小川七郎版『小笠原諸礼忠孝』を読む | 上条武術研究所

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昨日、地元の古書店で手に入れた『小笠原諸礼忠孝』を読む。
昭和41年、小川七郎氏が書いた『小笠原諸礼忠孝』。
中学生向けの文学作品みたいな文章(これは良い意味です!)で、私のようなちゃんと勉強をしたことない人間でも、非常に読みやすく感じました。

この昭和41年の小笠原諸礼忠孝では、いわゆる歌舞伎のモノと異なり、登場人物は実名で書かれています。
また、キツネが人に化けて登場する等の明らかな創作もありません。反対に当時の社会情勢や庶民の生活ぶり、地元民なら分かる地名の登場等があり、史実に近い読み物として読むことができます。
ただ、創作が全くないかと言えばないことはなく、柳の木がなびいたとか、狐の祟りとか、物語のアクセント的な文学的表現は割りと見られます。
これは私の勝手な想像ですが、この小川七郎版は元々が創作劇の『小笠原諸礼忠孝』を、郷土史として残すために【訳した】作品なのではないかと感じました。
なので、その名残が文学的な表現として残っているのではないかな~と思いました。

ちなみに小川七郎氏のプロフィールには【福岡県財政課長補佐】という肩書きだけが記されてます。あとがきはありません。
歴史の専門家ではなく、福岡県の財政の専門家が書き残しているところが興味深いです。
確かに小笠原騒動・白黒騒動というのは、財政と面子の間での軋轢から発生した事件だと思いますので…。

そんな感じです。
重ね重ねになりますが、いわゆる歌舞伎の『小笠原諸礼忠孝』とは異なります。


では、私がこの本を買った最大の目的…
『小笠原騒動・白黒騒動』に【狐】はどのように絡んでくるのか?を調べていきたいと思います。

とりあえず、歌舞伎のほうのあらすじ。
『執権の犬神兵部は、自分の子を妊娠したお大の方を自分の主君小笠原豊前守に側室として差し出す。そんな中、豊前守が狩りをしたときに一匹の白狐を射るのを家臣の小笠原隼人がいさめた。このため隼人は閉門を言い渡される。

兵部が隼人に仕向けた刺客を奴菊平(奴は身分が低い使いの者のこと)が助ける。この菊平は、実は狩りのときに助けた白狐の化身だった。』


では、この歌舞伎でのあらすじと、小川七郎版『小笠原諸礼忠孝』を比較してみましょう。

①白狐を狩るシーンはあるが、小笠原帯刀が豊前守の狩りを諌めるのではなく、帯刀のほうが狩りに出かけて白狐と出会う。

その辺りのストーリーを簡潔に書くと…

足立山に五百羅漢が作られていた。国内の財政難から小倉潘でも貧困で苦しみ亡くなる人がおり、その供養として商人達の手によって羅漢像が彫られていた。(現在も首なし羅漢として実在します。)
なお、首がないのは明治初期に廃仏毀釈で壊されたとか、小倉口の戦いの際に長州潘によって壊された等の説があります。

で、五百羅漢を巡礼していた老夫婦が巡礼中に亡くなるという事故がおきます。そこから時折、2匹の白弧を見かけるようになったと。
数年後、帯刀は足立山に兎狩りに出かけます。兎を狩ったと思ったが、矢には血こそ付いているが獲物はおらず、近くに白狐が2匹いた。咄嗟に白狐を狩ろうと弓を構えるも、その時に帯刀は乾骨を踏む。で、狩りを止めて呆然となる帯刀。
従者が遅れてきた後、その乾骨を羅漢像の側に埋めて供養した。

これは白狐を助けたというよりは、小笠原帯刀が庶民の惨状を白狐によって気付かされるという表現に思えました。
これより、潘財政の貯蓄を増やそうと、曽根新田の開発や貴賓館の建造など様々な事業に乗り出す犬甘兵庫に対して、小笠原帯刀は対立します。


②おそらく奴菊平に該当するキャラクターとして、三郎兵衞なる杖術の達人が登場する。
(実在の人物かはわかりません。)

