ヤクザと家族 The Family(2021 日本)

監督/脚本:藤井道人

製作:佐藤順子、角田道明、岡本圭三

製作総指揮:河村光庸

撮影:今村圭佑

編集:古川達馬

音楽:岩代太郎

出演:綾野剛、舘ひろし、尾野真千子、北村有起哉、市原隼人、磯村勇斗、菅田俊、康すおん、二ノ宮隆太郎、駿河太郎、岩松了、豊原功補、寺島しのぶ

 

①「すばらしき世界」と真逆の方向性

1999年、父親を覚醒剤で失った山本賢治(綾野剛)は、覚醒剤を密売する売人から薬と金を奪います。それによって暴力団・侠葉会に拉致され殺されそうになった賢治ですが、柴咲組の組長・柴崎博(舘ひろし)の名刺を持っていたことから救われ、柴咲組の一員となります。

2005年、賢治はホステスの由香(尾野真千子)に好意を持ちますが、その一方で柴咲組と侠葉会の対立は激化していました。大事な仲間を失った賢治は復讐を果たし、服役することになります。

2019年、14年の刑期を果たして出所した賢治を迎えたのは、すっかり落ちぶれた柴咲組でした。仲間はヤクザをやめ、しかしヤクザをやめても5年は人間扱いされない「5年ルール」で苦しんでいます。賢治は由香と再会し、カタギになって出直すことを決めますが、しかしヤクザのしがらみはなおも賢治を捉え続けます…。

 

2008年に施行された「暴対法」などを背景に、社会に適応できないヤクザ者の悲哀を描く。

同時期に公開されている「すばらしき世界」と同じテーマを扱う作品です。主人公が10年強の刑期を終えて出所し、カタギで生きていこうとして社会の逆風にさらされる…という展開は同じですね。

 

僕は今回、連続して観たんですが。(「すばらしき世界」が先、「ヤクザと家族」が後でした)

同じテーマを扱っても、こうも違う映画になるんだ!とびっくりするくらい、全然別の方向を向いた映画でした。

なんか本当、笑ってしまうくらい。

向いている方向は、ほぼ真逆。作り手のスタンスによって、同じテーマを扱ってもこうも違う。

 

本作を観ると、「すばらしき世界」女性の作り手の映画だということを、すごく感じます。

女性的感性。そういう言い方は今時…かもしれないけど、でもそういうものは歴然とあると思う。

「ヤクザと家族」は、男性の作り手が作った映画。というか、男の子的感性に満ちた映画です。

 

「ヤクザと家族」は、「すばらしき世界」が切り落としていたところを、あまさず拾って映画にしているんですよね。

それが、ヤクザというものに対する、男のロマン、幻想

暴力団という世界で、抗争に明け暮れ、命の凌ぎ合いをする男たちを「カッコいい」と捉える見方。

これ、「すばらしき世界」には微塵もないんですよね。「ヤクザがカッコいい」なんて、本気でカケラも思っていない。

「ヤクザと家族」は、もうそれがムンムンと満ち満ちています。

 

現代におけるヤクザの境遇とか、容易に社会復帰できないヤクザの人権問題とか、そういうことも描かれてはいるけれど、それはあくまでも逆境の一つとして機能するための要素にすぎない。

「ヤクザと家族」は何よりも、ヤクザ映画ですね。刹那的に生きる男たちの「カッコよさ」を、ケレン味たっぷりに描き出す。

思った以上に好対照の2作で、続けて観るとすごい面白いものがありました。

 

②古典的な劇画ヤクザ映画!

観てて強く思ったのは、本作の作り手が意識してるのは「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」でしょうね。

少年時代からスタートして、複数の年代にまたがって大河ドラマを描いていく。

「一家」との絆を築く過程を描いていく少年時代から、のし上がりと抗争、そして女性とのロマンスを描く青年時代。激情に駆られた失敗と、長い年月を棒に振る「服役」というイベントを挟んで。

長い時間を経て、主人公が時代に取り残された浦島太郎になってしまう。

失われた「義理と人情」へのノスタルジーを感じながら、破滅的な結末へ…。

 

それぞれの時代でのエピソードも、リアリティより、画面映えするケレン味、ヤクザ映画としての見せ場が優先されて構築されてる。

賢治が組に入るきっかけになるエピソードだったり、由香と出会うきっかけだったり、それぞれが一つ一つやたらと劇的。劇画みたい

 

舘ひろしはとにかくダンディな舘ひろしだし、本当にそんな組長がいるかどうかは分からないけど…。

あ、でもたぶんいるんだろうな。ヤクザなんて、たぶんみんなナルシストだろうし。

これは「逆にリアル」なのかもしれない。舘ひろしみたいなダンディな組長が、現実にもいっぱいいるのかもしれないなあ…。

 

「すばらしき世界」では、人が暴力団に関わり、ヤクザになってしまうことを「悲哀」「悲劇」と捉えていて、それはもう言うまでもない大前提みたいなところがあります。

だから、そこから何とかして逃れようとすることが達成目標になるし、ヤクザに引き戻されてしまうことが「人生のピンチ」として描かれていく。ヤクザでしか生きられない人は、かわいそうな犠牲者でしかない。

それはある面で真実で、それこそ反社が徹底的に排除される現代社会においては、当たり前の大前提なんだろうけれど。

 

