Ford v Ferrari(2019 アメリカ)

監督:ジェームズ・マンゴールド

脚本:ジェズ・バターワース、ジョン=ヘンリー・バターワース、ジェイソン・ケラー

製作:ピーター・チャーニン、ジェンノ・トッピング、ジェームズ・マンゴールド

製作総指揮:ダニ・バーンフェルド、ケヴィン・ハロラン、マイケル・マン、アダム・ソムナー

撮影:フェドン・パパマイケル

編集:マイケル・マカスカー、アンドリュー・バックランド

音楽:マルコ・ベルトラミ

出演:マット・デイモン、クリスチャン・ベール、カトリーナ・バルフ、ジョン・バーンサル、トレイシー・レッツ、ジョシュ・ルーカス、ノア・ジュープ、レモ・ジローネ、レイ・マッキノン

①映画館推奨!時速300キロの迫力

1960年代。フォード社は経営が傾いたフェラーリの買収を試みますが、「醜い車」と罵倒されて決裂。フォードの社長ヘンリー・フォード2世は、ル・マン24時間レースへに参戦してフェラーリを打倒することを宣言します。

アメリカ人で唯一ル・マンで優勝した経験を持ち、現在はカーデザイナーであるキャロル・シェルビー(マット・デイモン)がスカウトされ、レーシングカー開発チームが発足。シェルビーは友人でレーサーのケン・マイルズ(クリスチャン・ベール)を引き入れますが、フォード上層部は自由なマイルズを嫌い、様々な横やりを入れてきます…。

 

モータースポーツをテーマにした映画は割と珍しいですね。

本作は実際にあった経緯をもとに、カーレースの世界を正面から描く。ストレートなモータースポーツ映画です。

 

レースシーンは大迫力。CGを使わず、実車で撮影されています。

実際にサーキットにいて、走り抜ける車を目の前で見ているかのようなエンジン音。IMAXのCMでよくやってるように、最新の映画館の音響とカーレースの相性は最高です。

サーキットの臨場感。もちろんそれだけでなくて、ドライバーの視点で体感する、時速300キロの世界

とにかく、映画館で観るという体験との相性がものすごくいいので。テレビで観るのでは面白みは半減すると思います。映画館推奨作品です!

 

②モータースポーツの醍醐味をわかりやすく伝える

ただの迫力あるカーチェイスなら、映画でもよくありますけどね。

ホームストレートの加速、コーナーでのブレーキング競争、インの差し合い、最高速度からギアチェンジして減速してのシケイン突入…といったモータースポーツならではのレースの駆け引きの面白さ。

それがスピード感ある迫力ある映像とともに、わかりやすく再現されています。

 

車載カメラ視点はともかく、ドライバーを捉えようとすると、どうしても狭い運転席の中、固定された見辛いアングルになりがちだけど。

本作はそこも工夫されていると思います。限界まで集中するケン・マイルズの表情、強烈な加速度に揺さぶられる肉体、その中で行われるシフトチェンジやペダルワーク。時速300キロでかっ飛ぶモンスターマシンを操るアナログな操作を、とても見やすく捉えている。

車の挙動。ドライバーがマシンと一体化を感じる、その部分まで伝わってくるような気がします。レーシングカーを運転するとはどういうことかをよく理解した上で、撮影しているのだと思います。

 

さらに、ピットインのタイミングとか、ドライとウェットのコンディション変化とか。メカニッククルーの緊張と緩和とか。前の車を追い抜く限界まで回転数をあげて、マシンが壊れるギリギリのラインを攻めるとか。

耐久レースならではの面白も、テンポの良いレースシークエンスの中に上手く凝縮して盛り込まれています。

僕は昔、F1ブームの頃はよくテレビで観ていましたけどね。セナとかプロストとか…って時代ですが。

ル・マンとかの耐久レースはほとんど見たことがなくて、全然知識もなかったけど。でも、戸惑うところはまったくなかったし、面白みは十分に理解することができたと思います。

 

さらには、モータースポーツのファンにはそこも面白みになってくる、レース以外の部分ですね。

実際のレースに至るまでの部分。モータースポーツって莫大な金がかかるもので、運営する企業やスポンサーの意向が大きなファクターになってくる。

その面白さも、本作の中ではわかりやすく整理されて描かれています。

 

カーレースって結構専門的なことが多いんだけど、本作は初心者にもわかりにくいところがほぼないんですよね。全編に渡ってすごくわかりやすく、モータースポーツの魅力を伝えてくれています。

③上層部の論理と、現場の男たちのカッコよさ

タイトルになっている、「フォードvsフェラーリ」の部分。企業間の意地の張り合いの部分は、誇張され、ユーモラスに皮肉を込めて描かれています。

でっぷり太って、高みから工場の労働者たちに怒鳴り散らすヘンリー・フォード2世社長。いかにも偉そうな大物感漂うんだけど、「所詮は2世」とバカにされたりもして。

対するフェラーリ創設者エンツォ・フェラーリも、やたらと攻撃的で口が悪い。意地悪で偏屈な老人という印象です。

そんな独裁的なトップの下で、重役たちが機嫌をとっては右往左往する。

 

