Indiana Jones And The Dial Of Destiny(2023 アメリカ)

監督:ジェームズ・マンゴールド

脚本:ジェズ・バターワース、ジョン=ヘンリー・バターワース、デヴィッド・コープ

製作:キャスリーン・ケネディ、サイモン・エマニュエル、フランク・マーシャル

製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス

撮影:フェドン・パパマイケル

編集:アンドリュー・バックランド、マイケル・マカスカー、ダーク・ウェスターベルト

音楽:ジョン・ウィリアムズ

出演:ハリソン・フォード、フィービー・ウォーラー=ブリッジ、マッツ・ミケルセン、ジョン・リス=デイヴィス、アントニオ・バンデラス、ボイド・ホルブルック、ショーネット・レネー・ウィルソン、トーマス・クレッチマン、トビー・ジョーンズ、イーサン・イシドール

①おおらかなホラ話という「インディらしさ」

1944年。ナチスに奪われた財宝を追うインディアナ・ジョーンズ(ハリソン・フォード)は、軍用列車でナチスの科学者ユルゲン・フォラー(マッツ・ミケルセン)と対決します。

1969年。月面着陸を祝うパレードに沸く中、70歳になったインディは旧友の娘であるヘレナ(フィービー・ウォーラー=ブリッジ)と出会い、またも冒険に巻き込まれていきます…。

 

結構評価が分かれてるみたいなので先に書いておくと、とても面白かったです! 好きな作品でした。

この年齢のインディ/ハリソン・フォードによるシリーズの締めくくりとしては、十分に素晴らしい映画だったと思います。

 

整合性の怪しい部分とか、大味でざっくりしてる部分は多々あるのですが。

でも、そこを別に違和感には感じない。考えてみればインディ・シリーズって、元からそういうもんだったから。

「レイダース」で、どうやってナチスの潜水艦に乗って行ったかわからない、とか。

「最後の聖戦」で、ヒトラーに会ってしまう、とか。

「クリスタル・スカル」で、冷蔵庫に入れば核爆発も平気、とか。

各作品のクライマックスとなるオカルトの見せ場も含めて、ある種のおおらかなホラ話、昔ながらの「荒唐無稽さ」をあえて追求したのが、「インディ・ジョーンズ」のシリーズですよね。

 

その意味で、本作も全体を通しておおらかなムード。細かいことは気にするな!の精神に満ちています。

最後の「オカルト的飛躍」も、これまででいちばんのスケールのデカさ、豪快なホラ話になっていて。

とても「インディ・ジョーンズらしい作品」だと思いましたよ。満足です。

 

②弱さも隠さない、年老いたインディを描く

好きだったのは、しっかりと「インディおじいちゃんの冒険」を描いていたこと。

年齢不詳のコミック的なヒーローとか、CGで無理に若返らせるとかではなくてね。(冒頭だけCGで若返ってるけど、これは元々過去のシーンだし、冒頭だけなので)

劇中の設定で70歳、ハリソン・フォードの実年齢で80歳という、「ニヒルでマッチョなモテモテヒーロー」ではなくなった、老人になったインディ・ジョーンズを、逃げずにきちんと描いている。

そこがまず、グッときました。誰しも老いる。インディさえも老いる。それでも、カッコいい奴はカッコいい!

 

「インディ・ジョーンズ」シリーズと、他の長寿アクション映画のシリーズ……例えば「007」とか、「ミッション・インポッシブル」とか……との違いが、「現実の時間とリンクしていること」なんですよね。

「007」であれば、60年代の東西冷戦時代に現役バリバリだったジェームズ・ボンドが、21世紀に入ってもやっぱり現役バリバリで、現実の年代と主人公の年齢は「関係ないものとする」という暗黙の了解になっています。

ジェームズ・ボンドを演じる役者も移り変わって、「定期的に若返る」ということになっているので、「老いたボンド」というものは出て来る余地がない。

「ミッション・インポッシブル」はずっとトム・クルーズが演じていて、「007」よりは実年齢や時代とリンクしているけれど、でもトム・クルーズがまったく年齢を感じさせない、バケモンのような人なので。

次の最新作も、決して「年老いたイーサン・ハントを描く」という雰囲気ではないようです。

 

「インディ・ジョーンズ」は、それらとは違っていて。はっきりと、劇中の年代とインディの年齢が明示されています。

「レイダース/失われたアーク」1936年、インディは37歳の設定です。この時、ハリソン・フォードの実年齢は39歳。役者と役柄の年齢は、ほぼ一致するものになっています。

