小倉爆笑劇場感想と、1996年頃の新宿・路上お笑いライブの話 | 上条武術研究所

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プロレス・サンボ・合気道を経験。
月刊秘伝読者。
○現在の活動
・自宅ジムを開放(不定期)
・武術系、介護系の同人誌制作

本日は小倉爆笑劇場を見に行きました。

このところの数回は仕事で行けなかったので、久々の観劇です。

 

 

今回、出演されていた芸人さんのネタのほとんどが面白くて満足なライブでした。
 
特に小倉爆笑劇場の顔である【関節ペンネ】さんが、通常の漫才の枠をはみ出したようなネタをやられてまして、このスタイルが非常に面白かったです。
多分、私なんかは、ちゃんとした面白い普通のネタを見たいのではなくて、イカれた人を見たくてお笑い【ライブ】が好きなのだと思います。
 
 
もう一組【にいさ】さんという山口大学の落研のトリオの方々を初めてみましたが、コチラも良かったです。
NHKの中学生日記やさわやか三組を見るかのような会話の反応側の言葉もしっかり台本に組み込まれているであろう台詞回しは、それぞれのキャラクターに合ってましたので演技が下手とは感じることもなく、むしろ練習の形跡が伺えるので好印象に感じました。
リーダーの方のステージ上の所作(発声・表情など)も舞台慣れしたそれですし、ブラックやシュールな要素はありましたが、安易な下ネタはなく安心して見れるお笑いでした。
あと、【きゃなえ】さんという鹿児島の女芸人さんがくるとの発表が事前にあり、最も期待していたところだったのですが、当日の九州南部の豪雨のためにこれなかったようです。ニュースで避難を訴えるような悪天候ですから仕方がありません。
 
ともあれ、北九州市で若手お笑いライブを見れるのは楽しみですので、出演されていた皆さんには頑張って頂きたいと思います。
 
 
さて…せっかくなので、私が初めて見たお笑いライブの話でも書いて綴っておきます。
1996年頃の新宿での路上ライブの話。
 
私の世代だと、現在の【社会人お笑い】というジャンルが確立されていることに、時代の移り変わりを強く感じます。
 

 

まあ、20年くらい前でも、売れない芸人さんは当然にバイトをしながらお笑いをやっていたわけで、実質は社会人お笑いとなんら変わらないのですが、そのマインドは違いました。

当時の若手芸人さんは、事務所に所属しプロになることを目指しているか、もしくはそこからドロップアウトした存在もいまして、彼らは『地下』を称し陽の目をみないことを自覚して活動をしていました。方向性はどちらかだったと思います。

今のように社会人を軸において、趣味と割りきって余暇でお笑いという人はいなかったはずです。というか、その発想がなかった。

私よりもう少し前の世代だと『素人スター誕生』的な発想がありましたし、テレビにおける【演芸】も寄席をそのまま放送する形だったのですが、いわゆるダウンタウン病の一つと言いますか、お笑い芸人の【格】が上がり、東京の各芸能事務所が次々とお笑い部門を立ち上げ始め、芸人と称するテレビタレントの育成を始めたこの時期はそうでした。

 

そんな時代の…1996年頃、私が東京に上京した際に初めて見たお笑いライブが、新宿通りでの路上ライブでした。

当時、18歳の私は四谷4丁目に住んでおり、新宿3丁目はすぐ近く。日曜日の仕事の休みの日は、新宿の歩行者天国に行くことも多かったのです。

 

で、そこの新宿アルタ前辺りで路上お笑いライブをしていた方々がいました。

勿論、新宿ミニホールFuとかシアターD、なかの芸能小劇場等で行われていた普通のお笑いライブも見に行っていますが、思い出として印象に強く残っているのは、この新宿での路上ライブです。家の近くでやっていたので、何度となく好きで見に行きました。
関係ないですが、今考えると新宿駅徒歩でイケるって贅沢な場所に住んでいますね、私。

 

で、その路上ライブのメンバーですが…

田代32さん、焙煎TAGAIさん。2人はチェコというコンビを組まれていました。あとはエルシャラカーニさん。

おそらく、まだ4人さんともにアマチュアだったのではないかと思います。

数年後にそれぞれ、田代さんは伊集院光さんの番組で、焙煎TAGAIさんは西口プロレスで、エルシャラカーニさんはビタミン寄席で拝見する機会があって、「あ、あの時の路上ライブの人だ。」と思ったのを覚えています。

 

この路上ライブというのが、いかにも時代を象徴している活動ですよね。

イカ天で育った世代というのもあり、当時の路上ライブに対する世間の感覚としては、違法ながらも許容されていた感じは、多分にありました。

(警察も来てましたけど)

 

実際、路上ライブをする若手芸人は多くいたと思います。各事務所がお笑いライブを開催し始めた頃で、ライブ自体は色々とありましたが、そこに満たない人達の受け皿として路上ライブがあった感じです。

あと、名もなき人が主催するインディーズライブとか地下ライブとか呼ばれるものがさらに増えてくるのは、もう少し後の2000年以降くらいからだったかなと、私は記憶しています。

 

で、話を戻しますが、もう一組メンバーの中に『ニーチェの息子達』という名前のコンビもいたと思いますが、その後は見る機会はなかったです。辞められたのかもしれません。

 

まあ、そういうライブがありました…という話でした。

 

ちょっと思うのが、その路上ライブのMCをしていたのが田代32さんで「司会、上手いな~」と思っていたのですが、田代32さんって伊集院光さんの番組ではポンコツキャラとして扱われるんですよね。

上には上がいる。上を見ると果てしない。

 

そういう観点からも、社会人お笑いというシステムは素晴らしいと思います。

最高峰を目指さなくてもいいんですよ。で、お笑いを楽しめるんです。昔はプロとアマチュアの境目があり、そこに気付けなかった。

 

小倉爆笑劇場に出演されている皆さんには頑張って頂きたいと思います。可能な限り、見に行きます。

 

以上です。