本日は小倉爆笑劇場を見に行きました。
このところの数回は仕事で行けなかったので、久々の観劇です。
今回、出演されていた芸人さんのネタのほとんどが面白くて満足なライブでした。
まあ、20年くらい前でも、売れない芸人さんは当然にバイトをしながらお笑いをやっていたわけで、実質は社会人お笑いとなんら変わらないのですが、そのマインドは違いました。
当時の若手芸人さんは、事務所に所属しプロになることを目指しているか、もしくはそこからドロップアウトした存在もいまして、彼らは『地下』を称し陽の目をみないことを自覚して活動をしていました。方向性はどちらかだったと思います。
今のように社会人を軸において、趣味と割りきって余暇でお笑いという人はいなかったはずです。というか、その発想がなかった。
私よりもう少し前の世代だと『素人スター誕生』的な発想がありましたし、テレビにおける【演芸】も寄席をそのまま放送する形だったのですが、いわゆるダウンタウン病の一つと言いますか、お笑い芸人の【格】が上がり、東京の各芸能事務所が次々とお笑い部門を立ち上げ始め、芸人と称するテレビタレントの育成を始めたこの時期はそうでした。
そんな時代の…1996年頃、私が東京に上京した際に初めて見たお笑いライブが、新宿通りでの路上ライブでした。
当時、18歳の私は四谷4丁目に住んでおり、新宿3丁目はすぐ近く。日曜日の仕事の休みの日は、新宿の歩行者天国に行くことも多かったのです。
で、そこの新宿アルタ前辺りで路上お笑いライブをしていた方々がいました。
で、その路上ライブのメンバーですが…
田代32さん、焙煎TAGAIさん。2人はチェコというコンビを組まれていました。あとはエルシャラカーニさん。
おそらく、まだ4人さんともにアマチュアだったのではないかと思います。
数年後にそれぞれ、田代さんは伊集院光さんの番組で、焙煎TAGAIさんは西口プロレスで、エルシャラカーニさんはビタミン寄席で拝見する機会があって、「あ、あの時の路上ライブの人だ。」と思ったのを覚えています。
この路上ライブというのが、いかにも時代を象徴している活動ですよね。
イカ天で育った世代というのもあり、当時の路上ライブに対する世間の感覚としては、違法ながらも許容されていた感じは、多分にありました。
(警察も来てましたけど)
実際、路上ライブをする若手芸人は多くいたと思います。各事務所がお笑いライブを開催し始めた頃で、ライブ自体は色々とありましたが、そこに満たない人達の受け皿として路上ライブがあった感じです。
あと、名もなき人が主催するインディーズライブとか地下ライブとか呼ばれるものがさらに増えてくるのは、もう少し後の2000年以降くらいからだったかなと、私は記憶しています。
で、話を戻しますが、もう一組メンバーの中に『ニーチェの息子達』という名前のコンビもいたと思いますが、その後は見る機会はなかったです。辞められたのかもしれません。
まあ、そういうライブがありました…という話でした。
ちょっと思うのが、その路上ライブのMCをしていたのが田代32さんで「司会、上手いな~」と思っていたのですが、田代32さんって伊集院光さんの番組ではポンコツキャラとして扱われるんですよね。
上には上がいる。上を見ると果てしない。
そういう観点からも、社会人お笑いというシステムは素晴らしいと思います。
最高峰を目指さなくてもいいんですよ。で、お笑いを楽しめるんです。昔はプロとアマチュアの境目があり、そこに気付けなかった。
小倉爆笑劇場に出演されている皆さんには頑張って頂きたいと思います。可能な限り、見に行きます。
以上です。