Village(2023 日本)

監督/脚本:藤井道人

製作:椿宜和、野副亮子、柳原雅美、行実良、角田道明

製作総指揮:河村光庸

撮影:川上智之

編集:古川達馬

音楽:岩代太郎

出演:横浜流星、黒木華、一ノ瀬ワタル、奥平大兼、作間龍斗、杉本哲太、西田尚美、木野花、中村獅童、古田新太

①ツッコミ多めです

田舎の村で暮らす片山優(横浜流星)は、ゴミ処理場の設立に反対した父が事件を起こして自殺し、残された母は酒浸り。村長(古田新太)の息子・透(一ノ瀬ワタル)にいじめられながらも、母の借金を返すため、優はゴミ処理場で働いていました。幼なじみの美咲(黒木華)が東京から帰郷し、ゴミ処理場の広報の仕事に就いたことから、優の人生は変わっていきます…。

 

今回のレビューは、全体を通して酷評…というほどでもないと思うのだけど、たくさんツッコミを入れています。

この映画が好きだった人は気分悪くなるかもなので注意。読まない方がいいかもです。

 

藤井道人監督の映画、「新聞記者」「ヤクザと家族」を観ていますが、感想は毎回似た感じになりがちです。

 

発想は魅力的。現代社会のある面を鋭く突いている気がするし、社会的な批判精神のある映画に見える。

それでいてエンタメであることも重視していて、ただ暗く重いだけじゃない、娯楽作品になっている。

だからいつも期待値は高くて、ワクワクしながら観ていくことができる。

 

…なのだけど、なんか途中から方向がよくわからなくなっていくんですよね。

なんかね。だと思うのです、何かと。

設定や行動が雑で現実離れしてるので、社会的な問題提起はだんだん薄れていく。

で、いったい何の話だったのか、よくわからなくなっていく…。

そんな感じになることが多いです。今回も同じでした。

 

②日本の縮図ではある

導入から中盤までは、まさに「この村は日本の縮図」でした。

 

過疎化して細っていく村の財政をどうにかするという名目のもとに、大規模な公共事業を誘致するのだけど、そこから生じる権益は権力者が独占して私服を肥やし、また権力基盤を更に盤石にしていく…という構図。

一旦構築された金儲けと権力の機構は、多少の不都合があっても変更することはできない。

だから、ゴミ処理場で自然環境が失われようが、不法投棄で住民の健康に被害が生じようが、そんなことは気にもされない

 

権力を維持するためにヤクザと付き合った結果、村人たちは搾取され、村ぐるみでその仕組みを支援しているという、訳のわからないことになっている。

でも、持ちつ持たれつの関係だから、マズイとわかっていてももう今更崩せない。

気がついてみれば、村のことを決めている人が、誰一人村の方を向いていない。

ただ、既得権益を守り続けることだけが目的化した、不幸を拡大再生産するような歪で強固なシステムが出来上がっている。

 

…というような「村」の描写は、現代日本への風刺として示唆的だと感じました。

ただ、まあ、それにしても「浅さ」は強く感じるんですよね。

村の財政基盤であるゴミ処理場にしても、村長とその息子で家族経営しているような、シンプルすぎる構造だったり。

 

こういう巨大な公共事業には、本当は小さな村の村長レベルではコントロールできないような巨大なバックボーンが後ろに控えているもので。

そういう奥行きは一切感じさせないので、やはりリアルな怖さはあまり感じられないのです。

③この映画のここがわからん!

そういう背景の中で、父親の過去の罪によってほぼ村八分状態の優(横浜流星)が、悲惨のどん底を舐める…ということになるわけですが。

美咲(黒木華)が帰ってきてゴミ処理場の広報部に務め、優を取り立てていくことで、優の人生は逆転に転じていきます。

…なのだけど、この辺りからなんかいろいろ意味のわからないことが多すぎたので。

箇条書き形式で、「ここがわからん!」というツッコミを入れていきます。

 

美咲が優を気にかけ、何かと取り立てようとする→わかる

優が広報の顔になって、子供にゴミ処理場をPRする役割をする→わからない

 

優の父親はゴミ処理場の誘致に反対して自殺してる。つまり、ゴミ処理場は優にとって父親の仇…のはず。

借金のために働く場所がそこしかない…というのはわかるけど。

ゴミ処理場を世間にPRする顔のような存在になっていくのは、なんか違うんじゃないのかなあ。

 