三郎兵衞は、元々肥後潘に仕える者だったが、浪人となり全国を放浪。江戸で小笠原忠聰に拾われ小倉潘へと辿り着く。そして、小笠原帯刀に仕えることになった。
そんな中、犬甘兵庫の重税策に対し、帯刀は幽霊が出るとの噂(!)を流し、犬甘兵庫の元へ黒装束の三郎兵衞を襲わせる。
杖術という人を殺めない武術が隠密行動に合っていたという理由からの抜擢。
しかしながら、犬甘兵庫も武士であり、心得があるため三郎兵衞を返り討ちにする。
(権力闘争に対して姑息な手を使うな~。しかも、小笠原帯刀には歌舞伎ほど庶民の味方のような部分は見えない。重税して事業を拡大していく兵庫に対して、潘の支出を抑えよう派みたいな感じでしかない。)

犬甘兵庫を仕留めらなかった三郎兵衞は、武術の修行のために足立山に籠ります。そこで2匹の白狐に懐かれます。

この後、潘財政を回復させた犬甘兵庫は上席家老として出世。そこに圧力をかけた対立派の小笠原帯刀は失脚します。(えっ?失脚するんだ…)
しかし、出世した犬甘兵庫もまた悩んでいました。小笠原帯刀との両輪だからこそ潘政が成り立っていたが、一人になると帯刀派を掌握することができないと。
兵庫は気晴らしのために足立山に鹿狩りにいきます。
ここで三郎衞兵に襲われます。
ちなみに三郎兵衞はなんやかんやあって右手を失ってますし、帯刀の指示ではなく、個人の執念として犬甘兵庫を襲います。
白狐も加勢しますが、ここでも犬甘兵庫は三郎兵衞を退ける。
「この男を殺したとて…」と思いながらも、犬甘兵庫は充実していました。これまでの闘争が心に染みていたのでした。兵庫は満足感を感じながら山を降りました。

月日が経ち、小笠原帯刀と犬甘兵庫の権力争いも落ち着いたかと思われた。
そんな頃、幕府から小倉潘に潘政の不和を正すように勧告があり、犬甘兵庫は終身隠居を命じられる。
内紛が起きた責任と、宗像郡から買い取った唐鏡九面が欺いて手に入れた不正なものとして、然るべき神社へ返却せよという命令。
犬甘兵庫は、この不正には関与しておらず、街中で犬甘の不正の噂が出ても、いずれ収まるだろうと放っておいた。それが自身の罪状の一つとして数えられた。
この噂の出所が三郎兵衞ではないか…。白狐の祟りではないかと死ぬまで苦しんだという。

…狐はこんな感じで物語に絡んできます。
歌舞伎のあらすじでは、【小笠原帯刀に助けられた狐】となるが、小川七郎版では明言はされていませんが【重税に苦しむ庶民を供養していた老夫婦の化身】として登場する。

まあ、違いがあれど、白狐は庶民を苦しめる家老・犬甘兵庫の敵として登場する点は共通してますかね?


で、ここからが本題です。

③白黒騒動の項になると、狐は登場しない。
白黒騒動の上原与一の処刑まで書かれているのに、この本では狐は登場しないんですよね。

クソウ。
先日の小倉城武将隊さんがやられていた『白黒騒動』の観劇中に、後ろの客席から聞こえた「キツネの意味がわからない。」という何気ない言葉に対する明確な答えを探していただけなのですが、こんなにも狐が登場する白黒騒動の物語というのは存在しないものなのかしら…。
すぐに答えなんか見つかると思っていた…。

次の中村屋の北九州公演があったら観に行くか、地元の古書店を巡って資料を探すか。
歌舞伎のレビューを書いているブログさんなんかを検索しても、その辺りが解るような記述はないんですよ。
誰か真面目に知っている人はいませんか…。


あと、この本に出てきた三郎兵衞の足立山で杖術修行は面白そうなのでやってみたい。
足立山。
和気清磨呂だけじゃない。武術の逸話も残っている。

収穫は充分にあった。