【第4日目】
夜半、ふと何かに呼ばれたような気がして、目が覚めた。
低気圧が南の暖かい空気を連れて来たのか、高度の割に…思った程の冷え込みは無かった。
オシッコをしに外へ出ると、星は出ていなかったが十勝平野北部の待ち灯りが見えた。
あれは、「十勝清水」あたりだろうか。
テントに戻って寝直そうと思ったが、なかなか寝付けなかった。
昨日、この稜線上にテントを張ったのは、午過ぎだった。
雨は小一時間程で止んで、青空が覗いてきたが、今更…撤収して出発する気にはなれず、そのまま昼寝してしまった。
気が付いたら、辺りはスッカリ夕闇に包まれており、アルファ米を戻して、レトルトカレーの夕食を食べて、寝てしまった。
おかげで、こんな時間に目が覚めてしまったのだ。
東大雪の稜線上のルート脇でビバークしながら、寝付け無いまま…シュラフの中でゴロゴロしていた。
まだ、夜明けまでは…4時間以上ある。
NHKの「ラジオ深夜便」を聴きながら、この先の行程を考える。
明日(今日)は、「石狩岳」と「音更山」を乗越して、「ぶよ沢」の居心地良いテン場まで行ける筈だ。
明後日は、低気圧通過で荒れそうだから…積極的停滞。
下山は、「十石峠」から通行止めの「音更川本流林道」に下りて、崩落地点を強引に突破するか、「ユニ石狩登山口」として作られた迂回林道へ下りる積もりだったが、通行止めの「ユニ石狩林道」へ下りる手もある。
林道崩壊で通行止めになって久しい(6年前)「ユニ石狩林道」だが、「十石峠」からのつまらない登山道と、大半が退屈極まりない「音更川本流林道」の林道歩きを考えると、まだ…「ユニ石狩林道」の方がマシな気がする。
なにより、「ユニ石狩コース」は、ナキウサギの居るガレ場や、苔むした樹林帯ルートがあり、歩いていて楽しいし、「音更川本流林道」に下山するより時間的にも早い。
今回、東大雪縦走と意気込んで来たが、一般登山道を歩くだけの行程は、ハッキリ言って…少々物足りなかった。
全行程の半分を過ぎたが、何かが足りない。
もっと、キリキリと胃が痛むような緊張感や、ギリギリの判断を求められるような緊迫感や、圧倒的な孤独感を…味わいたい。
東大雪には、「それ」があると思っていたが、結局…一般登山道を歩く限り、自分の求める面白さは味わえないのだろうか。
雪山のように、自身でルートを切り開く楽しさや、沢登りのように、未知の領域に足を踏み入れる楽しさは、縦走旅では味わえないのだろうか。
考え事をしている内に眠ってしまい、気がついたら…白々と夜が明け始めていた。
昨日までの青空は無かったが、「ニペソツ」方面の空が朝焼けに染まっていた。
長靴を履いて外に出て、表大雪方面の空を観察する。
まだ、ガスってはいないが、天気は下り坂なのは間違いない。
朝食を食べ、パッキングを済ませると「ニペの耳」に向かって岩稜を登り始める。
耳と耳の間のコルに、見晴らしの良い砂地のテン場があった。
「石狩岳」へ向かう稜線の具合が良く見える。
幾つもの岩峰を痩せた吊り尾根が繋いでいる。
初めて見る石狩稜線だった。
今までの二回の縦走は、共に濃いガスに閉ざされてルート状況すら良く分からないまま歩いていたが、表大雪には見られない…地殻隆起と侵食作用に因って作られた険しい懸崖に挟まれた岩稜の躍動感は、蠢く竜の背びれを連想させた。
北海道の分水嶺を成す背骨のような稜線は、一旦「ニペソツ」の手前で樹林帯に落ち込み、再び「ニペソツ」を越え北日高の峰々へ向かっている。