この映画、全体を通してこの視点がまったくないんですよね。

父親の罪で優が責められるのは理不尽だ…という視点はあるけど。

父親の無念を思うと、ゴミ処理場やそれを推進する村に対して否定的な感情を抱くはず…という視点は、一切ない。

優にもないし、美咲にもないし、優の母親にもない。

「父親への同情や無念の共有」という感覚がどこにも見当たらず、美咲が「優がそう感じるだろう」と思うこともない。

優がゴミ処理場の顔になったら、母親は大喜び

そこ、すごく大きな欠落だと思うのです。

 

汚染廃棄物の不法投棄にも仕方なく加担→わかる

優が責任者になると、隠蔽する側に回る→わからない

 

優の父親はそういう問題も含めて反対してたんじゃないのかな。

映画を通して、優にも美咲にも、村の環境に良くないから不法投棄は良くない、という発想はまるっきりないんですよね。気にするのはバレるかバレないか、だけ。

(そもそも「ゴミ処理場自体が村の環境に良くない」という視点もないのだけど)

 

それにしてもこの不法投棄、村ぐるみでやってる割には人力でシャベルで土をかけるだけという杜撰さ。そりゃバレるよ。せめてユンボくらい使おうよ…。

 

ゴミ処理場をPRする→わかる

観光客が増える→わからない

 

ゴミ処理場と埋立地のある村に観光で行きたい?

特に他に観光資源がある描写もないし、景観は最悪だし。煙突から煙モクモク出てるし。

観光客はあの村に行って、ゴミ処理場を見学するのだろうか。

 

襲われた相手をうっかり殺してしまう→わかる

ゴミ処理場に埋めて知らんぷり→わからない

 

別に普通に警察に告げれば、正当防衛が認められる案件ではないのかな。

というかそれ以前に、良心の呵責はないのか。

優はともかく、美咲も何にも感じてないみたいなのが怖い。

偶然バレてなければ、最後まで黙ったままでいて、それで別に苦痛も感じていなかったよねこの二人。

何か倫理観が基本的なところで狂っている怖さを感じます。

 

汚染物の不法投棄がバレそうで、優に処理を押し付ける→わかる

それでもまだ不法投棄をやめない!→わからない

 

せめて掘り返されてバレるとかかと思ってたら、まさかの現行犯だったのでびっくりしました。

やっぱり、あらゆることが杜撰すぎるので、観ていてだんだん真剣味が薄れていくんですよね。

 

透を殺したことを村長に告白に行く→わかる

村長が優に、美咲に罪を被せて誤魔化すことを持ちかける→わかる

優が村長を殺す→わからない

 

村長に「あんたゴミだな」とか言ってたけど、透を殺して隠蔽し、廃棄物のことも見て見ぬふりで、ゴミ処理場の顔になってた優も似たようなもんじゃないのかなあ…。

 

火を放って村長の死体を焼く→わからない…けど、まあギリギリわかる、かも

ついでに村長の母の御隠居も生きたまま焼き殺す!→わからない!

 

いや、それもう無差別殺人鬼でしょ。差別されてどうの…で受け止め切れる話じゃないよ。

④倫理観が壊れてる

本作を観ててすごく感じたのは、「倫理観が壊れている」ということ。

 

「権力者の倫理観が壊れている」のは、割とよくある構図だと思うのですよ。

権力を利用して、裏で私服を肥やす悪徳な政治家や経営者。悪い奴ほどよく眠る。

でも本作では、虐げられる側であるはずの主人公や、ヒロインの倫理観がことごとく壊れている。

 

「全員悪人!」がテーマなら、それはそれでわかるんですけどね。「アウトレイジ」みたいな、ピカレスクって奴ですね。

でもそれなら、最後村長から工作を持ちかけられた時に、受け入れるはずじゃないのかな。

そういうわけでもなくて。あそこでいきなり「父の仇!」って感じになるので、えーと思いました。

お前これまでさんざん父親の思いを無にした行動とってたやん!

 

だから特に意図というわけでもなく、ただ純粋にあっけらかんと、みんな倫理が欠けている。

主人公やヒロインが「バレなければそれでいい」「自分さえ良ければそれでいい」という原理で動いていて、そのことに何の疑問もなく、葛藤も批判も何もない。

権力者だけがそうというわけじゃなく、そこで使われ搾取されてる末端の若者までもが、ゴミ処理場も癒着も不法投棄も殺人も「仕方がないから悪くない」と思っていて、恥じない。

 

もしかしたらまさにそれこそが、現代日本の社会に対する風刺だったりして。

そこまで考えてるならすごい…のかな。あんまりそんなふうにも見えなかったのだけど。

 

 

 

 

 

 

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