柔道に存在していた当身技術が古流由来のものか?唐手由来のものか?を調べていくことにしました。
講道館柔道は、創設の段階から教育としての柔術を目標に掲げており、つまりは危険な技を排除するところから歴史が始まっているわけで、当身技術など最初からなかったという結果になる可能性も多いにありえるのですが…。
これは強敵です。
で、まずはこんな本から。
よく言われる話で、戦前の合気道は実戦的だったとか、塩田剛三の名言である「合気道は当身七割。」とか、かつての合気道が当身を含む危険な武術だったという話があります。
現在の合気道でも、突きや手刀の稽古はやっていると思います。ただし、これは投げ技を稽古するための便宜上の当身ですので、これらは合気道の技ではありません。
横面打ちで距離をつめてからの四方投げとかやっている合気道家はいないでしょう。
まあ、合気道流派は沢山ありますので、必ずしも断言はできないのですが…。
合気道の場合は柔道と違って、周辺の古流柔術(※明治以降に創始された流派は、近代柔術という名称で区別して称されるのですが古流でまとめてます。)の技を見ることで、容易にその危険な当身技術に近い技を知ることは可能です。
しかし、『かつての合気道』という定義が、大東流を教授していた植芝道場時代の話なのか、きちんと合気道という名称に変わってからの話なのかの部分は明確ではありません。
古流の当身や話だけで伝わる危険な合気道と、現在の合気道の中間の技術があったことを示す資料があれば、そこは解決されますよね。
考古学でいうミッシングリンクとかいうヤツです。
この本はそんな合気道の危険な技というテーマのミッシングリンクです。
当身を連動させた合気道技が載っています。
裏拳が途中に挿んであったり。
私が習った流派の同じ技では、『一歩下がることで、相手の上体が前に出るのでバランスが崩れるので…』という、相手が一歩前に出て重心移動したら容易に防げるような技術でしかありませんでした。
ちなみに私が習った流派は、この写真の掛け手である藤平光一先生が、この写真より10年後に創始した流派です。
入身投げの時に、肩を持って固定し、上腕をぶつけたり。
私が習った流派の相手が捕りにくるパターンの天地投げ(とします)では、『相手の顔の前に急に手を出すことで相手がバランスを崩して後ろに倒れる』という触らないで投げる技術で、格闘技をやっている人間からすると馬鹿らしい技でした。
理論は分かるのですがね…。
この本を見ると、昭和34年の段階の合気道には、きちんと危険な当身が技の中に存在していたことが分かります。
加えて、この書籍の本文中には、初心者の人にはゆっくり掛けるだの、本来はここで当身を入れるだののという但し書きもあったりするので、この時期には一般人用の武術になりかけていたことも分かります。
稽古では形をなぞるだけの当身だったんでしょう。しかし、現在のように省略はされていません。
これから柔道のほうの当身技術を調べる旅路を進みますが、こういう資料が出てくることを願うばかりです。