温泉」側に台地の高度を保ったままのガスが流れていた。
時間的に「忠別小屋」までは届かないだろうが、その手前にある「忠別沼」ぐらいまでは進めそうだ。
「忠別沼」なら水も採れるし、テントを設営する場所にも困らないだろう。
そう判断すると、再びザックを背負い「高根が原」に続く縦走路へ踏み出した。

「高根が原」は南に向かって緩やかに下りながら縦走路が続いている。
この辺りは「表大雪」でも最も古い…100万年前ぐらいに粘度の高い大量の溶岩流に依って形成された台地である。
溶岩流の最終到達点が「忠別沼」辺りになるのだろう。
東側の台地縁は大規模に崩落して、その岩屑が「高原温泉」の湖沼群を作ったとも言われる。
「大雪山」の広大さを最も実感する場所が「高根が原」だろう。
縦走路脇には所々にケルンが積まれている。その殆どは、ガス時の目印だろう。
残雪期にのみ通行が許される「三笠新道」辺りにある大きなケルンは、以前…「雑想日記」(書評日記)で紹介した「山と彷徨」の著者である「丹征昭」氏が「白雲岳」で行方不明になった岳友の為に目印として仲間と積んだケルンである(当時、白雲岳には登山ルートは無く、小屋裏からピークを目指した)。
残念ながら、行方不明になった岳友は山頂付近の岩溝で遺体で発見された。

「三笠新道」分岐を過ぎるとガスが濃くなり始めた。
合羽がジリジリと鳴り、ハットのつばを雨滴が滴った。
常に西風が当たる右半身だけが寒い。
時々、立ち止まって左半身にも風を当てないと、バランスがとれないノダ。
目は既にビバーク適地を無意識に探し始めていた。朝から歩き始めて9時間が経っていた。
確か…「平が岳」を過ぎた最低コルあたりに、流れ出しがあった筈だ。
暫く進むと…記憶通りの場所に、流れ出しがあり、その近くに古いビバーク跡地があった。
コマクサの株を避けて、素早くテントを設営する。
ドサドサと荷物を放り込むと、テントに飛び込んだ。
風もガスも当たらないテント内は、別世界のように平穏だった。

つづく。

【写真1】姿見散策路から縦走が始まった
【写真2】裏旭から火口稜線への登り返す
【写真3】縦走路の脇にテントを張った