こんな私も、実家の父母と仲違いをしていた頃があった。
まぁ いろんなことが複雑に絡み合い、一筋縄じゃいかなくなってしまったんだけど。。。
母は勝気で常に「私は親だ!」って主張がベースにある人だから、まともに向かったんじゃ当然うまくいかない。
どうするかと言うと。
こちらからの主張や言い分は飲み込んでおく。
言い返したり、責め立てるような言い方は一切しない。
「はい はい あなたのおっしゃる通りです。」ととにかく相手が言いたいことや主張をひたすら静かに聞いている。同じことを何度繰り返そうが聞き続ける。
ある意味鍛錬。もはや「なんの修行?」って思うくらい。(笑)
その時点でとっくに子は親を超えているのを実感する。
可哀想なことに母は気付いてないし、認められないから、そうなるとお膳立てしてやるのが1番良い。
そうやって私は今の関係を手に入れたんだけど、これまた母の本質が変わったり改善したわけではないから勘違いは大敵。
適度な距離間はとにかく大切。
だから、実家に遊びに行っても余韻を残して帰るのもコツ。
「もうちょっと居ようかなぁ。」って思ったら帰るくらいがちょうどいい。
父は年齢のせいもあり、耳が遠い。。。
時々聞こえないフリをしている気もするが、まぁ身の危険につながらなければヨシかな。
昔のような男気はあまり感じられず、今は母が主導権をしっかり握っている。
母は復讐心が強いと言うか、負けん気が強いと言うか、過去のことは根深く腹に据えている。
そんな両親を持つ私。
老夫婦も、50年くらい一緒に夫婦をやっていれば今更離婚という考えを持っても行動はしない。
とっくに互いへの愛情は見られないし、ただの都合の良い同居人といった感じ。
『さびしいね。』
そんな感情はもはや無いかぁ。
この両親から、私のような愛情深い娘が生まれるんだもんなぁ。
決して両親を見て得たものでは無いし、遺伝的な要素でも無いのよね。
間違いなく主人と出逢い学び得たもの。
私の誇り。
長生きはして欲しいけど、「ボケないでね!!」と心底思う。
長生きが全て幸せにつながるとは思わないことを母とはよく話す。
だから、生前の遺書も口頭であれ書に記すのであれ大切。
無論コロコロ話が変わるのでは迷惑だから、何度も何度も繰り返し話をする。
「はい 書紀さんよろしく!」と書いてもらうか、録音も必要だなぁと考えてる。
今となっては、実家の権限系は母が持ってる感じなので、両親が揃う席では父は聞いてるようで聞いてなく頼りない。
なので、父とはどこか外で父の考えや話を聞く必要がある。
もしも両親と別れの時が来たら。。。
と少しずつ考えるようになってきた。
親(私から見ると祖父母)が亡くなった年齢は超える。それが母の目標的な部分があって、私は「大丈夫さ、お母さんは長生きするよぉ。」と意味深な部分も含めて返していた。
ある意味図々しい部分もある人だし、なんとなくそんな気がしてならないから。(笑)
とにかく認知症だけは悲しいから、脳への刺激になるように私が定期的にケア訪問。
これも親孝行のひとつだと思ってるから、楽しみながら出来ている。
人から必要とされるのは嬉しいこと。
ただ、自分の心身に負担になることはしてはいけない。
お互いに不幸だから。
「良い人になるな!」「偽善は悪!」
主人の名言のひとつ。
両親は反面教師的な要素が多い人たちだけど、2人が出会わなければ私はこの世にいない。
そこが1番感謝していること。
お父さんお母さん『ありがとう』