私にとって、身近な男女と言えば『両親』なわけで

もう連れ添って50年弱の熟年夫婦だ

いつの間にか母の方が強くなっていて、父はとことん小さくなっている

お互い喧嘩をすることは避けているので、言い返したり言い合うことはまずない

 

面白いことに、間に私が入ることにより夫婦の会話が始まる

いわば『子は鎹』の役割をしていると感じる瞬間

 

父も後期高齢者の仲間入りをし、あちこちに衰えが出て来ている

プライドというか、見栄というか、認めたくないのか、複雑な気持ちもあるようで、

耳の聞こえが悪いくせに、カバーせずに過ごしている

両親の会話が成立しなくなったのも、父の耳の聞こえが悪くなったことも充分原因としてあると思う

 

「耳鼻科に一緒に行ってみよう」そう私は誘ってみて、うまく連れて行くことが出来た

母にはどえらい感謝された

「私から言っても聞く耳持たないから〜」と

 

耳鼻科に行くと、ものすごく流行っているようで、並んだ順で診てもらえるので診療開始時間よりも

ずいぶんと早くから行列が出来始める

看護師さんに呼ばれる名前の当てっこをしながら

「○○さん?」

「ううん ○◎さんだよ」と答えながら、父の耳の聞こえを確認したりしていた

診察になり、半ば決めつけのような医師の対応に不満を抱いた私たちだった

ざっくりまとめてしまうと『年寄りなんだから 聴力は衰えて当たり前 補聴器を使いましょう』

という診察結果だった

私と同様にメニエール症状がある父なので、めまいにも有効な薬も処方された

補聴器は別の担当者がおり、聴力検査データを元に調整し貸し出しをしてくれた

2週間レンタルの内、父は2日で使用を辞めてしまった

聞こえ方が、金属音がするのがとても不快だったようだ

そして驚くくらい高い!!!

それも5年も寿命がないなんて、どうなってるの???

 

年を取ると誰しも『衰え』を受け入れ付き合わなければならない

耳、目、歯、足、腰、頭(脳)思い浮かぶのはそんなとこだろうか

幸い両親とも大病をするでもなく、足腰も頭もしっかりしているので今のところ心配はないが

不慮のつまずきや、打撲等による骨折は気を付けたい

孫の存在もまた、若さの秘訣かもしれない

あれこれ頭を使って、そしてこづかいを渡してやりたいがために働いている

 

あんまり『家族愛』とか『団欒』ってのは当てはまらない家族ではあるけれど

頼れる存在、拠り所があるってのはいいことだ

 

周りに耳の聞こえが悪い人がいれば、大きな声でゆっくり話しかけてみるのも思いやりのひとつだと思う

それから原始的な方法で言うと、筆談だって立派なコミュニケーション方法だ

人は会話によるコミュニーケーションが出来る動物だ

認知症だけは避けたいし、長生きしていたとしても互いに悲しい

昔を懐かしむことも、脳への大きな若返りの刺激になると思う

昔の写真を一緒に見たり、歌を歌ったり、おいしいものを一緒に食べたり作ったり、

私の親孝行はまだまだ始まったばかりだ☺︎