独り占めの「旭岳」頂上で、一人物思いにふけっていると、早くも日帰り登山者達が上がってきた。
北海道最高峰を踏んだ興奮からか、みんな一様にテンションが高い。
賑やかな山頂をアトにして下山する事にする。
「金庫岩」を過ぎると、「姿見」に続く尾根沿いに登山者が連なっているのが見えた。
うぐぐぐ…ザッと見ただけで、100人ぐらい登ってきておるようだ。
快晴とはいえ、確か…今日は月曜日の筈だぞ。
何故、こんなに登山者が居るのだ?
寄りによって、最後の最後に…拙者にとって、大の苦手な「コンニチハ地獄」が待ち受けていたとは。
かと言って、引き返して「中岳」経由で下山するワケにもいかない。
仕方ない。「旭岳」下山を選択した試練だと思って我慢するしか無い。
滑り易いザレ場ルートを下りて行くと、呼吸を荒げた日帰り登山者とすれ違い始めた。
一応、上り優先なので、すれ違う時は拙者が待って道を譲る。
登山者が途切れた隙間を狙って、前進するが…なかなか進まない。
殆どが日帰り用の小さなザックを背負った日帰り登山者だが、時々…デカザックを背負った登山者とすれ違い始めた。
相手もデカザックを背負った拙者に気付くと、挨拶のアトに興味深げな視線を送ってくる。
紫外線焼けした古ぼけたザックには、黄色いウレタンマットが外付けされ泊まり山行だと一目瞭然だし、サイドポケットにテントポールが刺さっているのを見れば、小屋泊では無くテント泊だとも判る。
オマケに無精髭の伸び方を見れば、1泊山行とは思えないだろう。
拙者が縦走登山者である事は、経験を積んだ「山ヤ」なら判別出来る筈だ。
そんな登山者とすれ違う時は、こちらから敢えて…声を掛ける。
勿論、こちらも相手の装備や歩き方を見て、それと判別する。
「こんちわ。今日は…白雲泊まりですか?」
「白雲」泊まりか、「十勝」への縦走者かは一見しても判別不能だ。
但し、相手の次の一言で、それは…顕著に現れる。
「縦走ですか?」
拙者の装備や無精髭で縦走だと見破る能力がある者は、必ず…この質問をしてくる。
その度に拙者は答える。
「十勝まで行く積もりだったんですが、ヒサゴで2日停滞しちゃって、日数不足で引き返して来たトコロです」
ちゃんとした「山ヤ」なら、拙者の…この一言で全て理解する筈だ。
気圧の谷の通過ですら、「大雪山」は歩けないくらいの荒れ方をする事。
そんな時は、停滞が唯一の自己防衛手段である事。
今年は更に、エスケープ・ルートに逃げる事が出来無い事。
「ヒサゴ」から「十勝」へは2日では抜けられない事。
表大雪では「旭岳」(若しくは…黒岳)だけが使える登山口である事(実は8日に銀仙台が開通していた)。
引き返すという選択肢しか無かった事。
とある夫婦連れと思しき男女パーティーは、縦走路のコンディションを詳しく尋ねて来た。
「縦走路は概ね…大丈夫ですよ。深く掘れてるトコロはありますが、崩れてるような場所は無かったですね」
次に尋ねるのは、羆の出没情報だ。
「五色から南は、沢山…痕跡ありましたよ。今朝方、ヒサゴから化雲に上がる時、親子羆を見掛けました。登山者が少ないから、彼らも油断してるみたいですから、遭いたくなければ、音出したほうがイイですよ。」
何故か嬉しそうに報告する拙者に、聞くほうも半分笑いながら聞いている。
「大雪山」の最新情報を知りたいなら、下山者に訊くのが一番だ。
特に、ガイドブックには載っていない…水場や羆情報、天候や登山道のコンディションは、そこを歩いてきた人間に訊くのが最も信頼が出来る。
「十勝連峰」へ縦走する積もりだと言う夫婦連れと、会話しながら観察する。
まだ、真新しいデカザックは日焼けもしていないし、汚れてもいない。
登山靴もキレイなものだ。
もしかしたら、長期縦走は初めてなのかも知れない。
不安そうに質問してくる様子で、それが判った。
彼らの緊張を解き、少し雰囲気を和ませようと思って、壊れた登山靴のネタを絡ませる。