複数の尾根が合流する「junction peak」と呼ばれる「ニペの耳」から、「ニペソツ」に繋がる稜線を目でなぞってみる。
岩稜にはハイマツが密集した藪がこびりつくように茂って、容易にヒトを寄せ付けそうにない。
神奈川県とほぼ同じ面積を持つ…広大な大雪山系だが、無積雪期にヒトが歩ける場所は限られている。
「五色が原」を散歩しながら、こういう場所を自由に彷徨うように歩いて山旅が出来れば、どんなに面白いだろうかと思った。
石狩稜線には、25000図には描かれていない小さな岩峰が連なっている。
前回の縦走では、ガスで先が見えない岩峰登りで、精神的に追い込まれたが、今回は目指す「石狩岳」がずっと見えているので、精神的には随分と楽だった。
それでも、鋸の歯のような小さな連続岩峰越えは、なかなか体力的に厳しいものがある。
登っては下り、登っては下りを繰り返す内に乳酸が蓄積し始めた。
痩せた岩稜には、緊張を強いられるような危険な箇所が所々にあり、グリップ力の弱い長靴履きには厳しい行程となった。
しかし…稜線上には、実を付けたクロマメノキやガンコウランが沢山あり、それを時折摘み食いしながら歩く楽しさもある。
縦走中、不足しがちなビタミン補給が目的だが、単純に甘酸っぱい果実が美味しいからだ。
これらの実は、羆も大好物なのだが、稜線上に新しい痕跡は無かった。
時折、出くわす糞は夏草が混じっている古いものばかりで、掘り返し跡にも新しいものは見受けられなかった。
かと言って、警戒心を解くワケにはいかない。
どう考えても、この山域に居る人間よりも羆の方が多いのは、わかりきった事だ。
恐らく、この東大雪に居るのは自分一人。
アプローチ林道が止まっている今、崩落した林道歩き3時間で「石狩岳」に来るようなマニアックな登山者は居ない筈だ。
思えば、「五色岳」から他の登山者には遭っていない。
丸三日間、人間はおろか、その痕跡すら見ていない。
なんという…孤独。
なんという…隔絶。
なんという…至福。
「石狩岳」と「音更山」が並んで見え始めると、「ぶよ沢」のテン場があるコルの辺りまで見渡せた。
二つのピークを越えて、あと…4時間ぐらい掛かるだろうか。
今回は、というか…今回も、殆ど地図を見ていない。
このコースは三度目だし、コースタイムも大体…目測で計っている。
歩くペースは遅いし、休憩も多いが、大体…予測通りに歩けている。
ただ、東大雪稜線に上がってからは、殆ど寄り道する場所が無いので、歩くのに飽きてくる。
相変わらずガスってる表大雪の景色や、ずっと見え続けてるから「ニペソツ」ですらも見飽きてきた。
今日、これから…「音更山」を乗越してしまえば、もう本格的な登りは無く、あとは下山するのみだ。
東大雪縦走自体は、真面目に歩けば…丸一日で歩けてしまえる距離だ。アップダウンは多いが、距離的には大した事は無い。
この山が縦走に使われないのは、ひとえに…アプローチの不便さだろう。
「石狩岳」山頂で補給と大休止をとる。
木製の古ぼけた山頂標識はあるが、表大雪にあるような…立派な石柱の標識は無い。
縦走では、日帰り山行のような…頂上に立つ達成感は感じない。
山頂は、あくまでも…通過点の一つであるに過ぎない。
大雪山縦走で達成感を味わえるのは、唯一…無事に生きて下山した瞬間だと言える。
だからこそ、下山の仕方には気をつかう。
長かった旅の終わりを、その余韻に浸れるような下山をしたいと願う。
縦走の終わりが見えてきた頃から、その…得も云われぬ下山の余韻をモチベーションに歩くしか無くなる。
