せかいのおきく(2023 日本)

監督/脚本:阪本順治

製作:近藤純代

企画/プロデューサー/美術:原田満生

撮影:笠松則通

編集:早野亮

音楽:安川午朗

出演:黒木華、寛一郎、池松壮亮、眞木蔵人、佐藤浩市、石橋蓮司

①江戸のうんこ事情と青春!

江戸時代末期、武家育ちながら今は長屋で暮らすおきく(黒木華)は、矢亮(池松壮亮)と共に「汚穢屋」を営む中次(筧一郎)に思いを寄せていました。ある日、おきくの父の源兵衛(佐藤浩市)が武士に斬られ、おきくも巻き込まれて声を失ってしまいます…。

 

阪本順治監督が全編モノクロ(パートカラー)で作り上げた、江戸の下町の若者たちの生き様を、「江戸のうんこ事情」と共に描いた青春映画。

始まってすぐに、モノクロである意味はわかります。そりゃもう、肥溜め映像の連続ですからね。

 

徹頭徹尾、「汚い世界」を描いた映画だけど、決して下品な下ネタ映画じゃない

人々に鼻をつままれながら、それでもしたたかに生き抜く若者たちの姿。

武家社会の理不尽に翻弄されつつも、現代の女子と変わらない恋心に身悶えるおきくの姿。

そして、そんな若者たちの見上げる空が続いていく、まだ見ぬ「せかい」

 

いつの時代も変わらないそんな青春を描いた、鮮やかな青春映画です。

90分という上映時間も、実にちょうどいいところでした。

 

②キツくてもめげない若者たち

矢亮と中次は江戸の各所を回って糞尿を買い取り、わざわざ船に積んで運んでいき、農家に売る。

江戸の人々のうんこは肥料として野菜を育て、野菜は江戸に売られて、江戸の人たちの口に入る。

この見事な円環。完成された循環型社会!

 

「江戸のうんこがどこへ行くのか」は切実です。各自が厠で出したモノは、誰かが汲み取って持って行かない限り、放っておくと溢れて悲惨なことになりますからね。

現代では徹底して「見えないようにされている」ので、想像しにくいけど。

当時の町には、汲み取り桶がそこら中にあっていろいろ溜まっていたわけで。それを桶に入れて、町中を往来していた。

人々の「匂いやソレそのものへの耐性」は、今と段違いだっただろうと思われます。

(ちょっと前までは、独特の匂いを発するバキュームカーを見かけることもあったけど。今はさすがに、ほぼ見かけなくなりました)

 

それでももちろんソレは臭いし、汚いし。ソレを扱う職業の人は、江戸であってもやはり差別されることになります。

矢亮中次も差別され、汚穢を買いに行くヤクザには軽蔑されて罵られ、売りに行く農家にも量が少ないと頭からぶっかけられたりする。悲惨なのだけど。

 

本作の中では、賎民とか被差別民とか、社会構造的なところは表面的には描かれない。

矢亮と中次の境遇も、「生まれつきそれしか選べない悲惨」のようには描かれていなくて、しんどい中でもある種の気概とプライドを持って、仕事をしているように描かれています。

 

実際には、封建社会的な身分や階級の問題があって、それが弱い立場の若者である二人にのしかかっている、社会構造的な問題があるのだろうと思いますが。

映画では、あえてそこは深刻に描かず、逆境の中でも明るく、冗談ばかり言いながら日々を生き抜く若者の姿を描いています。

 

その描き方によって、現代に通じる普遍性がより強く感じられるものになっている。

社会のひずみを受けて、ブラック企業で過酷な労働を強いられている現代の若者にも、通じる話になっているんじゃないでしょうか。

ヤクザの下っ端とか、つまらない立場の奴ほど差別を隠さないのも、やはり現代と同じであるように思います。

③正義が権力に潰される社会

没落した武家の娘であるおきく

父が何らかの不正を告発して、逆にお咎めを受け、武士である身分を取り上げられて追放された。

あらゆる特権を失って貧乏長屋暮らしを強いられる…だけかと思いきやそれだけでは済まされず、かつての仲間であろう武士たちが訪ねてきて、父は斬られてしまう。

「武家のしきたり」によっておきくも自害しようとして死にきれず、声を失うことになります。

 

ここに描かれるのは、正しさなどは関係なく、お上の逆鱗に触れたら殺される、江戸の武家社会の理不尽なのだけれど。

「役人が、上役が役所ぐるみでやってる不正を告発したら、逆に口を塞がれ、あまつさえ死に追いやられる」という。

まさしく「現代でも、最近でも、あったこと」ですね。これもやはり、現代に通じる話になっている。

 

細々と説明することなく、何かを声高に叫ぶことなく、短く印象的な画面の中で、現代に通じる普遍性を持たせていくのが、見事です。

「心当たりのある話」だから、残されたおきくの辛さ、悔しさも、時代劇の中の定番の悲劇のようにはならない。切実な、胸に迫るものとして感じられるわけです。

④古い価値観を脱して、若者は世界へ!

気の強い、素直な、思ったことをポンポン喋る気持ちの良いおきくの持ち味が前半強調されていただけに、そんな彼女が声を失って沈黙してしまう後半の悲痛さが、より伝わってきます。

そんな彼女を、長屋の人々の見返りを求めない善意が静かに支えていく。

そして、寺子屋での役割を諭されて、前向きな人生へと戻っていく。

 

字を学ぶことは、世界を広げることですね。

これまでは武家に独占されていた(だからこそおきくがその役割を担うことができた)字を学ぶということ。

それを長屋の子供も汚穢屋も共有して、武家の時代の終わりと、新しい世界の到来を感じさせていく。

 

本作は明るく軽快なコメディで、ことさらに権力を批判したり、社会批評を前に出したりすることはないのだけれど。

でも、底に流れるものは骨太ですね。

うんこよりも役に立たない旧来の価値観を脱して、世界を見据える若者たちへの信頼に、胸が熱くなります。

 

最初から最後まで汚穢にまみれた映画だけど、本作はそれでいて「美しい映画」でもあります。

モノクロ画面の、計算された構図の美しさに目を奪われるし。

章の終わりごとに挟まれる、一瞬だけのカラーのシーンの美しさに、ハッとさせられます。

汚いのに、美しい。そんな稀有な映画です。オススメです。

 

 

阪本順治監督、前に観てレビュー書いたのはこれでした。

 

黒木華さんの最近作。こちらは、うーん…

 

池松壮亮さんの最近作。言わずと知れた…

 

 

 

 

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