「本当は中岳温泉経由で下りようかと思ったんですが、靴が…この調子なんで、早めに下りたほうがイイかなと思って…」
と、細引きでグルグル巻きにした登山靴を指差しすと、二人とも事情が飲み込めてない様子だったので…
「忠別下りてきたトコで、ソールが剥がれちゃったんですよ~。コレ…別に趣味で縛ってるワケじゃ無いですから…ね。」と言うと、不安げだった二人も声をあげて笑ってくれた(特に奥さん、大受け)。
それから…デカザック組とすれ違う度に、同じような会話を何回もして、「姿見の池」まで下りてきた。
「十勝連峰」への縦走者は、先程の夫婦連れと単独の男性の二組だけだった。
明後日から、又…気圧の谷が通過しそうだから、荒れるかも知れない。
皆、無事に歩いて欲しいものだ(ま、今年…縦走しようという者は、ただ者では無いだろ~)。
「姿見の池」の周りは、観光客達で賑やかだった。
避難小屋近くの展望台で一服しながら、休憩する。
北海道最高峰を冠する…この山を眺め、「大雪山」の雄大さの一端を垣間見る観光客達が居て、その頂を目指す日帰り登山者が居て、更に奥深く…本当の「大雪山」を見ようという山泊登山者が居て、もっともっと深く分け入って行く強者縦走登山者が居る。
同じように「旭岳」を歩きながら、目指すものは…人それぞれだ。
これはこれで、「旭岳」の良いところかも知れない。
だが、厳しかった…長い単独縦走のゴールとするには、この場所は…いささか情緒不足と言わねばなるまい。
長かった旅程を振り返り、感慨に耽るには、この場所は場違いに思える。
賑やか過ぎるノダ。
出来うれば、単独縦走者の溢れ出るロマンチシズムを包容し、乖離した非日常的な世界から、日常の地平に徐々に引き戻してくれる余韻と残響を与えて欲しい。
その為に、下山はロープウェイでは無く、「天女が原」経由で「湧駒別」(旭岳温泉)に徒歩で下りる事にした。
「天女が原コース」に入ると、先程までの賑やかさが嘘のようにヒト気が消えた。
暫く下りると、単独の山ガールが上がって来たので、登山道の様子を尋ねる。
「結構、ぬかるんでいましたよ」と教えて貰う。
「頂上まで行くんですか?」と尋ねると、「うーん、どうしようかな。もう、既にバテバテなんで…」と苦笑いした。
ロープウェイを使わずに、ちゃんと下から登って来るなんて、立派なもんだ。と褒めると、照れながら「ありがとーございます」と、はにかんだ笑顔を見せた。
「泊まりだったんですか?」と尋ねられたので、今日…もう何回答えたか分からない縦走の顛末を説明した。
勿論、既に持ちネタ化した…「登山靴緊縛ネタ」をオチにして、説明し終えると…
「それじゃあ、頑張って下りて、ごくごくして下さい」と励まして貰って別れた。
「化雲岳」で出逢った…お嬢様羆には負けるが、なかなか可愛い娘さんだった。
それから、何人かの登山者とすれ違いながら、高層湿原の「天女が原」まで下りて来ると、時間的にも登山者の姿は消えて、静まり返った湿原帯の中を一人下山した。
そう、この…一人、余韻に浸る時間が欲しかったノダ。
湿原帯を抜けると、蝦夷松の巨木が立つ樹林帯の中のぬかるんだ道を辿って、ロープウェイ駅の横に登山口に下山した。
とりあえず、無事に下山した恒例行事である「下山コカ・コーラ」を求めて、ロープウェイ駅に向かう。
駅前のベンチにザックを降ろすと、売店に走って…観光地価格のコカ・コーラを買い、下界の味を堪能した。
登山靴を脱いで、ビーサンに履き替えていると、「いで湯号」が到着し満員の車内から観光客に混じり、デカザックを担いだ何人かが吐き出された。
80Lクラスの大型ザックを担いだ…まだ、20代と思えるニイサンが、拙者の目の前でクロックスから登山靴に履き替え始めたので、声を掛けた。
重い登山靴を履かずに移動するのは、遠方から来たか、山慣れした山ヤだけだ。
「もしかして、十勝まで縦走しちゃう?」