 

「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」は2作目ですが、時代は遡って1935年。インディは36歳で、ハリソン・フォードは42歳

 

「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」1938年、インディは40歳で、ハリソン・フォードは47歳

 

19年ぶりに作られた「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」1957年で、劇中でも現実と同じ時間が経過しています。

インディは58歳。ハリソン・フォードは66歳

年齢差が生じていますが、第一線で活躍する俳優は実年齢より10歳くらい若く見えるので、ちょうどいいくらいになっていますね。

 

というわけで、今回の「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」1969年

インディは70歳。ハリソン・フォードは80歳!です。

昔のままのインディじゃない。年老いて、お腹が出て、筋肉は落ちて、ヨタヨタ頼りなげに歩くインディおじいちゃんが、それでも老骨に鞭打って大冒険に出かけていく。

「年齢を感じさせないファンタジー的なアクション」ではなく、その年齢のリアルに沿って、年老いた故の「弱さ」もしっかり見せていきます。

頑固だったり、偏屈だったり、長年染み付いた考えが凝り固まっていて、現代に合わせたアップデートができない…という、「老害」と言われちゃうような面も否めなくて、何かと面倒くさいのだけど。

その中で、歳をとったインディならではの「若い頃とはまた違うカッコ良さ」が確かに見えてくるんですよね。

③「歴史」と「オカルト」を描くシリーズの到達点

「インディ・ジョーンズ」シリーズは上記のように、現実の時間とリンクしているのですが、それはこのシリーズが一貫して描く大きなテーマが「歴史」であるから、でもあります。

 

「レイダース」「最後の聖戦」では、インディの敵となるのはナチス

「魔宮の伝説」はナチス台頭以前に時間を戻して、いわゆる古き良き時代のクラシック映画的大冒険になっています。

1993年に放送されたテレビシリーズ「インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険」でも、様々な歴史上の人物やイベントとインディが関わっていきます。

「クリスタル・スカル」は50年代なので、ソ連との抗争と核実験、そして米軍のUFO関連プロジェクト

 

そんなふうに現実の20世紀の大事件を舞台にしながら、考古学者であるインディが、古代からの神秘的な遺物を求めて旅をして、ナチスやソ連と争奪戦を繰り広げる。

焦点になるのは、「聖櫃」「聖杯」などのキリストの聖遺物。

異教の宝物や、水晶ドクロのようなオカルト的なアイテム。

いずれも、昔ながらの「オカルト大百科」みたいな本に必ず載ってた、嘘だかホントだかわからないようなロマンあふれるオーパーツですね。

 

今回はその集大成ということで、両方出てきますね。冒頭シーンではキリスト聖遺物シリーズから「聖槍」、エヴァでもおなじみロンギヌスの槍

オーパーツからは、アンティキティラ島の機械。紀元前3世紀〜1世紀頃に作られたとされる、古代ギリシアの用途不明の精密機械です。

 

その機械が「運命のダイヤル」となって、時間を超える超常現象を出現させる!というのが今回のオカルト的なクライマックス。

時間を超えると聞いた時に、実はちょっと不安がよぎったんですよ。

それこそ過去のシリーズにタイムスリップして、「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2」的な見せ方をするとか、最近よくあるマルチバース的な、楽屋落ちになるんじゃないかと思って。

そういうのではなかったです! ストイックな、正攻法の使い方。良かった!

 

そして、そのクライマックスが、生涯を通して歴史のロマンを追求してきたインディにとっての、究極的な到達点、人生の目標達成になっている。

考古学者としてのインディが、遂にそこまで辿り着いたという感動。それを描いたという点で、本作のラストのシチュエーションは「インディシリーズとして満点」だったと思います。

④強い女性に翻弄されるという「インディらしさ」

「007」シリーズとのもう一つの違いとして、インディはジェームズ・ボンドのようなプレイボーイであったことはない…ということが言えると思います。

毎回、違う「ボンドガール」を取っ替え引っ替えするボンドとは違って。

インディがもっともマッチョな雰囲気だったのは、映画ではもっとも若い頃を描いた「魔宮の伝説」くらいで。

そこでのウィリー(ケイト・キャプショー)を除けば、インディの恋の相手は「レイダース」マリオン(カレン・アレン)に固定されていて、結構真面目なんですよね。

 