モータースポーツって、莫大な金をかけて浪費する金持ちの道楽…という要素も、避けがたくあって。

一般人の役には立たないバケモノみたいな車を、莫大な費用をつぎ込んで完成させて、大量のガソリンを浪費して、ただ誰よりも速いことだけを目指す。

「男のロマン」ではあるけどね。でも、実際に金をかけるところでは、金持ちたちの維持の突っ張り合いだったりする。

さらにフォードの参入というのは、大衆車メーカーが広告としてレースを利用しようとするという側面が大きくて。そこがまた、エンツォなんかはムカッとするところなんだけど。

金持ちの道楽にしても、大企業の宣伝にしても、どちらにしても実際のところはかなり俗物的なものなんですよね。そこを美化せずに、ブラックユーモアを込めて描いていく映画になっています。

 

しかしその一方で、そんな俗物的な思惑のもとに命令を受けて、実際のレースの現場で「誰よりも速く走る」ことをストイックに目指す男たちがいて。

その現場で働く男たちには、そんな金持ちの思惑も企業の論理も、何も関係ないことなんですよね。ただただ、純粋に「速さ」を求めて車を開発し、1秒でも速く走ることを目指して日夜努力を続け、そしてサーキットで命をかけて走っている。

 

ただひたむきに、ストイックに、目的を追求する現場の男たちと、別の思惑でそれをねじ曲げようとする企業上層部との戦い。

この映画の最大のポイントはそこになっていて、そこから生まれるジレンマとカタルシス。そこが面白みであると思います。

この構造、「ライトスタッフ」(1983)と同じ構造ですね。現場で命をかけ、誇りを持って仕事をする宇宙飛行士たちと、それを自分に都合のいい宣伝に利用しようとする政治家や官僚たちとのぶつかり合い。

そして、たとえそれで自分が不利になろうとも、金銭的に損であっても、自分の思うところに忠実に、妨害に屈せずに誇りを持ってやり抜く男たちのカッコよさ

本当に、カッコいいんですよね。時に報われず、理解されないことも多々あるんだけど。それでも、男には決して曲げてはならない大事なことがあるんだ!という。

なかなか真似できない。だからこそ、そこに痺れる憧れる!という。

これもう、僕は大好物なんですよ。

④ただ自由なだけではない、ビターな展開

現場で戦う主人公となるのが、マット・デイモン演じるキャロル・シェルビーと、クリスチャン・ベール演じるケン・マイルズの二人です。

クリスチャン・ベール、この一つ前の主演作が「バイス」って信じられないですね!そこでは禿げ上がって太ったディック・チェイニーを演じていました。なんか、カメレオン俳優になってきましたね。

 

キャロル・シェルビーは元レーシングドライバーだけど心臓病で引退して、現在はカーデザイナー。

フォードからスカウトされるのはシェルビーで、彼は現場の第一線に立ちつつ、フォード上層部の意向を聞く立場にならざるを得ない。

一方のケン・マイルズは典型的な現場人間。あくまでも自分の直感と感覚を信じて、上から何を言われようと意に介さず、バカにしたような態度も隠さない。結果、上層部からは睨まれ、疎まれていきます。

シェルビーとマイルズは友人同士で、シェルビーはマイルズの実力を高く買っている。マイルズがいないと勝てないと信じているから、どうしてもシェルビーは、マイルズと上層部の板挟みになって悩まされることになっていきます。

 

なかなか難しいところなんですよね。現場のレーサーやメカニックがいないとレースが成立しないのは当然だけど、一方で金を出す連中がいないと、このモータースポーツ自体が成り立たないのも否定できない。

そもそもが莫大な金のかかるスポーツなわけで、大企業の宣伝などの意図も必要なわけで。それを無視するわけにもいかない。

 

でも、それでもなお。それこそ世界最速を競う究極的な現場では、そんなことを忖度していては絶対に勝てない…ということもまた、一方の事実なんですよね。

いつ火を噴くかわからない、ブレーキがぶっ壊れるかわからないマシンに乗って、24時間に渡って走り続ける。そんなの、理性なんてすっ飛んでないと無理

常識的な感覚の通用しない、時速300キロオーバーの世界。企業の理屈も数値上のデータもそこでは意味がなくて、ただ自分の感覚の方がモノを言う。そうでないと、自分の命が危ないわけだから、レーサーが自分しか信じない感覚になっていくのは当然のこととも言えて。

常識的に損とか得とか考えられる人間は、そもそもレーサーになんかならないとも言えますね。優勝賞金も栄光も、一瞬の判断ミスで死ぬかもしれないリスクとは比べものにならない。

たぶんどこか感覚がぶっ壊れていて、そうでないとトップレーサーに昇りつめることはできないのでしょう。

 