彼は拙者と、傍らにあるデカザックを一瞥すると、直ぐに同種族と判断したらしく、「そうです。縦走ですか?」と尋ねてきた。
「ヒサゴまで行ったんだけど、悪天候で2日停滞して、十勝へ抜けられず戻ってきたトコだよ」
彼は今日、これから入山して、「裏旭」まで上がるという。
装具を整えた彼は、ロープウェイ駅の洗面所で飲み水を汲んできて、慌ただしく準備を進めた。
「大雪山は初めてで…」という彼は、台風の影響でエスケープ・ルートが全滅している事すら知らなかった。
急いでいる彼を引き止める暇も無さそうだったので、「白雲小屋の小屋番さんにでも、詳しい事情をちゃんと訊いたほうがイイよ。今年は、登山者も少ないし例年よりリスクは多いから」と、慌ただしく出発する彼を見送った。
さぁ、そうとなれば…拙者は、前泊時に入りそびれた「湧駒荘」に向かうのみだ。
ザックの中から、今朝方…パッキング時に準備しておいた着替えを入れた「お風呂セット」を持って「湧駒荘」に向かった。途中、「旭岳ビジターセンター」に寄って、日帰り入浴の時間を調べようと思い建物に入ると、如何にも…山ヤ風のスタッフのニイサンが居たので尋ねると、「湧駒荘」を始めとするホテルやロッジの日帰り入浴は、正午ぐらいからだと言う。
時計を見ると、まだ…午前10時半を回ったばかりだった。
一番早く始まる…ロッジ「ヌタクカウシュペ」(大雪山のアイヌ語名)ですら11時からだと教えて貰う。
うむむむ…こちとら、一週間振りの風呂を楽しみに急いで下山してきたというのに、なんという事だっ(急ぎ過ぎたんだな)。
仕方ないので、「湧駒荘」は諦め「ヌタクカウシュペ」にする。
時間調整の為に「ビジターセンター」のニイサンと四方山話をする。
「本当は東大雪に抜けたかったんだけど、音更本流林道もユニ石林道も止まってるじゃ無いですか。それどころか…十六の沢林道すら止まってる。ま、どうせ…十勝三股まで歩くワケだし、多分…通行止めと言っても、道路が少し掘れただけでしょ?無理やり通過しようと思えば、出来る筈なんだけど…前回ユニ石林道が崩れた時は、林道自体が何ヶ所も寸断されてたじゃ無いっすか。森林局のHP見ても詳しい状況は分からないし。だから、ちょっと…ビビって、今回はベタな「旭~十勝」にしたワケですョ。ま、物足りなくはあったけど、化雲で羆親子に出会えたんで、コレはコレで良かったかな…と」
かなりマニアックな拙者のハナシに、ちゃんと付いてこれるニイサンも、アチコチ歩き回っている…本物の山ヤのようだった。
彼とは気が合いそうな感じだったから、いつか何処かの避難小屋で一晩ゆっくり語り合いたいものだ。
だが、今…拙者は、風呂に入って、ごくごくもせねばならない忙しい身だ。
こんな処で、のんびり語り合うワケにはいかない。
ちょうど、外国人の青年が入って来て、何か尋ねたそうにしていたのでニイサンと別れて、ロッジ「ヌタクカウシュペ」へ向かう。
玄関から中を窺うと、宿泊客を送り出して館内を清掃中らしく、バタバタしている奥さんに「お風呂は11時からですか?」と訊くと、「露天は、お湯を溜めてる途中だけど、内風呂なら入れますよ」というので、内風呂に入れて貰う。
古びた木造の、こじんまりとした内風呂は、少しぬるめだったが源泉掛け流しで、十分満足するものだった。
いや、むしろ…拙者好みの昭和イズムに溢れた風呂だった。
風呂から上がって、400m程離れたロープウェイ駅に急いで戻る。
先程、売店で…「旭岳」の銘が打たれた、限定ビールを見つけたからだ。
今し方到着したロープウェイが吐き出した…土産物を物色中の観光客達の間をすり抜け、黄緑色の缶の大雪山ビールをゲットする。
人混みを逃れて外に出ると、「旭岳」が見える駐車場に行き、「旭岳」と乾杯し、勢い良くカラカラの喉に流し込んだ。
ごくごくごくごく…ぷっは~
長い縦走旅が終わった瞬間だった。
つづく。
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