でも、ね。僕らの中には確実に、世間の常識に逆らって、馬鹿げた義理や人情に身を捧げ、刹那に命を散らす男たちを「カッコいい」と思う、憧れの心がある。それも事実じゃないですか。

だからこそ、ヤクザ映画というものが、世の中にたくさんあるわけで。

 

そういうわけで、本作は今時逆にめずらしいくらいの、古典的な劇画的ヤクザ映画と言えます。

③はぐれものを包み込む優しい「家族」

最後のパートに至るまで、本作は「ヤクザと家族」というよりほぼ「ヤクザが家族」と呼ぶべき映画として進みます。

最初から母親が見当たらず、覚醒剤で父親を失った賢治にとって、柴咲組長はまさしく父親。

これが、暴力団が居場所のない若者を取り込んでいく構造なんでしょうね。でも、本作はその構造に対して批判的ではありません。

柴咲のオヤジはどこまでも優しく、まともな社会では誰も受け入れてくれなかった賢治を、大きく包み込んでくれます。たとえ世間的には「反社」でも、賢治にとっては愛すべき「家族」です。

 

2019年、暴対法やらライバルの台頭やらで柴咲組が落ちぶれて、また由香と所帯を持つために、賢治は組を抜けてカタギになります。

でも、これも、別に反省したわけじゃない。柴咲組が今でも元気でウハウハだったら、賢治は何の疑問も持たずにヤクザを続けていたんじゃないでしょうか。

時代の変化で、昔気質の暴力団はやっていけない時代になっている。このことに対しても、本作は基本同情的です。

 

だから、本作におけるハッピーエンドは、カタギになって真面目に働いて社会に順応して生きる…というところにはないんですね。

物語の必然として、そんなことはハッピーエンドになり得ない。

賢治が元ヤクザだとわかった途端に由香を排除する、ろくでもない社会。そんな社会に順応するなんてクソくらえ! そんな社会に、蹴りを入れてやるぜ!っていうのが、本作の必然的にたどり着く結末ですね。

花火のような、どん!と咲いて散っていくカタルシス。古臭い男の美学。

 

だから、荒唐無稽なヤクザ映画として僕は十分に面白く観たんだけど、でもこれ本当に最後まで「ヤクザが家族」でしかなくて、「ヤクザと家族」じゃないよなあ、とは思いました。

ヤクザと対立する概念としての「家族」は、ほぼ描かれてないもんね。

④やけに低い「カタギの家族」の価値

ヤクザと対立する概念としての「家族」、あるいはカタギとしての社会に順応した暮らし。

それが描かれるのは3つ目の2019年パートになってからで、なおかつかなりおざなりというか、安直な描かれ方になっていました。

 

問題はたぶん、女性が描けていないことだと思います。

尾野真千子演じる由香という女性が、ほとんど描写されていない。彼女が賢治を好きになる過程が一切描かれていないし、賢治の側も彼女に何も与えない。

ただ、ボロボロになって転がり込んだら聖母のように優しく癒してくれる存在でしかない。

 

14年後に再会しても、由香は優しく賢治を迎えてくれるんだけど。これもまあ、ファンタジーですよね。

彼女の側に、何の生活力もないムショ上がりのおっさんと縒りを戻していいことなんて何一つないもんね。

いや、愛なんだ!でもいいんだけど、その愛にしてもろくすっぽ描いちゃいないよね、って思ってしまいます。

これは、古典的ヤクザ映画を志向したことの弊害でしょうか。女性の描き方も前時代的な、男の添え物、黙って男を支える存在になってます。

 

カタギの暮らしを守るために、賢治が這いつくばって必死になってあがく…というシーンもないのでね。

本作における「カタギ」「家族」の価値は、相当に低い。ヤクザへの対立概念にはなってないです。

⑤ツッコミどころは満載

「新聞記者」と一緒で、ツッコミどころは満載の映画でした。

 

ヤクザから覚醒剤と大金奪って、覚醒剤を海に捨てて、追っかけられるのが「さも意外」そうな顔されてもなあ…とか。逆に、どうなると思ってたんだろう。

 

組長自ら談判に出かけているのに、あっという間にキレて決裂…とか。

ここで舘ひろしが言わされる安いチンピラみたいなセリフも、あんまりだと思いました。

組長レベルで決裂してるのに、抗争の準備をするでもなく、若い衆だけ連れて釣りに行くのもね。そりゃ撃たれるって。ここも、どうなると思っていたんだろう…。

 

カタギになった賢治たちがヤクザであることがSNSに投稿した写真からバレて、噂になって、それがあっという間に市役所勤めの由香にも及んで、仕事も家も失うはめになってしまう。

そりゃまあ、そういうことも絶対にないとは言いきれない、だろうけど…。

なんか、安易なんですよね。一つのことですべてをサクッと済ませようとする。

SNSは万能ですね。「新聞記者」のショッカー秘密基地みたいな「政府のネットカキコミ室」を思い出しました。

 

テンポが速くて軽快だから、観ている間はぐいぐい引っ張っていかれて、面白いのは確かなんですよ。だからまあ、そういう雑さも愛嬌かな、とは思うんだけど。

ただ、社会的な問題を描いた映画とは言えないよなあ…と、今回もやっぱり思いました。