シェルビーは元トップレーサーだから、当然トップレーサーというものが「そういう人種」であることは知っている。

だから、心情的には全面的にマイルズの肩を持ちたいのだけれど、一方の事情もわかってしまってる。

金を出す連中のご機嫌を誰かが取らなければ、レーサーが走ることもできない。そのことも既にわかってしまってるわけで。

 

二人の主人公の一人がシェルビーで、このジレンマに悩む立場に立たされるというのが、本作のユニークなところになっている…のではないでしょうか。

ただ爽快さを求めるだけなら、マイルズ一人が主人公で、彼の視点から描くだけの方がスッキリはするんですよね。ただただ企業を悪者に描き、バカにして、ストイックな側を「いいもの」として描いた方が。

でも、現実はそうではないのでね。どんな天才肌の人間でも、いろいろなしがらみから自由に生きているだけでは、自分のやりたいこともやり遂げられない。

どこかで、カッコ悪い妥協もしなくちゃならない。それが現実というものだから。

 

この視点を加えることで、本作で描かれるル・マンはある種ビターなエンディングを迎えることになります。

手放しのカタルシス…というのはちょっと外れて、少しほろ苦い締めくくり。マイルズは自分らしさを最後まで貫くのではなく、最後にちょっとだけ曲げることになります。

それは、少しカッコ悪い妥協にも見えるのだけれど。

でも、マイルズがその行動をとったのは、企業のためでも金のためでもない。友人であるシェルビーのためなんですよね。

⑤命知らずの「ロマン」を支える家族の覚悟

命や生活のリスクを被りながら、男のロマンを追っかけていく職業というのは、家族に大きな負担をかけるもので。

「ライトスタッフ」でもそうでしたね。命知らずのテストパイロットの妻たちは、常に未亡人になってしまう恐怖と日々戦っていかなくちゃならない。

 

レーシングカーのドライバーも同様で。レースでなくても、テストの時でも、車が炎に包まれたり、ブレーキが効かなくなるリスクと隣り合わせ。

奥さんや子供は、夫や父がある日突然帰って来なくなる不安を抱え続けて生きていかなくちゃならない。

戦争でもないのに、まるで戦場の兵士みたいなもので。しかもそれは強制されているものじゃなく、男が自ら好き好んでやっていることだったりもするわけで。

 

だから、こういう生き方というのはなかなか女性には理解されないものだけど、ケン・マイルズの妻モリー(カトリーナ・バルフ)は常に夫を止めようとはしない。

生活が苦しくなって、夫が「レースはやめる」と言い出しても、やめることを止めようとします。それがないと、あなたはダメになってしまうから…と。

シェルビーが接触してきて、夫が密かにレースに戻り始めると、モリーは激しく怒るんだけど、それも夫がレースに戻ること自体を怒ってるわけじゃない。

夫が本心を隠して、自分のために自分を偽ろうとしていることを怒ってる。

 

それは息子のピーター(ノア・ジュープ)も同様ですね。彼はいつも、父親を誇りに思っていて。

たとえ目の前で父親の車が炎に包まれるのを見せつけられて、激しいショックを受けてもなお、彼は父がレースに出ることに興奮し、応援し続けていきます。

 

だから、ケン・マイルズのレースでの栄光というのは、彼一人でつかんだものじゃない。本当の意味で、モリーやピーターと一緒につかんだものだと言えるんですよね。

 

ル・マンが終わった後のエピローグで、ケン・マイルズには更に切ない運命が待っていることになります。

それは、モリーとピーターにとっても、あまりにも残酷すぎることとも言えて。

こんなの間違ってる…という捉え方もできるとは、思うんですよね。

究極のところ、金持ちの道楽だったり、企業の宣伝だったりするようなもののために、人に命をかけさせるなんて間違ってる

そして、そんな過酷な我慢を妻や子に強いて、辛い思いを耐えることを押し付けるなんて間違ってる。そうんなふうにも、言える。

 

そういうことは、たぶんシェルビーもわかっていて。内心の複雑な思いが、ラストの彼の表情に表れています。

でも、一方でそれは、マイルズとモリーが自分で選んだ生き方でもあって。

ピーターが、誇りに思っている生き方でもあって。

彼らが自分で選んだ生き方に、他人がとやかく言うこともできない。そして、リスクも栄光もある人生と堅実な人生、どっちの方がより正しいかなんて、誰にもわからない

モリーとピーターに複雑な思いで対峙しながら、最後に立ち去るときには、スポーツカーのタイヤを鳴らして猛スピードで走り去っていく、自身スピード狂であることをやめられないシェルビー。

ただ栄光に生きる者を美化するだけでもなくてね。成熟した視点でいびつな生き方をやめられない人々を描いた、なかなか奥行きの深い映画だったと思います。

 

モリーを演じたカトリーナ・バルフはテレビドラマ「アウトランダー」で注目された人。

ピーターのノア・ジュープは注目の子役で、「ワンダー 君は太陽」「クワイエット・プレイス」で活躍してます。