Godzilla x Kong: The New Empire(2024 アメリカ)
監督:アダム・ウィンガード
脚本:テリー・ロッシオ、サイモン・バレット、ジェレミー・スレイター
製作:メアリー・ペアレント、アレックス・ガルシア、エリック・マクレオド、トーマス・タル、ブライアン・ロジャース
撮影:ベン・セレシン
美術:トム・ハモック
編集:ジョシュ・シェファー
音楽:トム・ホルケンボルフ、アントニオ・ディ・イオーリオ
出演:レベッカ・ホール、ブライアン・タイリー・ヘンリー、ダン・スティーブンス、ケイリー・ホトル、アレックス・ファーンズ、レイチェル・ハウス、ファラ・チェン
①怪獣がドラマを進める怪獣映画
ゴジラは地上の王として、出現した怪獣を撃退し、ローマのコロッセオで眠りにつきます。一方、地下空洞で一人で暮らしていたコングは、遂に同族エイプに出会います。襲って来たエイプたちを撃退したコングは、ミニコングに案内させて彼らの巣窟へ。そこにいたのは、冷凍怪獣シーモを奴隷のように使役するスカーキングでした…。
本作は「怪獣たちが徹底的に擬人化された、怪獣が演技してストーリーを進める怪獣ドラマ」です。
本作を好きな人も嫌いな人も、本作が「そうである」という点では異論ないんじゃないかと思います。
で…ちょっと思ったんですけど、これって結構画期的なんじゃないですかね。
ここまで「怪獣の演技でストーリーを進める怪獣映画」って、これまでありましたっけ。
「三大怪獣 地球最大の決戦」で、モスラがゴジラとラドンを「説得」したり。
「ゴジラ対ガイガン」で、ゴジラとアンギラスが吹き出しで喋ったり。
そこまでいかないまでも、ゴジラや怪獣たちが身振りやアクションで「気持ち」を伝えるようなシーンは、これまでもあるにはあったけど。
でもそれはあくまでも、怪獣同士のバトルシーンの中での演出に限られていた気がします。
映画全体のストーリーは人間が進めた上で、怪獣のバトル部分に、プロレス的な喜怒哀楽や感情の演出が入ってくる。そういう形でしたね。
本作では、そこから大きく逸脱してます。プロレスでいうなら、リング外の因縁とか裏切りとか、WWE的なドラマ部分まで怪獣がやっちゃう感じですね。
ただ、怪獣の中でもコングに絞るなら、「演技」の土壌はこれまでもありました。
猿なんでね。かなり人間に近くて、知能もそこそこ高そうなので。
元祖「キング・コング」でも既に、ヒロインであるアンに心を惹かれ、アンを求めようとするコングの「心理」が、ストーリーの流れを作っていました。
「爬虫類型」のゴジラに比べて、やはり人に近い。感情移入もしやすい。
本作はそんなコングの属性を、極限まで押し進めたものとも言えます。
極限まで押し進めて、「一線を超えて」しまった。
主役は完全に、人間でなくコング。人間でなくコングの演技が、映画全体のストーリーを引っ張っていく。
これまでの映画におけるコングは、言っても猿としての描写の範囲内の「知能の高さ」だったけど、本作ではもはや猿の惑星並み。ほぼ完全に人間と同様に思考していて、人間との違いは言葉を喋らずにウホウホ言う、ただそれだけ。
て言うか喋ってた。コングとスカーキングやその同族たちとのやり取り、人間にはウホウホと聞こえるだけで、完全にセリフ喋ってましたね。
②怪獣が演じる熱血ヤンキー漫画の世界
そんな人間臭いコングによって演じられるのは、まるで少年漫画のような熱血ストーリー。
ヤンキー漫画ですね。腕っぷしと頭で生き延びて来た一匹狼が、軍団を率いる卑劣なボスに戦いを挑む。
一匹狼を慕う少年。ボスに逆らえず敵に回るけれど、徐々に一匹狼の侠気に惚れ込んでいく敵の部下たち。
一回敗北して、かつてぶつかり合った強力なライバルと再会する。
旧敵を仲間にするのも、まずはタイマン勝負。強敵と書いてともと読む。
拳を交えて築いた絆で、ボスとの最後の対決へ…!
コング、ゴジラ、スカーキング、シーモ、ミニコング、モスラと言った非人間のキャラクターたちで、言葉は一切なしで上記のようなストーリーをサクサクと展開していく。
観てて、戸惑うところ一切ないですからね。単純なストーリーとは言え、巨大な怪獣というキャラクターでこれだけわかりやすい物語を構築するのは、すごいことだと思います。
定番の熱血ストーリーなのでね。みんなデカいから豪快だし。観ていて楽しかったのは、確かです。
ただ、何というか、いったい何を見せられているのだろう…という気持ちになってくるのは否めない。
デカい怪獣たちが感情むき出しで熱血ストーリーを演じる様子を見ていると、だんだんヤンキー漫画を通り越して、コロコロコミックの漫画を見てるような(怪獣を思いっきり擬人化した児童向きコミカライズを見てるような)気分になってくるんですよね。
③人間パートは…
というわけで、本作において観客が感情移入するドラマは、すべて怪獣パートにあります。
人間パートは、ほぼ説明のためだけ。
怪獣パートだけでは説明し切れない、コングとゴジラがなぜスカーキングと戦うのかという背景を説明する「伝説」を紹介するため。ただそれだけの役割でしかないんですね。
怪獣映画でみんなが見たいのは怪獣パート!と割り切るなら、正しい作りなのかもしれないけど。
でも、観てても全然感情移入が起こらない本作の人間パートは、僕は正直かなり退屈でした。
怪獣パートで、あれだけ怪獣に感情移入させる熱いドラマを描けるのだから、人間パートももうちょっと頑張ってもいいんじゃなかろうか…と思っちゃうんですよね。
怪獣映画、特にゴジラ映画というのは、個人の好みによって作品の評価が大きく分かれるシリーズだと思うのですが。
僕はやはり、怪獣パートだけでなく、人間パートもきっちり作り込まれて感情移入ができる、そういう作品が好きですね。
初代の「ゴジラ」や、「シン・ゴジラ」、「ゴジラ-1.0」などはそんな作品だと思うので。できないことじゃないはずだと、思うのです。
という訳で、ほぼ「ゴジラvsコング」と同じ感想でした。私は向いてないようです、アダム・ウィンガード監督。
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