非日常だった山が、一週間の間に日常に感じられるようになると、娑婆(下界)の日常を逆に恋しく感じ始める。
その端緒は、概ね…食べ物だったりする。
レトルトやインスタント飯にウンザリして、激しく…下界の食べ物を渇望する。
時折、夢に見る事さえある。
辛い下山の時は、下山してから食べたいモノの事だけ考えている時すらある。
下山飯(下山後初めて食べる娑婆の飯)の上位には、焼き肉やお寿司、ラーメンやザンギが並ぶ。
その全てを一店で網羅できる…「焼き肉、寿司食べ放題の運河亭」へは、なるべく早く行こう、と固く心に誓う。
「石狩岳」から急勾配のルートを、「音更山」とのコルにある「シュナイダー分岐」に下りる。
無積雪期には、「ストックを持たない主義」ナノで、ルート脇のハイマツや笹を掴みながら下りる。
キノコや山菜採りの時には、当たり前にやる…この芸当も、デカザックを背負ってやると、なかなか大変だ。
最近、五十肩なのか…右肩の可動域が小さくなって、尚更大変だ。
かと言って、ストックに頼るぐらいなら山を辞める方がマシだ。
杖を突く老人にしか見えないアレには、激しく拒否反応を起こしてしまう。
「シュナイダー下山コース」には見向きもせず、「音更山」へ登り返す。
東大雪には珍しく溶岩由来の安山岩のガレ場があった。
山頂ののっぺりした…この山は火山だったようだ。
ガレ場にナキウサギの鳴き声が、響いている。
ルート・マーカーが殆ど無くて、時折…ルートを見失う。
「音更山」山頂に着いたが、まだ午前中だ。
「ぶよ沢」のテン場まで、1時間も掛からないので、ザックを置いてブラブラ散歩する。
山頂近くの窪地に、素敵なテン場を発見して「泊まってみたいな」と素直に思う。
「音更山」から眺める「石狩岳」が、なかなか男前で惚れ惚れする。
1時間程のんびりして、「音更山」をあとに急峻な藪被りのルートを、漕ぎながら下りる。
あっという間に「ぶよ沢」に下りてしまった。
テン場には、誰も居なかった。
目の前に開けた沢形は、典型的な源頭部地形で、この沢形を降りた源頭部が水場になる。
テントを設営して、プラティパスとシェラカップを持って水汲みに向かう。
笹藪の雨水路ぞいに下って行くが、なかなか水が現れない。
平行して流れる…もう一つの流れを見に行くが、水流は無くカラカラに渇いた涸沢があるだけだった。
沢形を更に下降するも、なかなか水は現れない。
辺りは見通しの良い、日当たり良好な草付きになり、羆が大好きな地形だ。
本来なら、5分も下降すれば流れに出くわすのだが、15分近く下降しても涸沢が続くだけだ。
方角的に、この沢を下降して行けば、「由仁石狩川」沿いにある「ユニ石狩コース」に合流するのでは無いだろうか。
探索したい気持ちを抑えて、水源を探す。
ふと…耳をすますと、微かに水流の音がした。
どうやら、伏流している流れはあるようだ。
更に下降すると、やっと流れに出くわした。
秋の渇水期の山行は、水を手に入れるのにも苦労する。
プラティパス2本を小脇に抱えて、沢形を登り返す。
かなり高度を下げた為に、テン場に戻るのに30分近く掛かってしまった。
水汲みが終わると、もう…やる事がなくなった。
また、蝦夷鹿ちゃんでも遊びに来てくれないかな。
余裕のあるスケジュールは、体力的に楽だが…手持ち無沙汰感は否めない。
シュラフを天日干ししながら、テントの中でマットに寝転がって持ってきた文庫本を読みながら、知らない内に眠ってしまった。
つづく。
【写真1】ニペの耳JPからニペソツへの藪稜線
【写真2】石狩岳山頂
【写真3】音更山山頂