逆に、インディは「強い女性」に翻弄されることが多い。

マリオンもウィリーも、決してただインディに守られるだけの弱い女性ではない、主体的に冒険する女性だし。

「最後の聖戦」エルザ(アリソン・ドゥーディ)「クリスタル・スカル」イリーナ(ケイト・ブランシェット)も完全なヴィランで、インディを痛めつけたり、翻弄したりします。

 

「インディ・ジョーンズ」は昔懐かしいアドベンチャー映画を目指して作られているのだけど、懐古的な作品ではそうなりがちな「女を従えるマッチョなヒーロー」になっていないのが、シリーズを通しての特徴だと思います。

基本、女の方が強い。現代に通じる、アンチ・マッチョイズムが通底してある。

そこ、結構ルーカスの持ち味なんじゃないかな。

 

本作のヘレナ(フィービー・ウォーラー=ブリッジ)も、さんざんインディを翻弄することになります。

ヘレナはヴィランじゃないけど、ヒロインでもない。

悪女というよりは「いたずらっ子」という感じで、むしろ老人インディに対する「若さ」の側の代表のような形で描かれていますね。

大人に対して反抗することが、若者のアイデンティティ。それに従って、ヘレナは様々な反抗を繰り返し、インディを引っ張り回し、うんざりさせる。

そこは、1969年という本作の時代背景を象徴するものでもあります。カウンターカルチャーの時代。既存の価値観を否定して、権威に反抗する若者の時代。

 

60年代はカウンターカルチャーの時代であり、ウーマンリブの時代でもあります。

年老いて意固地になったインディは、「男のロマン」に殉じようとするけれど、60年代の「若者」であり「女性」であるヘレナにぶん殴られて、「奥さんのもと」に帰ってくることになります。

時は移り、時代遅れになっていく自分勝手な男のロマンと、新しい価値観の時代。

どこか寂しい気持ちもあるけど…でもそんなふうに変わっていくのもまた「時」の特性だし、上に書いたようにインディらしい在り方とも言えるんじゃないかとも思えます。

⑤ハリソン・フォード一代限りのインディ・ジョーンズ

本作で最大の残念は、やはりスピルバーグ監督でないこと

ジェームズ・マンゴールド監督、「フォードvsフェラーリ」は素晴らしかったし、いい監督だと思いますけどね。

でもやっぱり、ルーカス&スピルバーグ&フォードという黄金三角の一角が崩れたのは、残念に思っちゃいますね。

 

観ていて「スピルバーグでないこと」をそこまで強く感じるかと言えば、決してそんなことはない。

5作中4作を同じ監督(しかもスピルバーグ!)が撮って、その最後の1作だけを監督するって、いったいどんなプレッシャーなんだ!と思いますけどね。

ちゃんと「インディ・ジョーンズらしさ」を感じる映画にしている。それを見事にやり遂げたマンゴールドはすごいと思います。

 

それでも、やはり…時々ふと、何かが足りない。その何かというのはもしかしたら、スピルバーグかもしれない……と思ってしまう瞬間はあります。

なんだろうな。特に明確に、ここが違う!というのはないのだけど。

あえて言うなら、ユーモアの要素かな。スピルバーグが時にやる、やや「悪ふざけ」の域になりそうな過剰なユーモアが、本作には欠けている気がします。

 

本作はもともと「壮大で荒唐無稽なホラ話」が基本にあったと思うのだけど、その色彩がやや薄れてしまっているような気はしました。マンゴールド監督、真面目なんでしょうね。

それがあっていいのか悪いのか、両面あるような気もするんですけどね。

「クリスタル・スカル」なんか、若干それをやり過ぎて「滑ってる」感もあったので、本作くらいがほどほどで丁度いいのかもしれないけど。

スピルバーグが撮ってたら、もう一段ガチャガチャして、もう一段「インディらしい」けど、もう一段酷評も多い作品になってたかもしれないな…なんてことを思いました。

 

「スピルバーグ監督以外が撮るインディ・ジョーンズの映画」というものがアリ、ということになってしまったのは、正直あまり嬉しくはないのだけど。

でも、少なくとも「ハリソン・フォード以外が演じるインディ・ジョーンズ」というものは(若い頃を別にすれば)あり得ないということは、その老年期までが描かれたことでより明確になったと思います。

インディ・ジョーンズはハリソン・フォードと共に年老いて、その一代限り。

もう、絶対にそうであってほしいと思います。ディズニー、変な続編はやめてね!

 

 

 

 

ジェームズ・マンゴールド監督の前作。