低学年女子の遊びからみえてくるもの。。 | それでもまた陽はのぼる。

それでもまた陽はのぼる。

カウンセラーの小さなつぶやきです。10人よれば、10人十色の人生があるのです。

どんな人でも乗り越えられない悲しみや、つらいことはないのです。

必ずまた陽はのぼるのです。日々のさまざまな事を受け入れ、そして次の一歩を踏み出してもらいたいと願っています。

ある学童での自由時間(自由遊び)での出来事です。

 

外で鬼ごっこをした後のおしゃべりタイムでの出来事。。

 

鬼だった女子が誰も捕まえることができなくて、いつもの悔し泣きの後の小児女子会的なおしゃべりタイムでのこと。

 

6,7人の中でリーダー的(リーダーになりたがっている)女子が、仲間内の中で立場が弱い女子(嫌われたくないから、とりあえずいい顔しておきたいと心得ている女子)に、悔し泣きした女子に土下座しろが始まった。

 

このグループは、学年でも少し毛色が変わっていて、扱いに要注意と感じている。

 

そもそも学童にきていることは、共働き、ひとり親などで放課後の時間帯を過ごしているのである。

 

学童における児童指導員の役割や、学童保育の在り方は様々だと思うので、一概にあるべき論を話すつもりはない。

 

土下座をさせることが「お笑い」にとって代わっての遊びになっているのは明白である。

もちろん、意味もなく、人に土下座させるなんてことはあり得ないのだが、そこでの注意、叱り方というものの在り方について、少し考えこんでしまった。

 

まず第一に、私自身がおしゃべり会に参加していたわけではなく、近くで鬼ごっこからの流れを見ていただけであること。

次に、彼女たちにとって、「土下座ごっこ」が遊びの一つになっていることは明白なのだが、むやみに叱るだけでは納得するはずはなく、代替案を出して、そのうえで、やっていいこと、悪いことの説明が必要と考えたからである。

要するに、彼女達は幼稚で、知恵を働かせるまでにいたっていないことが原因だと考えるのだ。

 

いつの時代も、その年、年代の特色、カラーがあると感じている。

相対的に判断しつつも、個別の指導は欠かせないとも考えている。

 

さて、この要注意グループをまとめて一喝しても、あまり意味がないように思っていて、それも手伝って、先日は単に小児女子会の流れを観察で終わってしまい、ちょっと考え込んでしまったというわけである。

 

このグループの人間関係がこの中で、今の段階では、声の大きいものが偉くて、嫌われたくないものが弱い者いという構図がいずれ崩れて、また違う人間関係を築いていくであろう。